竜の勇者は目覚め、おっさんたちに力を与えるようです。
リュウを包んでいた青い燐光が、ふわりと浮き上がって体を離れた。
それが人の姿を成す。
長い髪をなびかせながら現れた女性の姿に、レヴィがほぇー、と口を開いた。
「綺麗な人……」
そんな彼女に顔を向けて微笑む女性に、クトーは問いかける。
「答えは決まったか? 女神ティアム」
「ティアッ……!?」
驚いて目を見開くレヴィに、クトーは眉根を寄せた。
「……この状況で出てくる存在が、他にいると思うのか?」
「あら、いるかもしれないじゃない? マイダーリン」
片目を閉じ、以前見た通りの茶目っ気を見せる彼女に、ますます顔をしかめる。
「……誰がダーリンだ」
「相変わらずつれないわね」
わざと悲しそうな表情を作る彼女にトゲのある言葉を向けると、仲間たちがざわめく。
「ちょっと……!? 女神様相手にタメ口……!」
「お前もさんざんトゥス翁にぞんざいな口を利いていたと思うが」
神だと言うのなら、トゥスとて時の神である。
『ヒヒヒ。違いねぇ』
「なんか違う気がするんだけど!?」
すると後ろで、3バカがひそひそとやりとりを交わすのが聞こえた。
「……ダーリンて」
「クトーさん、女神まで誑かしてんのかよ……ダリィ」
「相変わらず意味が分かんないスね」
「つーか俺には敬語でクトーにゃタメ語かよ。お前のキャラがマジで分かんねーな」
最後にリュウが複雑そうな顔をし、レヴィがなぜかこちらを睨んでくる。
「……そうね。なんか親しげね?」
「前にブネを倒した時に出てきたからな。会ったのはその一度だけだ」
敬語でないには、そもそも、サマルエの攻撃を受けたミズチを見捨てようとした存在に対して良い感情など抱いていないからである。
クトーは、敬意を払う必要のない相手に払う敬意は持ち合わせていない。
というか、そんな話はどうでもいいのだ。
「まだ問いに答えていないが。結論は出たのか?」
重要なのはそこである。
クトーの質問に女神ティアムがうなずき、口を開きかけたところで。
「ーーー僕も聞きたいな、その答え」
と、若い男の声が割り込んだ。
一斉に振り向くと、クトーが破壊した入り口の大扉の前に、赤く差し込む光を受けて、魔王サマルエが立っている。
先ほどに比べれば静かだが、それでも体が勝手に反応しそうになるほどの威圧感を身に纏っている。
だが、本当の脅威はその威圧を、口を開くまでこちらから隠し通していた、という事実だ。
やはり現状では、完全に格が違う。
「もう少し待とうかと思ったけど、盗み聞きは良くないかなって思ってさ」
仲間たちが身構えるが、サマルエはまるで友人の家に遊びに来たかのような態度で肩を竦める。
ーーー余裕だな。
盗み聞きしていた、ということは、いつでも追い付けた、という話なのだろう。
そして、いつでも襲えた。
だが、サマルエはやらなかった。
ーーー俺との全力を望むのなら、女神の答えを聞くまでは襲っては来ない。
クトーはあえて、姿を見せた魔王を挑発に応えず女神に向き直った。
この神魔は、人の心を折るのが好きなのである。
今はおそらく、万端に準備を整えたクトーらを、圧倒的な力で完膚なきまでに叩き潰すことを愉しもうとしているのだろう。
四将や魔族といった連中の性格は、サマルエの写し鏡なのである。
お喋り好きで、他人の神経を逆撫でするのが得意な、悪意の神魔。
ーーーだが、余裕の態度がお前の命取りになる。
これまでの魔族たちと、同じように。
「女神ティアム。答えを」
彼女はサマルエを見て細く息を吐いた後、目をわずかに伏せて応えた。
「ーーー我々は、竜の勇者の選択に従います」
「へぇ……」
ティアムの答えに、意外そうに言葉を漏らしたのはサマルエだった。
「ついに、永遠の円環を描くことを諦めたのかい?」
「……そのきっかけを作ったのは貴方でしょう、サマルエ」
「そうだね、アム。……いや、姉さん」
ーーー姉?
