おっさんは、貧民街に向かうようです。
「封印……?」
「ああ。知識を書き記しておくよりも正確性が高いからな」
クトーは妙な空気の理由がよく分からないまま、メガネのブリッジを押し上げた。
「もちろん、今すぐにどうこうという話ではない。装置の完成までにどの程度時間が掛かるかも現在は確定していない。途中で他に何か別の方法が見つかる可能性もある」
実践にはおそらく莫大な金がかかり、それがどの程度かは試算している最中だ。
どこかホッとした空気が流れるのに小さく首を傾げた後、クトーは話を締めた。
「こちらからは以上です。可能な限り迅速に対応する気ではありますが」
「では、質問が特になければ解散しますが」
ホアンの言葉に誰からも疑問の声が上がらなかったので、お開きとなった。
「タクシャ、マナスヴィン、アーノ。……貴様らは、大会に出ないのか?」
ディナの言葉に、タクシャが苦笑する。
「さすがに、そこまでの余裕がありません。この件のためだけに来訪したので」
「そうか」
少し残念そうな様子を見せてから、彼女はミズガルズに目を向ける。
「では、ミズガルズ殿は?」
「参加するが、所詮お遊びだろう。……しかし、負けるつもりは毛頭ない」
王、という立場を全く意識していないような獰猛な笑顔を見せた覇王を、ハイカも妻となったルーミィも止めなかった。
ーーー人族で、一番の気性が荒いのは北の国かもしれんな。
そんな風に感じながら、さっさと帰り支度に入って窓から飛び立ったルシフェラを見送り、それぞれのグループで少し時間を置きながら、部屋を出る。
「この後はどうすんだ?」
「時間が空いたのでな。特に予定はないが貧民街に赴くつもりだ。それと足を崩すな。王の前だぞ」
リュウがだらしなく膝の上で片あぐらを掻きながら問いかけてくるのに答え、ついでに注意すると彼は軽く眉を上げた。
「ホアンだぜ? 他に誰もいねーんだから固いこと言うなや」
「別に構いはしないよ、クトー」
苦笑しながらホアンがとりなし、パチンと指を鳴らすと部屋の隅からゆらりと姿を見せたのは、近衛隊長でありホアンの義父でもあったセキだった。
「【時の宝珠】は問題なく機能しているようですね」
帝国の者たちが使っていたそれを、クトーは複製してホアンにいくつか渡していた。
「敬語はもう良いよ。北の【転移の札】といいこれといい、自分が使われる側になると考えると恐ろしさを禁じ得ないね」
「王城には、すでに対策を施してある」
クトーが作成したものには、セキやホアン、タイハクしか使えないように生体波形を刻んであり、それ以外のものが起動すれば結界が干渉して無効化する。
「友好国になったとはいえ、対策は重要だ」
「君は本当に抜け目がない。それに、今まで以上に知識が凄いんじゃないか?」
「リュウの昔の記憶を得たからな」
その竜の瞳で見えていたものや、永く生きる間に得た知識は、竜気を操る術を失っても消えることはなかったのだ。
「昔の俺、どんだけ賢かったんだ?」
「亀の甲より年の功、ということだろう。記憶にある限り、性格そのものは大して変わらん」
「……お前今、さりげなくバカにしただろ?」
「そんなつもりはない」
クトーがチンピラのように睨み上げてくるリュウを軽くいなしていると、ホアンが改めて問いかけてくる。
「本当に、自分を封印するつもりかい?」
「先ほども言ったが、今すぐに、というわけではない。目処が立てば、だ」
「……それでも、寂しいのは変わらないよ」
すると、セキとタイハクもうなずく。
「クトー殿は、決めたら曲げぬとは思うがのう。せめてこの老いぼれが死ぬまでは消えてくれるなと思ってはおる。面倒への対処が増えるでな」
「別の方法が見つかればいいのだがな」
「心配せずとも、向こう十年、かかる可能性も高いですよ」
「君がそんなに時間を掛けると思っていないから、言ってるんだよ」
ホアンが大きく息を吐き、リュウが立ち上がる。
「別に俺がやってもいいぞ」
「それでは意味がない」
そもそもリュウと自分では、役割が違うのである。
「行くのかい? 国主としては一刻も早くと思うが、僕個人はなるべく、君が手こずることを祈ってるよ」
「複雑な話だ。どう善処して良いか分からん」
クトーがそう答えると、ホアンは小さく顔を綻ばせた。
「ーーー人間の感情なんて、そんなものだよ、クトー」
※※※
ーーー夜も更けた頃合い。
一日遊び尽くしたレイドの面々が集まり、宴会が催された。
底無しの体力で盛り上がる連中にしばらく付き合ったクトーは、一人で店を抜け出して貧民街へ向かった。
街中も、人通りは多少まばらになっているものの、冒険者や若者たちがはしゃいでいる様が窺える。
ーーー平和だな。
そんな風に思いながら、杖をついて大通りを歩いていると、不意に声をかけられる。
「あれ、クトーさん。パーティーハウスはそっちじゃないですよね?」
顔を向けると、憲兵長のブルームがそこに立っている。
「こんな時間まで働いているのか?」
「さすがにね。騒ぎを起こす連中が後を絶たないので。冒険者同士の喧嘩の仲裁なんて本当に冗談じゃないですが」
「ランクの高い連中はそれなりに大人しくしているだろう」
何せここは、ギルド本部のお膝元だ。
ユグドリアがBランクで構成された暗殺部隊と、秘蔵っ子のAランク冒険者たちを駆り出して睨みを利かせていることは周知してある。
「そういう面では助かってますけどね。影からいきなり出てくる黒い連中にはビビリます」
言っている側から少し遠くで騒ぎが起こる。
酔っぱらった冒険者同士の口喧嘩だ。
気が大きくなっているのか、今にも手が出そうな様子である。
「ああ、またか……」
うんざりした様子で足を踏み出したブルームだが、ぬらっと路地裏から姿を見せたニンジャ達が胸ぐらを掴み合ったそれぞれの首に手刀をたたき込み、鮮やかな手際で路地裏に引き入れて騒ぎは収まった。
「特に問題はなかったようだな」
「……ギルドの恐ろしさを体感しすぎて麻痺しそうですよ」
複雑そうな顔のブルームは、腰に手を当ててやれやれと首を横に振る。
「王に、憲兵への臨時手当でも出すように交渉しておこう」
「ぜひお願いします」
そんなブルームと別れて、目的の貧民街に足を運んだクトーは。
昔と変わらず、同じ場所に座っている浮浪者のような身なりの男の元へ向かった。
「久しぶりだな、カードゥー。それに、ケウス」
声を掛けると、どろりと濁った目をこちらに向けた後、ゆっくりと礼をするように頭を下げ。
「ーーー貴方に、最大限の感謝を。クトー・オロチ。カードゥーも同じ気持ちでしょう」
ゆっくりと頭を上げたカードゥーの目には、知性の光が……【夢見の洞窟】に住まうケウスの意識が宿っていた。




