おっさんは、夢見の主に痛いところを突かれるようです。
「その後、どうだ?」
カードゥーとケウスは、【使者の杖】と呼ばれる存在である。
勇者の知識を得たクトーは、この世界に存在する地水火風の属性神などの神々はティアムによって作り出された存在であることを理解していた。
その中でも、魔王と女神の目や耳になり、あるいは時にその体を貸し出すこの二人だけは、特別な存在だった。
ケウスはティアムからその力の一端を預けられ、竜気によっあらゆる場所に通じる『夢見の洞窟』を維持し、また『門』を監視する役目を負っていた。
言うなれば、ティアムに何かあった時の『代替』として機能するように作り出された者である。
竜気を封じてしまえば、彼らは自身の存在を維持することが不可能になるのだ。
「あなたにいただいた【思念の宝珠】によって、私たち自身の消失は免れるでしょう。『夢見の洞窟』の維持に関しては、新たなる『門』を貴方が拓けば、その守護者となることで為されるでしょう」
「そうか」
以前、打診した話には応じてくれるようだった。
「消える、という選択肢も、今ならまだ残されているが」
「貴方は優しいですね、クトー・オロチ」
カードゥーの顔で、ケウスが優しく微笑む。
「我々は道具です。かのバラウールという存在は我々とは少し違うようですが、言うなればあの研究者に従う少女人形のようなものです」
「それは理解している。だが、ルーには意志がある。彼女は最後までジグに殉じるだろう」
「そうですね。ですが私は、研究者が死ねば彼女は墓守として、壊れるまで墓の前に立つだろうと理解しています」
我々も同様です、という言葉にクトーは頷きだけを返した。
「感謝する」
「その必要はありません。貴方はご自身も人柱となさるのでしょう。……我らが主人らと、同じ選択をなさるのですね」
人柱。
その言葉に、クトーは首を横に振る。
「俺は誰かのために、己を犠牲にするつもりでいる訳ではない。〝阿修羅〟であるらしい俺自身を未来に残すことが最も合理的で、確実性が高いからだ」
「貴方の意識では、そうなのでしょう。我らが主人らも、世界の礎として犠牲になったとは感じておられませんでした。故に伝えるのです。同じ選択のなさるのですね、と」
ケウスの言葉には、説得力があった。
サマルエも、ティアムも、またトゥスやメリュジーヌも、己を犠牲であるとは感じていなかったのだろう。
だが、彼らがお互いにお互いを『犠牲』であると感じ、その意識に悩んでいたこともまた、事実だ。
「リュウやミズチが、そう感じると言いたいのか」
「あるいは、全ての貴方を好む人々が。……ご自身が逆の立場であれば、貴方もまた同様に思いはしませんか。竜の勇者を、その運命から解放せんと望む貴方ならば」
「俺の選択は間違っているか」
「大局を見るか、個を見るか。己の中にそれを見るか、他者の目の内にそれを見るか。……視点によって結論は様々に変わります」
「俺の選択は間違っていると思うか」
「私はそれを判断する立場にはありません。しかし、一つの結論に迷いが生じるのであれば『思考の余地がある』ということです」
相変わらず深い知性の光を宿した目で柔らかくこちらを見つめたまま、ケウスは静々と続ける。
「私は貴方に感謝しています。貴方の存在が、我らが主人らを苦しみから解き放って下さった。ですが同時に、主人らは自ら選択したのです。貴方に後を託して消える、という選択を」
「……」
クトーは、満天の夜空を見上げる。
青く冴え冴えとした月の光に目を細めながら、ケウスに言葉を返した。
「何ひとつ瑕疵のない満点の解決策など、この世には存在しない」
「仰る通りです」
「人は傷つき、手は届かず、それでも目に見えるものだけは守ろうとして、ここまで来た」
「貴方の手は、神々すらその内に抱くほど広く大きいものです」
「それでも、過去を変えることも、世界の全てを救うことも出来ない」
強大な敵を倒し、各国の友好を結び、なるべく安寧である世界を形作ったとしても。
その過程で、既得権益を持っていた者たちが潰え、今また見知らぬ何処かで魔物に襲われて、あるいは不慮の事故で死ぬ者が現れる。
「その時々での、なし得る限りの最良を選択することしか、俺には出来ん。そして今もまた、俺は最良と思える手段を選び取っている」
「魔王たる我が主人は、手段を選ばなかった。ですが、選ばなかったからこそ、本気だったからこそ、貴方の心を揺らし、あの結末を導いたのです。あの方にとって、それは最良の手段でした」
「……」
「我々ほどの時間は、貴方には残されていないでしょう。しかし、考える猶予はまだある……」
クトーが目を向けると、ケウスは笑みをそのままに、星空に視点を移す。
「ーーー貴方の選択は、本当に最良の手段ですか?」
「そう信じている」
「ならば、私から言うことはあと一つしかありません」
「なんだ?」
こちらに目線を戻したケウスは、一息置いてその言葉を口にした。
「納得を得てください」
「誰の?」
「貴方の選択を支持しない全ての者たちの、です。手段が最良であり、他者の理解を得ないのであれば、それは魔王たる我が主人と、同様の選択です」
「……仲間たちを納得させろ、と言うことか」
「彼らは貴方の選択に、明確な反対はしないでしょう。それしかないのであれば受け入れる。ですが、それは納得とは程遠い感情ではありませんか?」
貴方は自らの想いを彼らに話しましたか、とケウスは言う。
「話していない」
「そうでしょう。そして、貴方の決断に最も納得から遠いかの少女には、選択のことすらも話してはいない」
「……よく見ているな」
世界中に繋がる『夢見の洞窟』の力を、悪用でもしているのではないだろうか。
そう思いながらクトーが眉根を寄せると、ケウスは軽く目を伏せる。
「気づいていることから目を逸らすのは、やめることです、クトー・オロチ。貴方に幸運を」
ケウスは、カクン、と首を落とし、そのまま動かなくなった。
話は終わりだと言うことなのだろう。
クトー自身も彼女への用は済んだので、動かなくなったケウスの片割れ……カードゥーの体の前に置いてある投げ銭入れに、チャリンと銅貨を放り込んだ。
音を聞き、カードゥーがゆっくりと顔の前で両手を合わせる。
それを横目に見ながら、クトーはインバネスコートの裾を翻して、その場を後にした。
ーーー明日はいよいよ、バラウールの本体を利用した、竜気循環装置の試運転を行う日だ。




