おっさんは、ついにキレたようです。
レヴィは、それまでの人生で一番集中していた。
炎を突き抜けた先に見えたのは、自分に似た姿をしている魔王の姿。
翼を使って滑空し、尾でバランスを取り、低空を駆けながら……槍の切っ先に全ての力を込めるように、腰だめに柄を握ってしごき抜く。
ーーー喰らえ……!
狙うのは、首。
《弱点看破》のスキルは、魔王相手には用をなさなかった。
そうであっても本来ならば〝核〟や魂が存在するはずの胸元を狙うのが常套手段だろうが、ラードーンの例もある。
でも、倒せなくていい。
ミズチの魔法がクトーを守り〝神曲〟を破ったのは捉えている。
自分がもし仮に倒せなかったとしても、今、魔王に出来ている隙を少しでも大きく出来ればそれでいいのだ。
レヴィが殺せなくても、仲間たちがいる。
一人では届かなくても、全員でなら。
敵の技を破った今なら邪魔をされることなく、届くーーーその糸口を作るのは、自分の役割だ。
だって、任されたから。
「ッッッ!!!」
呼気を鋭く吐き、成し得る限り、速く。
槍先の動きが、サマルエの動きが、周りの全てが緩やかに流れ、視界から色が失せるほどに集中し切ったレヴィは……サマルエの口元のわずかな動きまでも、捉えた。
捉えて、しまっていた。
『ーーー《極光機動》』
嘲笑に似た笑みと共に、はっきりと敵の口元が動いた瞬間。
サマルエの姿が揺れて、レヴィの突き込んだ槍先が消滅した。
ーーー斬ら……?
肌感覚までもが研ぎ澄まされていたレヴィは、体の表面を流れる空気の動きから、サマルエがレヴィの視認すら追いつかないような超高速で動き槍先を大剣で斬り飛ばされた、と認識する。
相手の硬直を誘い、確定的な致命傷をもたらすはずの一撃が、外れた。
こちらを見た魔王の目尻が下がり、残念、とでも言いたげな表情を残してその姿が再び揺れる。
返す剣先が動いたのは……クトーのいる方向。
次元遮断の効果が消え、自分も含めて、彼以外も全員が動きを止めている中で、サマルエだけが動いていた。
ーーークトーが、殺される。
そう思った瞬間、レヴィの背筋を恐怖が駆け抜けた。
誰も間に合わない。
誰も見えていない。
自分以外は、誰も。
理解した瞬間、レヴィは牙を剥いた。
ーーー殺させない。クトーだけは、絶対に!
壊れてもいい。
二度と戦えなくなってもいい。
今、この瞬間に彼を救えなければ、サマルエには確実に負ける。
ーーー動け。
レヴィは、自分の体に命じる。
精神の力は、全てを凌駕するのだ。
ーーー動け!
敵に操られた異空間でも、【夢見の洞窟】でも、いつだってそうして自分を縛る『何か』を吹き飛ばしてきた。
今だって、そうだ。
ーーー動けぇッ!!
ここが現実だからって、出来ないはずがない。
根性しか取り柄がないのだから。
ーーーここで見せなくて、いつ見せるってのよぉ!!
