翁の大罪、輪廻の変遷。
トゥスが一度、目を閉じてから、最後の印を組み終えると。
【情熱の実】が弾けて、クトーの体に赤い雫のような光が降り注いだ。
それと同時に、凄まじい情報の洪水が頭の中を流れていく。
原初の勇者が、最初の魔王を倒すまでの旅の道程。
その後、おっとりとした聖女と結婚し、生まれ落ちた赤子を腕に抱いた喜び。
娘の遊び相手にしようと、拾ってきた卵から生まれたぷにお。
すくすくと育ち、肌は白いがレヴィに似た姿の娘が見せる笑顔。
平和を維持するために、人同士の争いに自らが住む辺境が巻き込まれないよう、ぷにおと共に守る過程。
そして、娘の運命を知った時の、絶望。
ぷにおと共に、スキル《凌駕する者》を作り出し、平和を願う娘に与えて魔王となる運命を拒絶したこと。
その後に、勇者である自身と、魔王という存在について真剣に考え始め、至った結論。
妻と娘を見送り、世界を安寧に保つ手段を模索し、娘の拒絶した力と自分の力を苗床に生み出した世界樹。
しかしそれすらも、ただの時間稼ぎにしかならず、答えも分からないままに彷徨い続けた後の記憶に……1組の、男女の研究者の姿が、あった。
若いが、そして今とは似ても似つかないが、それは若き日のトゥスと、メリュジーヌだった。
彼らは、原初の勇者が捨てた肉体を、巨大な光る緑の液体で満たされた透明な魔導柱に封じ、目を輝かせていた。
そうして彼らの手によって生み出されたのは……【竜気炉】。
発展し、みるみる内に天空に浮かぶ都市を作り出し、そこで過ごすのは、勇者の力の恩恵を受けて銀の髪を持つ、古代都市の民らの姿。
そして、生まれた邪神によって突如崩壊する天空都市と、生き続け、崩壊を生き残り、それを目の当たりにし……原初の勇者の魂に導かれた彼らが出会ったのは、幼い姉弟。
ティアムと、サマルエ。
ーーー翁。【竜気炉】を生み出したのは……。
『そう、わっちとウーラさ。……仙人なんざ、とんでもねぇ話なんだよねぇ。わっちは、勇者の体を賢しらに弄り回して復活できねぇようにした挙げ句、世界に邪神を産み落とし、この世界の現状を生み出した元凶さね』
ヒヒヒ、とトゥスは、いつもの皮肉な笑みを浮かべて自分を嗤う。
『その罪の重さから逃げ出して、時の神なんぞと崇められて良い気になってるよーな、自分の好奇心に逆らえもしない、ゴミみてぇな人間の、残りカスなのさ』
ーーー翁は、自己卑下が過ぎる。
クトーが、原初の勇者の記憶に見たトゥスは、決してそんな人間ではなかった。
確かに最初は、好奇心に支配されていたのだろう。
だが【竜気炉】を作った後は、人の発展に、他者のより良い生活のために尽力し。
邪神が現れて後は、己の罪の重さを悔い。
ティアムとサマルエと共に〝永遠の円環を成す蛇〟の人柱となることを選んだ時は、彼らに深く頭を下げていた。
ーーー邪神の出現は、誰にも予測は出来なかったのだろう。翁だけの罪ではない。
『ヒヒヒ、兄ちゃんは優しいねぇ。次は、わっちの最後の大仕事さね。……時を戻すぜ、兄ちゃん』
しみじみとそう呟いたトゥスは、笑みのままに、決意を秘めた目でクトーを見る。
『そして、お別れさね。……〝天元行躰神変神通力〟』
※※※
時の止まった世界で。
トゥスとクトーのやり取りを、動けないままに眺めていたティアムに、ウーラヴォスが語りかけてくる。
ーーーフェッフェ。どうやら、そろそろ消える頃合いかねぇ。
ーーーそうですね。
ティアムは、静かにこれまでの歩みと、これからを想う。
叶うことならば、クトーやリュウに、お別れを言いたかったが、自分たちの為してきたことを考えれば、それは望み過ぎだろう。
『永い事、巻き込んで、付き合わせて、すまなかったねぇ』
そんなウーラヴォスに、ティアムは心の中で首を横に振る。
ーーー自分が選んだ道です。誰に強要された訳でもない……私も、そして、サマルエも。
共に崩壊を生き残った弟が、どういう気持ちでいたのかは、ティアムには分からない。
だが彼もまた、彼自身で考えて、今の道を選んだのだ。
『アタシらは、自分らの尻拭いを、後に託してばっかりだった。多少なりとも、気持ちのいい若人達に、最後の一瞬だけでも、役に立ててたら嬉しいんだけどねぇ……』
トゥスの術式には、ティアムと、そしてウーラヴォスも力を貸していた。
時間逆行の術式には、膨大な力と繊細なコントロールが必要になる。
過去の運命を変えてしまうことが、極力ないように。
トゥスとぷにおは、クトーやレヴィの死が、未来において身代わり人形によって免れることを確定させたのだ。
ゆえに、彼らが戻った過去で死を回避しても、逆行の反動でその足音が追ってくることはない。
トゥスの術式が、発動する。
ーーーお別れです。リュウ。貴方の強い意思が、彼の存在をもたらした。
己の存在全てを、そしてティアムとウーラすらも、術式の力に変えて。
ーーー貴方に、勝利を。クトー・オロチ。
肉体が、魂が、光の泡となって消えていくのを感じながら、ティアムは銀髪の男を見つめ続けた。
※※※
ーーー時を戻す、だと?
