おっさんは一人、失態を犯す。
クトーは、リュウに教えられたねぐらの近くで足を止めた。
街の正門近くにある湯畑から脇路地に入って進んだ先にあり、周りは暗い。
廃墟なのではなく、おそらく物売りや水商売、あるいは薄給で働いている人々が住まう区画なのだろう。
物売りは朝が早いために眠り、水商売は今が仕事の時間。
そして薄給の者たちは、金がなくて明かりをつけるのが勿体ないのだろうと思われた。
立ち止まったのは、目的の建物からもれる光に違和感があったからだ。
軽く目を細めて見つめるが、窓が開いているのに明かりが風に揺れていない。
「【光石】……?」
クトーは、小さくつぶやいた。
光石は魔法の品……すなわち魔導具だ。
高級旅館であるクシナダのところですら、温泉の洗い場でしか見かけない。
見かけない理由は単純で、それ自体があまり作られていないからである。
「相手に、魔導師がいるのか……?」
魔法を使う相手なら、少し用心が必要かもしれない。
クトーは、もう少しねぐらを観察しようと旅杖を地面に立て、柄頭に両手を添えた。
道具というものは、基本的に『誰でも使える』ものでなければ普及しない。
定量の魔力を吸い上げて輝きを放つ光石はカバン玉よりも簡単に作れるが、誰でも使えるものではないのだ。
一度魔力を吸って輝き始めると半日光り続けるのだが、それこそ作る側である魔導師にとっては、自宅の明かりやダンジョン、洞窟に潜る時くらいしか使い道がない。
「ふむ」
クトーは考えた。
元々、襲撃や強襲には不確定要素が多いが、魔導師が相手だと状況次第で不利になる。
光石は高くもないが安くもない。
場末に住む者が、わざわざ明かりのために購入するとは考えにくい代物だ。
ーーー昔はそれなりに作られていたが。
昔、魔王が存在していた頃は多くの魔物が街の近くでも活発に活動して地下に巣を作り上げ、それを退治する為に必要だったからだ。
だが平和になってからは、大きな街道での護衛や、そこに出没する魔物討伐などが冒険者の主な需要になっている。
交易が活発になるとともに需要が増え、危険なダンジョンに潜ったりという仕事をしなくとも十分稼げるようになったからだ。
ーーー便利なんだがな。
もちろん、利点ばかりではない。
光石は消耗品で、定期的に買い換えないと光が弱くなり、やがて使えなくなる。
買い求める者が少なければ、作られる量も減るのは自明の話だ。
冒険者をしている魔導師などは、基本的に物作りよりも攻撃や補助などの魔法を使う事を求められる。
引退した者も知識を活かした薬作りなどで生計を立てられる上に実入りが良いので、作るにしてもとしても自分が使う分だけだ。
ーーー後は魔力か。
魔道具を使うには当然、魔力がいる。
大体10人に1人程度の割合で存在し、普通はレヴィのように一切魔力のない者が多い。
また光石くらい微量の魔力消費でも、多少素養がある程度では魔道具を使うだけで疲れる、という側面がある。
ドワーフやエルフなどは、持たない者の方が珍しいらしいが。
旅館では、温泉を照らす光石はクシナダが光らせているらしく、彼女の魔力量はそこそこあるようだ。
が、それだけでは魔導師とは呼べないし、そもそも彼女に光石そのものは作れない。
ーーー商売になりそうだな。今度ホアンやギルド総長、ファフニール辺りに提案してみるか。
観察の間に、うっかり商売のタネを見つけてしまったクトーは、結局建物には特に動きがなかったので近づいてみる事にした。
足音を立てないよう、闇に潜んでゆっくりと歩き出す。
光石を大通りを照らす街灯や、あるいは人々が住む家の居間だけでも使えば、最終的に経費が油より浮く。
作る魔導師も専属で、供給量に応じて安定的に暮らせる程度の金を出せば引き受けるだろう。
魔力がなくては使えないなら、光石をつけて回るくらいなら苦にならない魔力量を持つ者を雇い入れればいいだけだ。
街灯の油と火を入れる仕事は実際にあるから、それに合わせてルールを作ってしまえばいい。
光石を仕入れた家屋に対しても同じような役目を作る。
そうすれば魔力のない者でも安定的に光石を使える上に、生活に必要な金が、油の輸入量や産出量に左右されなくなる。
最初は国主導でやらせてもいい。
この仕事を普及させる国側で最大の利点は、貴族の子でなくとも魔術的素養を持つ子どもを見つけやすくなり、魔導師の人数を増やしやすい事だ。
魔力量は才能の類で、人為的に補える部分には限りがある。
豊富な魔力量を持つ人材は、経済・軍事、どちらの面から見ても国としては喉から手が出るほど欲しいものだ。
