魔王は、喜びに打ち震えているようです。
サマルエは、クトーを観察しながら大剣を軽く握り込んだ。
「ーーー〝神曲〟」
迎撃のスキルで、まずは〝影響凍結〟を発動する。
竜気以外の他者への影響を、全て無効化する……基本的には魔力を核とするクトーにとっては致命的なスキルだ。
先ほど借りていた仲間の力は、もうない。
ーーーさぁ、どう突破するのかな?
高揚を感じながら待つサマルエは、クトーが自分の間合いに到達した時、彼の口元が動くのを捉えた。
「〝応答の護竜よ〟」
ファーコートを含む【聖白龍の礼装】が、五色の艶めきがクトーを包み込む。
竜気の輝き。
彼の纏う光と〝影響凍結〟の結界がぶつかり、その影響を遮断する。
ーーーへぇ。
聖白竜から得た装備の力に、サマルエは感心した。
おそらくは、ファーコートの方はぷにおから貰ったものなのだろう。
装備自体があの強大な聖白竜と繋がっているのだ。
ーーーやるね。でも、魔力は使えるのかな?
サマルエは、背中に生えた6対12枚の翼ーーー最大威力の《獄炎翼翔》を発動する。
先ほどは氷結の魔法で弾いたが、今回はいかにクトーといえど、ただの中位魔法で対抗は出来ない。
魔力を核に竜気を纏わせる、魔力と竜気を併用する煩雑な術式では尚更だ。
もし竜気魔法であっても、氷の上位魔法を扱えず、魔力を込めるにも媒介を必要とする人間の身では、サマルエが使う全力の龍気魔法と同等の威力は即座には出せない。
燃え上がった翼が、偃月刀を構えたクトーを呑み込み、焼き尽くすために鋭くその先端を伸ばして迫る。
銀髪の男は、致死の攻撃を目にしても相変わらずの無表情だった。
冷酷なほど冷たい殺意を瞳の奥に秘めたまま、右手を偃月刀から離して【四竜の眼鏡】に手を触れる。
「〝凍れ〟」
それはティアムから与えられた、定量魔力による魔法を発動する魔導具。
なるほど、確かに勇者の力を得た今の状態あれば、竜気によってそれを発動可能だ。
だが定量魔力による魔法は、あくまでも児戯に等しい程度である。
ーーーそれでどうするのかな?
サマルエは、愉しかった。
どうせクトーは対処してくるはずだ、という確信がある。
案の定、その魔法を発動した直後。
彼は滑らかな仕草で、偃月刀の先を地面を走る氷線に突き立てた。
「〝膨れ上がれ〟」
それは、本来なら他人が放った魔法の威力を倍加する増幅魔法だ。
だが術式の形態が、サマルエの知るものとは少し違う。
真竜の武具から氷結魔法に加えられたのは、まごうことなき竜気。
背筋を、ゾクゾクとした歓喜が走る。
ーーー魔法の真髄とも言える術式の構築に、いとも容易く手を加えてくるのか。
クトーは、気づいているのだろうか。
ただ術式を覚え、読み取るだけで精一杯の常人と比べて、自分がどれだけ特異な存在であるのか。
術式の構築とは、いわば世界の理を記すに等しい行いである。
魔法の術式を変えるのは、ただ発動するのとは訳が違う。
既にある術式をなぞるのとは違い、新たな魔法を生み出すという行為は、魔法の原理を理根源的に理解しているということに他ならない。
魔力を使うための等式を、竜気を扱う等式に差し替えることが、どれだけ困難か……かつて古代文明の叡知を集めてもなお、数十年の月日を要した論理を戦闘の最中に、苦もなく。
ーーー君は恐ろしいよ、クトー・オロチ。
クトーが、膨大な竜気を与えて生まれた氷壁は、二つの炎翼を抑えた。
だが、攻撃の先端はまだ十もある。
サマルエは、半数を氷壁を回り込むように、残る半数を氷壁のこちら側にある空中を突き刺すように、炎翼の軌道を変えた。
案の定、クトーは氷壁を蹴って飛び出してくる。
サマルエがそうするだろうと、思った通りに。
しかしクトーは、そこで左手に宙に浮かぶ【双竜の魔銃】の片割れ、氷の弾丸を撃ち放つほうを手元に引き寄せた。
しかも、宙に浮かんでいたそれを手にするのに〝影響凍結〟の影響を受けていない。
クトーと、宙に浮かぶ武具を繋いでいるのは。
ーーー魔力糸に、竜気を纏わせているのか。
細く自分と武具を共鳴する魔力をも【聖白竜の礼服】の影響下に置いているのだ。
「〝氷よ〟」
放たれた弾丸も、当然のように竜気によって形成されていた。
翼の1枚を、クトーは引き金を絞って生み出した氷弾で粉砕し、同時に青く輝き始めた右手の偃月刀の刀身と、魔銃の銃底に備えられた刃を使って残りの4枚を切り払う。
ーーーたった一度の魔法で、複数の対象と二つの魔法を行使するのか。君は、どこまでも規格外だ。
人の身で在りながら、一向に底が見えない。
どこまでも、進化し続ける。
ーーー残るは5枚。これはどうする?