『そうさね。そしてわっちは消える』
言葉通り、元々半透明なトゥスの体が、さらに色を薄めて消えていこうとしている。
ーーー待て、翁……!
『いくら兄ちゃんの願いでも、そいつだけは聞けねーねぇ。はるか昔、ウーラと一緒に竜気炉を造っちまった罪は、これっぽっちの手助けじゃぁちっとも拭えねぇだろうが』
ヒヒヒ、とトゥスは片目を閉じる。
『最後まで無責任だが……ま、そいつがわっちの信条さね』
ーーー翁!
『またいつか、時の彼方かどっかで、会えたら良いねぇ……そしてサマルエの悪ガキを頼むさね、兄ちゃん。きっちり終わらせてやってくれ。それと、一個言い忘れてたが』
トゥスの姿が完全に消える。
最後に残った、穢れのない、透き通った青色の魂すらもが宙に溶けて。
……兄ちゃんは、メガネを掛けてる方が男前だねぇ?
そうして、時間が、巻き戻る。
※※※
「え……?」
ふと、レヴィを膝に横たえていたミズチが気がつくと、ティアムとメリュジーヌの姿が消えていた。
「え……?」
リュウが、何かを知っている様子で奥歯を噛み締める。
何が、と問いかけようとして、ミズチは彼の目がクトーとサマルエの戦場を見つめていることに気づき、そちらに意識を向ける。
ーーークトーの眼鏡が、大剣に引き裂かれて宙を舞った。
「……! ……!?」
そこから起こった事を、ミズチが理解したのは全てが終わった後だった。
息を呑んだ瞬間に、膝の重みが消え。
視線を動かす前に、その理由が戦場の中にあった。
魔王が大剣を回転させる軌跡を描き、同時にクトーが刺突を放つ気配を見せた瞬間。
「ーーー《魂魄回帰》」
魔王がカウンターの刺突を放ち。
「〝絶不・真竜一威〟ッ!!」
その直後に、鈴の鳴るような声音に合わせて、魔王の攻撃が弾け飛ぶ。
竜の勇者のみが振るえるはずの、最強の一撃。
それを行使したのは……両手にニンジャ刀を握り、竜翼を背負った、一人の少女だった。
「レヴィさん……!?」
「あいつ、やりやがった!」
ミズチが目を見開くと、横のリュウがグッと拳を握り締める。
膝の上から一瞬にして姿を消した少女の援護を受けて、クトーが軽く飛び退った。
「ッ……君はいつも邪魔だな!」
「あらそう? お褒めに預かり光栄だわ!」
そのまま、ニンジャ刀を振るって魔王を下がらせたレヴィが、クトーの横に立つ。
すると、クトーが不意に腕を上げた。
※※※
「助かった」
クトーはレヴィに声を掛けながら、シャラン、と音を立てながら落ちてきたものを手にする。
それは、先ほど……時間が逆行した瞬間に破壊され、吹き飛ばされた【四竜の眼鏡】だ。
「言いたいことが山ほどあるけど、とりあえずどういたしまして」
レヴィはサマルエから目を離さないまま、機嫌が悪そうな様子で吐き捨てる。
彼女は、真っ白だった武装が黒く染まり、金色の装飾が施された姿へと変わっている。
同様に、両手に握ったニンジャ刀も同じような装飾のものに変化していた。
ーーー【黄竜のニンジャ刀】、とでも呼べる姿に。
「どうした? 機嫌が悪そうだが」
「今言ったでしょ。文句は後で言うわ」
「ふむ、分かった」
クトーは、手にした眼鏡に竜気を込める。
すると、壊れた眼鏡が再生した。
そのままクトーは、こめかみから流れて目に入った血を拭うと、チェーンを、シャラリと首に掛けて、眼鏡を掛け直す。
そして魔王に目を向け、唇を引き結んだ。
ーーー翁。
仲間を失うのは、何度経験したって慣れはしない。
だが、彼らが作ってくれたこの機会を、逃すわけにはいかない。
『サマルエの悪ガキを頼むさね、兄ちゃん。きっちり終わらせてやってくれ』
そう、頼まれた以上は。
ーーー望み通りに全てを終わらせて、後を引き継ごう。安らかに眠ってくれ。
クトーは感傷を振り払い、手にした偃月刀を変化させる。
勇者の記憶と、力と。
そして、魔王の力。
それらが組み合わさり、〝英雄形態・大蛇〟によって現出した武器群が変化する。
両翼は、上翅が両方とも【天竜の狙撃銃】に。
下翅は、【双竜の魔銃】の刃が銃身と一体化して、より投擲に適した形状に。
そして背に負った【真竜の大剣】が下を向くと、柄が背骨と一体化して、刀身が刃を持つ鞭のように多節に変化して尾となる。
そして【死竜の杖】と【真竜の偃月刀】が一体化し……白と黒の装飾を持つ、木製の柄を持つ偃月刀と化した。
ーーー【始竜の偃月刀】。
「再戦だ、魔王サマルエ。ーーー今度こそ、息の根を止めてやろう」