頭が焼き切れるほどに回る。
今までの経験が、見てきた物事が、走馬灯となって脳裏に浮かぶ。
そして、たった一つ。
村の中を食い荒らしていたビッグマウスを退治する時に、リュウが、土地を傷つけずに排除するために見せた技を思い出し。
再現するイメージを描きながら、レヴィはその呪文を頭に思い浮かべた。
ーーー《極竜活性》。
※※※
目の前にいるサマルエの口元が動いた瞬間。
クトーは必要最小限の動きで、カツ、と偃月刀の先を床に押し付けていた。
ーーーやはり、まだ何かを隠し持っていたな。
一度使った手は二度通じない、と、そう言ったのは魔王自身。
そして奴は、こちらの力量を見誤ってはいないのである。
ならば一度見せた〝神曲〟が破られる可能性を、考慮に入れないはずがない。
奥の手を出す時に狙うとすれば、サマルエを殺す力を持つ、レヴィかクトー自身以外にあり得ないのだ。
その魔王が、二人のどちらに執着しているかを考えたら、答えは明白だった。
「ーーー〝戻れ〟」
クトーは、時魔法を発動した。
ミズチの術式は、トゥスより与えられた時の神の力によるもの。
その源は、勇者の力……すなわち、竜気。
天空城で、〝絆転移〟の術式と共に記されていた過去視の魔法。
あの時はクトーには使うことが出来ず、ミズチがより深く理論を解し、力を増す程度の役にしか立たなかったが。
時魔法そのものが使えるようになるのなら、応用も利く。
世界の時間を巻き戻すことは不可能だろう。
しかし、たった一個の『発動を終えた魔法の効果』を呼び戻す程度ならば、時魔法の術式と、魔法の連続行使の術式を組み合わせれば可能。
そのクトーの読み通り、回帰の時魔法は発動した。
再び、次元遮断の結界に体が包まれて視界が塞がる。
その寸前に、サマルエの姿が掻き消えるのが見えたが……少なくとも、今、この段階では無駄なことだ。
消えたということは、ほぼ確実にこちらの背後を取りに来る。
遮断の結界の中で、足を交差するように背後を振り向き、偃月刀を構えたところで、結界の効果が切れ。
視界が拓けた瞬間、ピッ、と銀縁メガネの表面と頬に、血飛沫が飛んで来た。
「……?」
クトーは目の前の光景を見て、全ての思考が止まる。
目の前に立っているのは、サマルエではなかった。
軽装鎧に身を包み、大きく翼を広げた小柄な背中。
その、ちょうど真ん中あたりに、腹から突き抜けた形で【真龍の大剣】の刀身が生えており、禍々しい気配を放つ金属が血に濡れている。
「レ、ヴィ……?」
「何よ……防ぐ手段、あったのね」
こちらを頭だけ振り向いたレヴィが、緑の目を笑みの形に細めた。
「体張って、損したわね……」
「いや、十分働いたんじゃないかな? 望み通り、クトー・オロチは庇えたんだしさ」
面白そうなサマルエの声が響き、ズルリと刀身がレヴィの体から引き抜かれる。
「彼自身が読んでた、ってのはまぁそんな驚くようなことでもないけど、まさか想定しなかっただろう第二撃に、君が割って入ってくるとは思ってなかった」
どこか感心したようにサマルエは言い、ぐらりとレヴィの体が傾ぐ。
「そうじゃなきゃ、トドメが刺せてたのにね」
「レヴィッ!!」
クトーが倒れ込んだ彼女を思わず支えると、ズメイが前に出る。
その直後に、左右から回り込んできたレイドの面々が魔王に仕掛けるが、対処せずに魔王は宙に浮き上がった。
「あはは、いや凄いな、面白くなってきた! 君は、その子に何かあると平静を失うよね……それも、切り札の人竜をだったのに! これからどうするのかな!?」
クトーは、魔王の言葉がほとんど耳に入っていなかった。
「〝癒せ〟……!!」
腹の傷に向かって、全力の治癒魔法を行使するが、やはり、瘴気の影響によって傷の再生がほとんどされない。
二つ、見誤っていた。
一つは、レヴィの行動。
本当に彼女の才能は、想像を遥かに超えていた。
もう一つは、魔王の奥の手。
超高速の移動そのものは、勇者の力を持っているのならあり得ないことではなかったが……速度が、想定を超えていたらしいこと。
次元遮断に一撃目を防がれた後の再攻撃を……レヴィが、受けた。
どうする。
どうすれば。
ーーーレヴィが死ぬ。
魔王を倒せる。
レヴィを欠いた状態で、まだ対処する方法は。
ーーーレヴィが死ぬ。
次の手を。
ーーーレヴィが、死ぬ。
冷静であろうと努める思考と、駆け巡る感情が相反する。
腹から血を流す彼女を、救う手立てにばかり意識が持って行かれる。
レヴィ……!
