閑話:少女の貰った香り袋。
クトーとリュウが話をする前日の夜。
以前と同じ声音で、黒いキモノの男が目の前に座る男たちに告げた。
「どう落とし前を付ける気だ?」
彼らは川の上に浮かべられた屋形船の上におり、黒い着物の男はキモノの女性から酌を受けている。
空は晴れ、月が美しく浮かんでいた。
その前に座るのは以前と同じく4人の男たちだが、当然ブネの姿はない。
ブネに従え、と言われた礼服の男と、以前は後ろに座っていた男の1人が前に出ていた。
冷や汗を流す後ろの2人は、体がデカい男とふとっちょ……ノリッジとスナップ。
前に出て、平然としているヒゲ面の男はデストロだった。
レヴィを騙そうとしてすぐに捨てた3人パーティーは黒いキモノの男に従う小物たちだったが、デストロだけが変わっている。
彼の目は、以前のブネと同様に眠たげで、感情の動かないものになっていた。
「相手は思いのほか手練れでしたが、実力は把握しました。おそらく、次の策は問題ないでしょう」
「ほう」
黒いキモノの男は冷ややかにデストロを見つめるが、彼は平然とした態度を崩さない。
前はノリッジやスナップと同じように怯えていた男とは、まるで別人だった。
「オーツでの荷の奪取に関して、周りをうろちょろしていた男にわざとこちらの後をつけさせました」
「それで?」
「以前、その男が旅館の客と顔なじみであるのを目にしましてね。もしかしたら、繋がりがあるのではないかと」
デストロは、黒いキモノの男が機嫌をこれ以上損ねないうちに、すぐに本題に入った。
「もし可能でしたら、今向かっている建物を、全面的に貸し出していただきたく思います」
「理由は」
「2つ。1つ目は、最近オーツの辺りにいたBランクの魔物を馴らす事に成功しましたので、すでに地下に秘密裏に入らせております。もう1つは、邪魔をする連中をそこにおびき寄せて……」
「始末するか?」
黒いキモノの男は動じず、デストロの言葉を引き取った。
今、彼らが船に揺られて向かっている建物は、表向き黒いキモノの男が所有するものではない。
死体が出たところで黒いキモノの男には痛くもかゆくもなく、彼はそもそも、証拠を残すような始末の仕方をした事がなかった。
デストロはうなずいて、話を先に進める。
「はい。手は打ってあります。可能であれば、今お使いになっている屋敷も一両日中に手放していただけるとありがたく存じます」
「……随分と損をさせる気だな」
「一時的にで構いません。人の所有物にしていただき、ほとぼりが冷めた頃に戻っていただければ」
デストロはそのまま、黒いキモノの男の気持ちを誘導する。
「賭け事は、私も好きでして。……そして当然ながら、勝つ方が気持ち良い」
その言葉に、初めて黒いキモノの男が表情を変えた。
軽く目を輝かせて笑みを見せる。
笑みに浮かぶのは、まぎれもない狂気だ。
「なるほど。上手く行くかを賭けるのか?」
黒いキモノの男は、賭博狂いだった。
賭けの相手をさせるのはいつも、自分よりも遥かに財力のない連中か、力で叩き潰せる相手。
自分が負け続けるだけその分を上乗せして賭ける、あるいは絶対的に優位な状況で相手の絶望した顔を見るのが何より好きだという、タチの悪い男なのだ。
デストロはそんな彼を冷ややかに見ながら、返答する。
「上手くいけば、今までのしくじりを帳消しに」
「いいだろう」
負けた時の条件を、黒いキモノの男は提示しない。
デストロはその理由を理解していた。
何故なら、ここでしくじれば3度目だ。
彼にはもう、死か逃亡以外の選択肢はない。
「で、どうする気だ?」
「おびき寄せて殺せれば僥倖。無理でも、手はもう1つ打っておきます」
その内容を説明すると、黒いキモノの男は満足したようだった。
しばらくして屋形船が岸につくと、男たちだけがぞろぞろと降りる。
周囲に人の姿はなく、馬車が1台止まっていた。
まず礼服の男と黒いキモノの男が、続いてデストロが乗り込み、ノリッジとスナップは御者台へ座った。
他の3人と離れた2人の下っ端はホッと顔を見合わせた後に、馬車を走らせる。
デストロが揺れる馬車の中で再び口を開いた。
「策が上手く行けば、ショーをお見せしましょう」
「どんな?」
そこで初めて、デストロの目に感情の色がよぎった。
わずかに浮かんだのは、喜悦。
彼は声音は変えないままに、黒いキモノの男をチラリと見る。
「魔物による、冒険者の殺戮ショーを。1人は女です」
「楽しみにしておこう」
それ以降は会話もないまま、馬車は夜の街へと消えた。
※※※
「少し出かけてくる」
風呂上がりに、冒険者服を着ろ、と指示されて言われたとおりに部屋に戻ったレヴィは、クトーがそう言うのに首をかしげた。
「どこ行くの?」
「妨害をしていた連中のねぐらを見つけたので、潰してくる」
まるで散歩に行くような口調のクトーに、部屋の中でキセルを吹かしながら庭を見ていたトゥスが振り向いた。
『嬢ちゃんは連れていかねぇのかい?』
「危険がないとは限らないからな」
その言い方に、レヴィはかちんと来た。
「何? 私は役に立たないってこと?」
装備も新調し、スタンダウト・シャドーも始末して、ダンジョンアタックでも別にクトーの手をわずらわせる事はなかった。
足手まとい扱いされるのはムカつく、と思っていると、クトーは少し不思議そうな顔をした。
彼のあまり動かない表情の差が、レヴィはだんだん分かるようになっていた。
「何を言っているんだ?」
「え?」
銀縁メガネの奥にある青い瞳で見つめられると、ちょっと落ち着かない。
自分が間違った時とか、可愛いとか言い始める前に、クトーはそんな目でレヴィを見つめる。
「旅館のほうが、危険かもしれないと言っている。護衛しておけ」
護衛。
誰が?
