最強パーティーの雑用係。
ーーーしゃらん、と。
静止した戦場で、【四竜の眼鏡】に備えられた、落下防止の細い銀のチェーンが微かな音を響かせて肩に落ちる。
相手の大剣は、体をかがめたクトーの肩口をかすめ、横の地面に突き刺さっていた。
「ハハ……」
魔王サマルエは、偃月刀に深く胸を貫かれたまま、その大剣の柄から手を離す。
「本当に……最後の最後まで本当に邪魔してくれたなぁ……。一体何なんだろうね、あの娘。君より理解出来ないかも知れないなぁ……」
「……俺が今まで見てきた中で、最高の資質と根性を持つ少女だ」
「あっそ……でも君も、せっかくのこの状況で、人の手ばっかり借りてさ……一人じゃ、何も出来ないのかい?」
「その通りだ」
クトーは偃月刀を引き抜き、眼鏡のブリッジを押し上げる。
「一人で出来ることなど、たかが知れていると、今まで散々学んできたからな」
「つまんないな……ほんと、興醒めだなぁ……」
ドサリと膝をついたサマルエは、全身から瘴気の煙を揺らめかせながら、徐々に指先から灰と化していく。
「これで、終わりかぁ……」
「ああ。貴様は今ここで、貴様を想ったトゥス翁らと共に消えるのだ」
嫌そうに顔を歪めるサマルエに、クトーは淡々と言葉を重ねた。
「俺はこれからリュウを、そして仲間たちを宿命から解放する手段を探す。……貴様と同様に」
そう伝えると、魔王はチラリとレヴィに視線を送ってから、おかしそうに少しだけ目を伏せた。
「僕と同じように、だって?」
再び目を上げたサマルエは、未だ覇気を失っていない顔で、狂気を感じさせる笑みを作る。
「さっきから何を言いたいのか知らないけど……君の考えは、間違ってるなァ!! 僕は、僕のためにやったんだ! 全部ね! 全部だ!!」
「そうか」
そう言って、己の体が崩れるのにも構わずに高らかに嗤う魔王に、クトーは反論しなかった。
「僕は竜脈に散ったまま、君の活躍を眺めることにしよう。まだ邪神が残ってる。君がどう対抗するのか見ものだね!」
「もう復活はしないのか?」
「トゥス爺ちゃんやウーラのお婆の加護がなきゃ、僕が生き返る方法なんてないからね」
それは、魔王の初めての自嘲だった。
「失敗したなぁ」
「成功の間違いではないのか。……最後に教えろ。邪神とは何だ?」
「僕の予想だと、魔王の進化系、かな? ……よその世界を喰い尽くした後に、世界の外側を漂う存在……同じように、世界を崩壊させるほどの竜気を蓄えた勇者なんかも、いるかもね……」
ぷにおみたいにさ、と、膝をついて、灰化しながら嗤うサマルエに、クトーはうなずいた。
「なるほどな」
「君の絶望を期待してるよ、クトー・オロチ。君が失敗すれば、邪神に対抗する術はない。この世界の完全な勇者と、同じく魔王の力だけじゃ、きっと足りないからね……」
サマルエの口調は、本当にこれで終わりなのだと、そう感じさせるものだった。
「そうならないように努力しよう」
クトーはファーコートの裾を翻して背を向けようとして……ふと、一つだけ言っておきたいことを思い出した。
「仲間の幸せは、ありとあらゆる全てに優先する。ーーーその志は、トゥス翁も同じだったようだ」
「……?」
「貴様のことを頼む、と、彼はそう言って消えた。きっちりトドメを刺して欲しい、とな」
翁ほど、人を見る目のある存在はそうそう居ない。
サマルエの狙いすらも、彼はきちんと見抜いていたのだろうと、その一言で分かった。
どこまでも悪逆で、愉悦を追い求めているように見えたサマルエを。
最後までトゥスは『悪ガキ』と、親しみを込めてそう呼んでいたのだから。
クトーらにとっては仇敵であろうと。
