仙人は、最後の仕事をするようです。
白い戦影が、青空が広がる草地の上を駆ける。
偃月刀他、幾多の武器を携えて、優美に無駄なく。
いっそゆったりとしているようにすら感じられる、洗練された足運びで。
対するは黒き魔王。
膨大な龍気を放ちながら大剣のみをぶら下げ、肩の力を抜いて待ち構えている。
穏やかなはずの異界の中で、彼の周りだけが黒く歪んでいるように禍々しく、足元の草木がつむじ風のような圧に押されて揺れながら、徐々に枯れてゆく。
静謐の白と、暴虐の黒。
空の青と、草地の緑、そして荘厳な門の内から湧き出す五光。
彼らの対照的な様と、色鮮やかなコントラストを描く背景は……まるで、神話を描いた一枚の絵画のように思えた。
『やれやれ、兄ちゃんは嬢ちゃんのことになると、本当に我を忘れるねぇ』
トゥスは、キセルから吸い込んだ煙を吐き出し、ヒヒヒ、と笑った。
これが最後の一服さね、と。
名残惜しさを感じながら、キセルの中からトントンと灰を落とす仕草をしながら、ティアムに目を向ける。
『ようやっと、こっちの準備が整ったてぇのにねぇ?』
「……早くやりましょう。今のままでは、クトーはおそらく勝てないでしょう」
どこか寂しそうな目で、遠くの二人を見つめながら、ティアムがそう呟く。
『わっちは、それでも勝ちそうな気はするけどねぇ。ま、力はいっぱいあるに越したことはねぇさね』
クトー自身に、力を持つことに対する欲はなくとも、あって困るというわけでもないだろう。
『それに、わっちらにくれてやれるモンは、兄ちゃんが必要ねぇと思ってる、その程度のモンしかねーからねぇ』
「……そうですね」
こちらのやりとりに、リュウとミズチが目を見交わしてから、問いかけてくる。
「まだなんか、手があんのか?」
「何をなさるおつもりなのです?」
二人の疑問に、トゥスはヒヒヒ、と笑う。
「ええ、手はあります」
『わっちからしたら、逃げ続けてた首根っこを兄ちゃんに掴まれた、ってとこかねぇ。……ミズチの嬢ちゃん。貸してた〝眼〟は、もうお前さんに譲るさね』
ティアムがリュウに柔らかく微笑みながら応え、トゥス自身はミズチに、片目を閉じて口の端を上げてみせる。
『今日使ったら、わっちにはもう必要ねーからねぇ』
すると、ミズチが訝しげに眉をひそめた。
何か、嫌な予感を覚えているかのような表情で。
「? ……それは、どういう」
『さて、ウーラよ』
ミズチが問いを重ねようとするのに、トゥスはそれを遮って虚空に呼びかけた。
『隠居のババアを気取れんのは、ここまでさね。そろそろこっちに来なよ』
呼びかけると、即座に応答があった。
ティアムの足元……ちょうど、彼女の右肩のあたりに浮かぶトゥスと反対側の地面に、水晶球を膝に抱えた老女が姿を見せた。
「フェッフェッ。耄碌ジジイが、ようやっと自分の責任てやつと向き合う気になったかね」
黒いローブのフードを目深に被った魔女のような彼女は、しわがれた声で言いながら目をあげる。
顔を合わせるのは、王都の魔導具屋で、初対面のフリをする茶番を演じて以来だ。
相変わらずシワだらけで、頬すらもが垂れているその顔は、トゥスには見慣れたものだったが、ミズチが目を丸くした。
「メリュ……ジーヌさん?」
「そうだよ、ミズチ。アンタの顔を見るのは随分と久しぶりだねぇ」
再び、フェッフェ、と笑う魔女に、リュウがガリガリと頭を掻いた。
「なるほどな。得体の知れねー婆さんだと思っちゃいたが……アンタが〝死と輪廻の神〟ウーラヴォスとやらか」
「じゃなきゃ、誰がわざわざ勇者に手助けすると思ったのかねぇ? そもそも、アタシの店に王城への抜け道があんのも、あの王国を作った先代のアンタが頼んできたからだよ」
前回、魔王を倒す前の足がかりとして、ホァンと共に国を奪還した時の話である。
「神ってのはそこらへんにポンポンいていいもんなのかよ? 威厳もクソもねーな」
「八百万って考え方を知らないのかい? 神なんてのはどこにでもいるし、なんでもかんでも『そう』なる可能性のある程度のモンさ」
『同感だねぇ。積もる話もあるだろうが、流石にちょいと場が悪いと思わねーかい?』
トゥスが口を挟むと、メリュジーヌ……ウーラヴォスは、フェッフェ、と肩を揺らす。
「じゃ、やろうかい」
「はい」
『おう』
ティアムが腹の前で両手の指先を揃えて目を閉じ、ウーラが水晶球に両手をかざして、赤くぼんやりと光らせる。
「で、結局何をするんだ?」
『竜の兄ちゃんは、ちったぁ自分の頭でモノを考えたらどうかねぇ。ま、わっちの言えた義理じゃねーが』
トゥスはゆらりと尻尾を揺らすと、キセルで宙に九字を描きながら、ヒヒヒ、と笑った。
『魔王が勇者の力を得たんだ。ーーーじゃ、逆も一緒じゃなきゃ平等じゃねぇと思わねーかい?』