クトーの言葉の意味がよく分からないでいると、彼は外套をバサリとはおって、レヴィに近づいてきて手を差し出した。
黒い手袋の上に、香り袋が乗せられている。
「何これ」
「中に、俺に通じる風の宝玉が入っている。もし何かあれば、連絡しろ」
袋からふわりと匂うのは、クトーからいつも漂う香りだ。
彼の手からそれを受け取ると、クトーはかすかな微笑みを浮かべてくしゃりとレヴィの頭を撫でた。
いつもの撫で方よりも、少し力がこもっている。
「お前が、クシナダの護衛をするんだ。ヘマを打つなよ」
そう言い置いて、クトーは出ていった。
撫でられた前髪に触れると、指先に当たるのはクトーから無理やり付けさせられた髪飾りだ。
クトーに頭を撫でられるのは、嫌いじゃない。
『どうしたね、嬢ちゃん』
言われてハッと顔を上げると、トゥスがニヤニヤとこちらを見ていた。
『いいねぇ、いいねぇ。青春さね』
「な、何がよ!?」
『ヒヒヒ。照れてるねぇ』
カッと頬が熱くなる。
思わず身構えたレヴィを、からかっているのかと思ったトゥスは、いつもと少し違う笑みでキセルをくわえた。
『兄ちゃんも、キザさね。ま、自覚はねぇのかも知れねぇがね』
「どういう意味?」
『嬢ちゃんは、その香りを持つ花の名を知ってるかい?』
唐突に、トゥスがそう問いかけてくる。
「……分かんない」
花の名前は知らない方ではないと思う。
でも、自分が住んでいたところにはこんな匂いの花は咲いていなかった。
『この王国の北半分によく咲く花でね。イリアスという名前さね。わっちが昔住んでたとこでは、ハヤメと呼ばれてたねぇ』
「イリアス……」
『そう。そいつの花言葉はね、嬢ちゃん。『知恵』や『信じる心』、あるいは『友情』『伝言』。そして『希望』だ。……意味が分かるかい?』
花言葉。
それらは確かに、クトーに似合う言葉ではあるけど、トゥスが言っているのはそういう意味ではなさそうだ。
仙人は、キセルの先でレヴィの方を示した。
『お前さんは、あれだけの男にそれを託されたんだ。わっちは誇っていいと思うねぇ。……そいつはな、嬢ちゃん。『仲間として、お前さんを信じる』っつぅ、兄ちゃんからの形のある伝言さ』
レヴィは目を見開いて、もう一度香り袋に目を落とす。
クシナダを護衛しろ、って言うのは。
クトーがレヴィを信じてそれを任せた、って、意味だと。
トゥスは言っているのだ。
「仲間……」
『足手まといを、仲間とは呼ばねぇよねぇ』
レヴィは、香り袋を握りしめた。
思わず、口もとが緩む。
「仲間……」
冒険者としてのレヴィを。
クトーははっきりと形を示して、認めてくれた。
仲間だって。
「へへ……」
嬉しい。
嬉しすぎて、視界が歪んだ。
弱くて役に立たないんじゃないか、ってレヴィが言った時、クトーはそれに関しては何も言わなかったけど。
覚えていけばいい、って。
努力する事は恥ずかしい事じゃないって、言ってた。
私は、クトーに比べたら多分、相手にならないくらい弱いのに。
「……頑張る」
レヴィがささやくようにそう口にすると、トゥスは口を曲げておどけた。
『珍しく素直さね。調子が狂うねぇ』
いつもの憎まれ口に、レヴィは軽く目じりを拭ってトゥスを睨みつけた。
「何よ。少なくとも私は、あなたよりは強いわよ」
『言うねぇ。いっつも手を貸してやってんのは誰だと思ってんのかねぇ』
トゥスの憑依術は憑かれる時の感覚は未だに慣れないけど、確かにレヴィを助けてくれる。
でも、なんだか言われ方がシャクに触るので、レヴィは舌を出した。
「その内、あなたなんかいらなくなるわよ! 私が真面目に頑張れば、クトーなんかあっという間に追い抜くんだから!」
『嬢ちゃんの口にする言葉は、いつもデカいねぇ。ぜひ見せてもらいたいもんさね、その光景を』
全く信じてないような口調で言うトゥスに対してわざと忌々しそうな顔をしてやったが、仙人は全く堪えずに、ヒヒヒ、と笑った。