あの仙にとってはこちらと等しく、サマルエも仲間だったのだろう。
「ハハ……トゥスも、そして君もそうだ、クトー・オロチ。仲間以外は本質的にどうでもいいんだよね? 正義と呼ぶには、利己的で傲慢だよね……」
両腕が崩れ落ち、半分崩れた顔で、まだサマルエは笑みを消さない。
最後の最後まで、呪詛に似た言葉を吐き続ける。
それが己の役割であるとでも、言いたげな様子で。
「君たちと、自分以外の命なんてどうでも良いと思っている僕は、一体何が違うんだい?」
「何も違いはしないな。ここで決したのは、エゴをぶつけ合ったお互いの勝敗だけだ」
彼の言葉通り。
クトーも、サマルエも、そしてトゥスも。
正義と呼ぶにはほど遠い理由で、動き、戦った。
「人は、己の信念に殉ずることを、時に正義と呼ぶ。一面においては、個々の信念と勝敗によって正義の在りようが決まるのだろう」
ゆえに悪の正体を、己の正義に反する他者の正義であると言えるのだ。
しかしクトー自身が、自らを正義と思う気持ちは微塵もない。
だからこれは、世界を救う聖戦などではなかった。
ただの、お互いの目論見と私怨による戦いに過ぎないのだ。
「俺と貴様が仲間たちの自由のために動いたことを、後に他者が悪、あるいは正義と呼ぶのなら、俺達はお互いに〝正義を騙る者〟だ」
クトーは、死にゆく魔王に言葉を手向ける。
「己の正義に殉じて死ね、サマルエ。ーーーだが、世界安寧の礎を永く務めたことには敬意と謝意を示そう、救世の神魔よ」
いかなる事情があれど、仲間を脅かし、レヴィを殺そうとしたことを赦すつもりはない。
しかし、それとは別に。
「俺にとって貴様は決して、虚構の存在などではなかった」
クトーの言葉に、嬉しそうに、魔王が目尻を下げる。
まるで、こちらを憧憬するような眩しげなその顔に、苛立ちを覚えた。
「……そんな顔を出来るのなら、なぜ復活した後にまで俺に拘った。大人しく翁らと共に宿命を捨て、自分の生を生きようとは思わなかったのか」
「生きたよ。僕は、僕の望むままにちゃんと生きたさ。君と出会えて良かったよ、正義を騙る修羅ーーーいや〝人間の勇者〟クトー・オロチ」
「あいにく俺は、ただの人間以外の何者でもなく、大層な名を背負うつもりもない」
最後のトドメに、竜の勇者の力を使ったため、もう竜気と魔王の力を操る手段は失った。
今のクトーは、これまで通り。
「ーーー俺はただの、【ドラゴンズ・レイド】の雑用係だ」
「アハ……君はブレないね。それでこそ君だ」
「もし他に手段がなければ、邪神の復活に併せて貴様にも、去った神々にも働いて貰う。復活の方法を探してな。その時は、邪神を滅ぼすのに協力しろ。貴様が本当に滅ぼしたかったのは、そんな運命を貴様に課した邪神だろう?」
サマルエは軽く驚いた顔をして、すぐに首を横に振る。
「ゴメンだね。僕はもう満足だ。……でも優しいな、クトー・オロチ。もっと好きになっちゃうよ?」
「ふざけるなよ」
クトーは今度こそ、魔王に背を向けた。
「三柱とともに眠れ。ーーー〝真なる魔王〟サマルエとして」
彼が消え去るその瞬間の表情を、クトーは見なかった。
※※※
「終わった……?」
「みたいだな」
武器が消え去り、尾が消え去り、いつもの姿に戻ってクトーがこちらに向けて歩み寄ってくる。
その姿を眺めてレヴィがつぶやくと、ミズチの肩を借りて近づいてきたリュウが応えた。
「今度こそ、全部終わった。お前もいい働きしてたな」
「うん……」
リュウに褒められて嬉しいが、決して最後の一撃はレヴィだけの力で成し遂げたことではなかった。