「ああ、そういえば、君は〝神曲〟の結界を《煉界抑圧》だと読んでたみたいだけど、違うんだよね」
サマルエが、そう口を開いた。
どうでもいい、と思う感情的な自分と裏腹に、種明かしに耳を傾けようとする自分がいる。
「あれは、発生した攻撃魔法やスキルの術式を無効化するものなんだ。〝神曲〟で使ったのは、《影響凍結》……竜気以外の、他者に影響する補助魔法の術式を無力化するスキルさ。だから、こういう使い方が出来る」
ズォ、とサマルエの龍気が膨れ上がり、大広間の中で弾けた。
すると、ズメイらに掛けていた英雄形態の魔力や、ズメイの防御スキルが消滅したのを感じる。
「これで、さらに苦境に追い込まれたわけだけど。クトー・オロチ? 君は一体、いつまでそうやって顔を伏せているのかな?」
問われて、クトーはゆるゆると右手を上げた。
魔力や天地の気を使ったものは、攻撃も、補助魔法も術式の段階から無効化される。
だが、その術式自体が、竜気によるものであれば、おそらく無効化されない。
なら。
「……〝癒せ〟」
クトーは、チェーンのついた銀縁メガネのブリッジに右手で触れると、治癒魔法を発動した。
これは、女神から与えられた【四竜の眼鏡】である。
風、炎、氷、癒しの、四種の初等魔法を、定量魔力で放つことが可能な、ただそれだけの魔導具。
だが、定量魔力を使う術式自体は女神ティアムが、作り上げたもの。
魔法はーーーサマルエのスキルに遮られることなく発動した。
レヴィの腹の傷に白い光が降り注ぎ、先ほどの魔法よりも明らかに傷が癒える速度が上がる。
そこでようやく、頭が回り始めた。
彼女自体も、高速機動を行なったのなら〝超越活性〟の、つまりは勇者の体を超回復する竜気の影響下にある。
ただの初等魔法に過ぎない治癒魔法が、彼女自身の得た適性によって効果を増しているのだ。
メガネに込められた術式が、本来なら、竜気を扱うための術式であるがゆえに。
油断は出来ないが、レヴィは助かる。
助かるはずだ。
クトーがここで。
ーーー魔王を殺して、王都まで運んで休ませてやることが、出来れば。
「おや、ようやく戦る気になったかな?」
戦意を増したクトーの気配を感じ取ったのか、サマルエが浮き立つような声音で問いかけてくる。
「どうする? クトー・オロチ。今度は《極光機動》を破ってみるかい? それとも……」
静かに見上げたサマルエは、背中の竜翼を燃え上がらせると、それが大きく広がって6対12枚の炎翼と化した。
「カウンターじゃない、真の《獄炎翼翔》の一撃を喰らってみる?」
「どちらでも好きにしろ。クソ野郎が」
そっとレヴィを横たえたクトーが一歩踏み出すと、床が氷の魔力によって凍結し、張った薄氷が靴底に踏み潰されてパキリと音を立てる。
それだけではなく、風が渦を巻き、床がピシピシと、落下の振動とは別に鳴動し、陽炎のような熱気が空気の温度を上げていく。
魔力とともに吹き出す竜気によって、それぞれの属性全ての影響が、体外に吹き出していた。
しかし影響を与える側から、《影響凍結》によって無力化され、霧散していく。
だが、そんなことはどうでもいいのだ。
「俺のレヴィを殺そうとした貴様が、どれだけ強大であろうが、生かしておいてやるつもりなどない」
クトーは偃月刀を構えると、限界まで体内で魔力を練り上げた。
外に出すと無力化されるのなら、体内で使えばいい。
竜気も同様に全て体内で練り上げて、自己強化に注ぐ。
そのための術式を、今、ここで、編み上げるのだ。
「ベラベラとよく回るその口、永遠に塞いでやろう。ーーー死ね」
クトーが、そう吐き捨てると、サマルエが本当に嬉しそうな顔で大きく両腕を開いた。
「なら、まずはこれを防いで見せなよ! 《獄炎……!」
と、サマルエが部屋そのものを焼失させるほどの魔法を解き放とうとしたところで、遠くで負傷者とともに待っていたティアムが、いきなりその気配を膨れ上がらせた。
思わずそちらを見ると、ティアムの横であぐらをかいたトゥスが、ニヤリと笑う。
『急急如律令……【使者の杖】よーーー』
「ーーー女神の名において、疾く命じる。我らを、夢見へと誘え!」
カッ、とティアムらの体が輝き、クトーの視界は真っ白な光に包まれた。




