おっさんと、少女と。仙人と、小竜と。
「クトーが死んだ……?」
レヴィは、ぷにおの言葉の意味がよく理解出来なかった。
「何を言ってるの? あなた」
『真実である』
ぷにぷにという鳴き声に重なって聞こえる重々しい意思に、レヴィは思わず彼を睨みつける。
「そんな訳ないでしょ? だって、私が庇ったはずじゃない!」
『……ふむ。記憶が途切れているのであるか』
ぷにおがぽむ、と短い両手で柔らかそうなお腹を叩くと、闇の中に映像が浮かび上がった。
そこに映っているのは、色の消えた世界で胸元を【真龍の大剣】に貫かれたクトーの姿。
「ーーー!?」
『あの後、汝が倒れたことで激昂したクトー・オロチは、神々の力で世界の内と外を繋ぐ門前に転移したのである。そして魔王との相討ちを狙い、負けた』
「相、討ち……」
レヴィは、頭の中が真っ白になった。
クトーが危機に陥ることは、多々あった。
それでも、いつだって、最後は。
なのに。
レヴィは、両拳を、爪が皮膚に食い込むほどに握り込む。
「何で……何でクトーが負けるのよ!? あり得ないでしょ!?」
『この世にあり得ないなどということは、それこそあり得ないのである。しかし雌雄はまだ決していない。クトー・オロチは、最後の魔法を行使し、時を止めた』
ぷにおは、チラリと映像に目を向ける。
すると、魔王の頭の上に、見慣れた姿とは少し違うが、いつも通りの笑みをニヤニヤと浮かべたトゥスが現れた。
灰色の世界の中、クトーの真っ白な礼服姿と、彼が流す背筋が凍るほどの量の赤い血と、青い光を放つトゥスだけが鮮やかに浮かび上がっている。
『しかし、もう力は残っていない。我が主人の魂を持つ者よ。汝は選択せねばならない』
「……何をよ?」
ぷにおは、軽く目を閉じた後。
厳かに告げた。
『ーーーいづれ魔王と成る運命を、受け入れるか否かを、である』
「……はぁ?」
話が飛び過ぎていて、理解が追いつかない。
しかしこちらの混乱など意に介さない彼が再びお腹を叩くと、レヴィの胸元からふわりと浮かび上がったものがあった。
「これ……身代わり人形?」
クシナダが出発前にくれたお守りである。
『汝が目覚めぬのは、魔王の一撃により瘴気に魂が穢された故である。肉体の傷は癒えかけているが、このままでは魂が腐れ落ちて死に至る。……我が主人の魂を、喪わせる訳にはゆかぬ』
ーーー願いを叶えよ。
ぷにおが身代わり人形に願うと、身代わり人形が汚れたような色合いに変化し、さらに黒く染まり、即座に風化して崩れ落ちた。
※※※
ーーーなぜ、トゥス翁は動けている?
もう口を動かす力もないが、命だけは繋がっているクトーが心の中で問いかけると、トゥスは肩をすくめた。
『そりゃぁ、兄ちゃん。時を操るのはわっちの十八番さね。それにしても、千載一遇の好機だねぇ』
ヒヒヒ、と仙人が笑い、アゴを撫でた。
相変わらず人をおちょくるような態度ではあるが、丁度いい、とクトーは感じた。
ーーー好機、というのはその通りだな。サマルエの〝核〟を潰してくれ。
『今、そんなことに時間を使ったら、兄ちゃんが死ぬことになるねぇ。そいつはよろしくねぇし、まずもって今のわっちにゃ悪ガキを殺す力はねーねぇ』
トゥスは、二股に分かれた尾の一つを〝核〟に立てるが、スコスコとすり抜ける。
ーーー役に立たんな。どこが好機だ?
『まぁ、別のことは出来らぁってことさね。例えば、兄ちゃんを助けるとかはねぇ』
キセルをヒョイ、と宙に浮かべたトゥスは、獣の両手で印を組む。
『ーーー急急如律令』
ふわり、と浮き上がったのは、決戦の前にクシナダにもらい、胸元に下げていた身代わり人形。
それの体が突然引き裂かれると、クトーの体を、見えない力が大剣から引き抜くように後ろに下げ、致命傷を癒す。
だが、体は動かなかった。
傷が癒えても、力が戻るわけではないらしい。
見えない力に支えられたまま、クトーは引き裂かれて地面に落ちた身代わり人形を見つめた。
ーーークシナダの。
『そうさね。感謝しなよ、兄ちゃん。あの女将と、レヴィの嬢ちゃんにねぇ』
ーーー何故、レヴィに?
ヒヒヒ、と笑ったトゥスはその質問には答えず、さらに印を組み替える。
『そんな事より、わっちにはまだやることがあんのさ。ま、準備が終わるまで少しだけ、無駄話をしようかねぇ?』
トゥスは、チラリと何もない虚空に目を向けた後、背後に浮かぶ後光の輝きを強めた。
※※※
こちらにトゥスが目を向けたように感じたのと同時に。
レヴィは、胸につかえていた重苦しい『何か』が消えたのを感じた。
「……本当に効果あったのね、この人形。気休めかと思ってた」
『その身代わり人形の理は、はるか昔、我が主人の願いによって産み落とされた物ゆえに。我が主人は、大切な者が突然喪われることを憂いた東の民に、これを与えた』
ただ一度だけ、死者の蘇生以外の全てから、願われた相手を守る魔導具なのだと。
「へぇ、優しいわね。私とは似ても似つかない気がするけど、私がその主人と同じだって言うの?」
『汝は紛れもなく、我が主人の魂を持つ者である。芯が強く、自由奔放で、己よりも、大切な何者かを想う心に従う』
「……そんな訳ないじゃない」
『そんな訳ない者は、我が眷属の為に強大な敵に挑むことも、身を呈してクトー・オロチを庇うこともしないのである』
『ぷにぃ……』
ぷにおの言葉に、微かな鳴き声が聞こえて、レヴィは横に目を向ける。
するとそこに、心配そうな顔で涙を目いっぱいに溜めたむーちゃんが浮かんでいた。
「いたのね、むーちゃん」
『ぷにぃ!』
『本来であれば、即座に腐れ落ちるほどの瘴気を受けた汝の魂を、守っていたのは我が眷属である。さて、時間も早々ない故に、本題に戻るのである』
そうぷにおが口にし、三度お腹を叩くと、今度はレヴィの【カバン玉】から一つの……正直覚えてすらいなかった小さな何かが目の前にふわりと漂い出した。
「これ……世界樹の実?」
『その通りである』
帝国に入る前にチェリー・ボーイに抱きついて〝世界樹の騎士〟に選ばれた時に、トゥスに持っておいて損はないと言われ、クトーと一つずつ持っていたそれ。
レヴィのものはブラックチェリーに似た、漆黒の実である。
『世界樹は、我が主人の父が生み出したモノ。そしてこの【天地の実】は、我が主人の父が『拒絶した運命』の産物ーーー今こそ、汝に返すのである。我が主人の魂を持つ者、レヴィ・アタン』
淡々と語るぷにおの声に、レヴィは微かな翳りを感じた気がした。
『本来であれば、その実の持つ力は、汝のものであるが故に』
彼がそう口にすると同時に、映像の向こう側でも変化が起こっていた。