ぷにおが、トゥスが、そしてメリュジーヌや女神ティアムが……そしてレヴィに手段を与えてくれた多くの仲間たちの力があってこその結果だ。
それに、支払った代償もまた。
ーーー私が次の魔王、ね……。
正直実感は全く湧かない。
クトーたちに、それをどう伝えていいかも、まだ迷っている。
でも、今は。
「勝ったのね……」
言いながら、レヴィは立ち上がる。
正直、足はガクガクだ。
でも、これだけはやらないといけない。
気合を入れて、目の前に来たクトーをレヴィは見上げる。
ーーーちょっと遠いわね。
見た目ヒョロいくせに、このムッツリ眼鏡は背が高いのである。
そんな風に思っていると、彼はいつも通りの無表情で問いかけてくる。
「体は大丈夫か?」
「大丈夫なわけないでしょ。……でも、とりあえず生きてるわ」
「そうだな」
「クトー。ちょっと屈んで」
レヴィは、右手を上げてクトーに手招きする。
「む? なんだ?」
軽く首を傾げてから、言ったとおりに背を丸めたクトーに。
「あのね……」
レヴィは話しかけながら。
ーーーその頬を、思いっきり張り飛ばした。
パァン、とクトーの頬が高らかに鳴る。
「は!?」
「え……」
目を見張るリュウとミズチを放っておいて、レヴィは思い切り、呆気に取られた顔をしているクトーを怒鳴りつけた。
「命と自由は……仲間だけじゃなくて、自分の分も守りなさいよ! このバカ!!」
レヴィは腰に両手を当てて、胸を逸らす。
文句は全部が終わった後で言う、と。
ちゃんとそう伝えていたはずである。
「たまたま生きてたから結果オーライじゃないのよ! ほんといい加減にしなさいよね!!」
「……すまん」
なぜか、とても素直に謝られた。
それに一つうなずき……やることをやって、力が抜けたレヴィは、ふらりと倒れこむ。
その体を、クトーに受け止められた。
「……頬がヒリヒリするな。怪我よりも痛い」
「当たり前でしょ。私の気持ちがこもってんのよ、気持ちが」
クトーの首筋に手を回し、レヴィは力を込める。
ーーー生きてて良かった。
※※※
「二度とやらないでよね」
「……ああ」
顔が見えないまま、涙声でそう言われたクトーは。
そっと彼女の背中に手を回し、軽く力がこめた後、そっと彼女を抱き上げる。
軽く、華奢な少女だ。
それでも、レヴィはここまで戦い抜いた。
リュウに負けず劣らぬ、立派な戦士だ。
「戻ろう。仲間たちが待っている」
リュウとミズチに目を向けてそう告げると、彼らは笑いをこらえるような、なんとも微妙な表情で顔を見合わせると、それぞれにうなずいた。
「そうですね」
「帰って飯だ。腹減ったなぁ……」
〝絆転移〟で戻り際に、クトーは『門』に目を向け、そこに渦巻く力の奔流に目を向ける。
リュウを縛り付けている本当の敵は、その力なのだ。
ーーー意思もなく、ただそこに在るだけのモノには、負けん。
改めてその景色を目に焼き付けた後。
クトーは、腕の中のレヴィに目を向け、まじまじとその顔を見つめる。
「……なに?」
「人竜の姿もニンジャ姿も、着ぐるみ毛布もいいが」
レヴィの頭のセンツちゃんの髪飾り……最初に彼女にプレゼントしたそれに触れ、クトーは彼女の頭を撫でる。
「……やはり、素のままのお前が、一番可愛らしい」
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。
大きなエピソードはこれで終わり……と言いたいところなのですが、まだやりたいことが一個だけ残っているので、エンディング(というには多分数万文字レベルになるであろう)が少し長くなります。
もうちっとだけ、続くんじゃ。