光石に魔力を入れる仕事そのものも、歓楽街や、このクサッツのような観光地では特に重宝されるに違いない。
ある程度、軌道に乗せてしまえば後は勝手に広がっていく。
商売とはそういうものだ。
ーーー同じように、旅館の事も自分で全て出来てしまえば簡単なのだが。
クトーは、今度は旅館経営に思考を向けた。
今回の依頼は旅館を立て直す事だけではなく、旅館の経営をクシナダ自身が維持できるようにするのが目的なのだ。
つまり彼女が出来ない事を、立て直しの要素に入れてしまっては意味がない。
クトーが軌道に乗るまで金を貸す、などという楽を覚えさせれば、彼女の今後に差し障りが出る。
騙され、奪われた金を取り戻せれば、後は経営するのに必要な旅館の『外』の見方を教えてしまうだけで済むのだが……以前も考えたとおり、そう上手くは行かないのが世の中というものだ。
クトーはそこまで考えて、軽く首を横に振った。
自分が集中していない事を感じ、深く静かに呼吸をする。
ーーーおそらく相手は格下だろうが、油断をしていい理由にはならない。
頭から余計な事を追い払ったクトーは、建物の窓からそっと中を覗き込んだ。
特に変わった点はない。
乱雑で、ごく普通の住まいに見える。
奥に人の気配があり、誰かがいるのは間違いないだろう。
忍び込むか、一気に走り抜けるか。
そう思案していると、急に奥の気配が動いた。
バタン、とドアが開閉する音がして、離れていく足音が聞こえる。
「感づかれただと……?」
クトーは、即座に足音を追って駆け出した。
耳はいい方だ。
向かった方角だけを頼りに、足音を捉えたまま疾風の籠手を使う。
体が軽くなると同時に、クトーは全力で跳ねた。
足元の遥か下に建物の屋根が見えるくらいの高さに到達すると、街路を走り抜ける大柄な黒い影が見える。
ーーーなぜ感づかれた?
周囲には人の気配も、結界などの魔力による干渉もなかった。
であれば、別の方法で監視されていた事になる。
ミズチの遠見が頭をよぎり、次いでブネを思い出した。
ーーーテイマーか。
建物をどこかから、見張っていたのだ。
その可能性に思い至った直後に、クトーは魔力の気配を感じて視線を向ける。
ほぼ横並びに近い空中に、緑の光を尾先に灯らせたブレイクウィンドの姿があった。
「なるほどな」
どうやら自分は本当に相手をあなどり、油断していたようだ、とクトーは自省した。
リュウと会話を交わした姿を、賭博場でブネに見られていたのを思い出したのだ。
相手も何も考えていないわけではないのだ。
不意打ちを仕掛けようとして、こちらが逆に罠に嵌められたのだろう。
「失態だ」
ミスをした自分に眉根を寄せながらも、クトーは魔物に対応する為にメガネに触れる。
「燃やせ」
火の矢を指先から解き放つと、同時に放たれたブレイクウィンドの風の魔法と空中でぶつかった。
轟音とともに、夜空に炎の花が咲く。
「燃やせ」
クトーは落下しながら高速で2撃目を発動し、今度こそブレイクウィンドを焼いた。
パチパチと炎に包まれながら落下する魔物は放っておいて、路地ではなく眼下にあった建物の屋根に着地する。
そして黒い影が向かった方向へ、直線距離で走り抜けた。
ミスは、挽回する。
路地に飛び降りて大柄な男の背中を視認したクトーは、三たびメガネのブリッジに手を触れた。
「凍りつけ」
駆けるクトーよりもさらに速く、青い光の筋が一直線に地面を走って逃げる男の足を凍りつかせる……はずだったのだが。
「……!」
クトーの魔法は必死で走る男に到達する直前に、脇路地から放たれた、地面を走る黄色の衝撃波にかき消された。
見覚えがある。
モンクのスキルである【地走り】だ。
衝撃波は氷の魔法とぶつかった地点で炸裂して、巻き上がる砂ぼこりで視界をふさいだ。
クトーは、砂ぼこりの中に跳躍して突っ込みながら、脇路地に目を向ける。
こちらに目を向けたまま後ろ向きに跳び退った誰かが、路地奥の闇にまぎれたところだった。
敵の仲間が待ち伏せていた、にしては追撃がないままにクトーは砂ぼこりを突き抜ける。
「どういうつもりだ……」
衝撃波を放った相手の気配は消えていた。
そして距離は少し開いたが、まだ逃げる男自体は追えないほどではない。
逃げる男を助けたのではなく、こちらをどこかに誘導しようとしている。
クトーはそう感じた。
頭の中に地図を思い浮かべ、逃げる男の行く手を推測したクトーは、思い至った可能性に不審を覚える。
案の定。
「地主の屋敷、か」
男が逃げ込んだ先は、その屋敷の門扉の向こう。
目の前で、入ってこいと言わんばかりに開け放たれた先は暗く、静まり返っていた。