サマルエは背後から回り込むように炎翼を操り、脆くなった氷壁を溶かしながら貫かせてクトーを狙った。
すると魔銃から手を離した銀髪の男は、左手全ての指に嵌った【五行竜の指輪】を起動させる。
「〝五行輪廻の器に乞う〟ーーー」
おそらくは、彼もこちらの出方を読んでいたのだろう。
自分の欲望で他を圧倒する為ではなく、ただ冷徹に、望む結果を得るために思考することを繰り返して来たこの男は。
ここに来て、サマルエの予測を上回る方法でこれを回避して魅せた。
「〝絆転移〟」
ーーー転移魔法!
本来なら、竜の勇者と、時の巫女と、膨大な魔力が揃わなければ発動し得ないその魔法を。
ただ、勇者の力と神々の助けを得ただけで。
クトーの姿が消える。
だが現れるのは、どうせ背後だ。
最も有効なセオリーを、愚直に踏襲するのが、彼の欠点だから。
ーーーでも君ならきっと、いつか、あの門に渦巻く圧倒的な力に届くんだろうな。
その力を、誰よりも上手く御すんだろう。
ーーー誰よりも、その力に興味がないから。
空恐ろしさを感じるとともに、とてつもなく圧倒的な……そして蠱惑的な力に、惹かれないなんて。
そんなところが、誰よりも恐ろしい。
届くだけの、能力は全て持ち合わせているのに。
あるいはそんなクトーだからこそ、あの力に届く何者かであるのかもしれなかった。
最初に出会った時は、ただのつまらない男だと思っていた。
竜の勇者に付き従う、いつもの有象無象の一人。
膨大な魔力を持ち、優秀なのは分かるが、ただ、それだけだと。
だが違った。
前の体で対峙した時は、サマルエの方も彼に興味がなかった。
だが、クトー・オロチは。
誰よりも、何よりも真理を解し、その論理に隷属しているように見えた、銀髪の男は。
仲間を殺されかけたその瞬間、理に抗い、打ち勝ったのだ。
そんな人間を見たのは、初めてだった。
サマルエは、幾度となく繰り返した死の間際に、初めてクトー・オロチに興味を持った。
そして、どうしようもなく、その姿に惹かれた。
『仲間の命は、ありとあらゆるものに優先する』と。
どこまでも甘いことを言いながら、それを貫き通した、その姿に。
ーーーあの瞬間、僕は、そんな、君という〝唯一無二〟に憧れたんだ。
魔王も、神も、聖白龍も、竜の勇者も。
常人など到底及ばない力を持った者たちでも、逆らえない理に反逆した、その姿に、その在りように。
だが、クトーの方は……サマルエのことなど、見てもいなかった。
倒すべき相手とは認識していただろうが。
その、奇跡を起こした相手の感情は、ただ、仲間たちにだけ向いていた。
だから、振り向かせたいと思った。
何でもいいから。
自分に、クトーの途轍もない意思を、感情の奔流を、向けさせたいと、願った。
彼の本気を、見たいと。
感情の全てを自分に向けている、本当の本気の、クトー・オロチを感じたいと。
そして、今。
ーーーようやく君は『僕』を見た。
義務でもなく、責任でもなく。
仲間にも、他の誰にも向けていないであろう、負の感情の発露を。
ーーー憎悪を。
その全てを、レヴィ・アタンを殺そうとしたサマルエに、向けている。
ーーー本当に、ようやく、だ。
サマルエはずっと観察していた。
そして、知っていた。
クトーの感情が一番揺れたのは、あの小娘に危機が迫る時。
温泉街でも、王都でも、チタツを使って煽った時も。
いつだって、その時に一番感情を乱した。
だから、レヴィを殺そうとした。
本当は《極光機動》で動いた時、慣れない彼女をスルーして、クトーを殺すことなんか造作もなかった。
でもやらなかったのは、正に今、この時のため。
クトーが見ている。
クトーが、サマルエを見ている。
あのクトー・オロチが。
今、感情の全てを剥き出しにして、サマルエだけを見ているのだ。
それは、言い知れない喜びだった。
ようやく、振り向かせることが出来た。
ようやく、二人きりで、お互いだけを見つめて、踊れるのだ。
だから、今日ここで。
ーーー僕は君を殺すよ、クトー・オロチ。
そうしてサマルエは、真の唯一無二になる。
この場で、本気の、全力のクトー・オロチを倒すことによって。
……いや、実際は、後のことなんか、どうでもいいのかも知れなかった。
今こそが。
今、この瞬間、この場所こそが。
クトーと、たった二人、本気でやり合えるこの状況こそが。
ーーー僕にとっての、至高天だ。
サマルエは大剣を携えて、体を捻りながら振り向き様に、最後にして最大のカウンターを放つ。
「ーーー〝魂魄回帰〟」