疑問を覚えたクトーが横目を向けると、サマルエは銀の髪を掻き上げて、それまでに見たことのない表情を見せていた。
安堵したような、その上で拍子抜けしたかのような……あるいは少し悲しみ、あるいは懐かしんでいるような、複雑な表情。
しかし、その顔を見せたのも一瞬だった。
すぐに笑みを愉悦に歪んだものに変えて、目の色をギラついたものに変える。
「それでも、貴女は諦めないと思っていた。その選択を嬉しく思うよーーー」
サマルエの体から吹き出した龍気が、あまりの濃密さに視認できるほどに形を成して、龍首のように長い首をうねらせる。
そして、ビシビシと床が弾けるような戦意。
「ーーーこれで、クトー・オロチと本当に全力で戦りあえるんだからね!」
「散開、連携! 負傷者たちに近づけさせるな!」
サマルエが臨戦態勢に入ったのを受けて、クトーは仲間たちに指示を出した。
無事な者たちが即座に動き出すと、ヴルムも腰を上げる。
「残れ」
「まだ動けるっすよ。死なない程度に戦るっす」
「ッ……レヴィ!」
制止を聞かずに得物を引き抜いたヴルムに、彼女をつけようとするが。
「レヴィとクトーは待てよ。お前らにゃ、まだくれてやるもんがある」
リュウが口を開き、その間に剣闘士は仲間たちの元へ駆け出していた。
「……用があるのなら、早くしろ。サマルエ相手ではレイドの連中もそうは保たん」
「一瞬で終わる。手ぇ出せ。二人ともだ」
座り込んだまま両手を差し出すリュウに、レヴィと目配せしたクトーはそれぞれに片手を差し出す。
それをリュウが握り締めた瞬間、ティアムが目を閉じて体の前で手を重ね……。
……膨大な力が、体内に流れ込んできた。
「……!」
「な……ッ!?」
衝撃とすら感じられるほど、それは圧倒的な力。
魔力を体内に蓄積する速度が増して、その種類が変わっていくのが明確に分かるレベルの奔流。
「へへへ。俺がお前らに与えられる、ありったけだ。……ティアムを通して、勇者の力を、お前らに託す」
「リュウ……」
誰よりも前に立つことが好きで、誰よりも今、戦いたいのだろう彼の選択に、クトーは思わず問いかけた。
「良いのか?」
「どうせ今からじゃ、俺は間に合わねぇ。……こういうのを口にすんのは、ものすげー癪だが」
手を離したリュウは、大きく息を吐いて笑みを浮かべる。
「頼んだ。お前らしか、いねーんだ」
そうしてレヴィとこちらを交互に見た勇者は、さらに言葉を重ねた。
「期待してるぜ、レヴィ。そしてーーー勝てよ、相棒」
「……はい!」
「ああ。後は、任せろ」
そうしてクトーはレヴィと共に身を翻し、戦場に向かって駆け出した。
※※※
その背中を目で追いながら、リュウは心の中で、聖白竜に呼びかける。
ーーーこれで良いんだろ? ぷにお。
そうして、現れた彼との対話を、思い出していた。
『〝永遠の円環を成す蛇〟の輪を解き、再び世界に混沌を望むのであるか?』
ぷにおの問いに、リュウは皮肉を交えて答えた。
「崩したのは俺じゃねぇ。サマルエだろ?」
『まだ蛇の輪を保つ方法はあるのである。このまま奴を弑し、新たな魔王を立てれば良い。全ては再び、安寧の円環の内に巡るであろう』
ぷにおは、それを自身が望んでいる、というわけではないようだった。
ただー、選択肢の一つとして、淡々と問いかけている。
だから、リュウは笑って見せた。
「魅力的なお誘いだ。で、どうやってサマルエを潰す? お前がやんのか? 毛玉」
『誠に無礼な物言いだが、そも、貴殿の『元』が我が主人の父と思えば、懐かしくもあるのである』
ぷにおはコクン、と可愛らしく首を傾げて、姿に見合わない重々しい物言いで続ける。
『可能である。円環に関わる事象、我が主人の魂に関わる事象にのみ、我は介在を自らに許している』
「どうでもいいから、さっさと決めろよ」
『選択するのは貴殿である。自らが作り出せしものを自ら砕くことに、我の是非があろうはずもない。……かの存在を見るに、未来への展望も開けたとも言えるが』
「誰だ?」
『クトー・オロチ』
ぷにおの口から出た名前に、リュウは複雑さと納得の両方を覚えた。
ーーーお前は俺を台風の目だって言うが、大概そいつはお前のほうじゃねーのか。
そんな風に、ムッツリ顔の相棒を思い浮かべていると、ぷにおは空を見上げて独白した。
『人の身でありながら、竜気の恩恵を受けた古代人以上の『器』を持つ者。あれが我が主人の父が予見した存在とするのなら〝人の活路〟となり得るのである』
「全く意味が分かんねーんだが」
『邪神に抗すことを、我が主人の父は一考した。そして時を稼ぐ決断をしたのである。勇者と魔王が手を取り合うのみでは足りぬ、と結論づけたゆえに』
竜と邪、それだけではなく。
『人の内より出でし傑物の存在との三位一体を以て、邪神に対抗し得る、と我が主人の父は告げた。そして、遂に顕れたのである』
天に依らず、闇に依らず、人で在りながら人を超える者。
『ーーー〝阿修羅〟と呼び得る、その存在が』
沈黙が落ちた。
正直なところ、彼の話は言い回しが難解でリュウには理解しづらいが。
「あー……要は、俺とサマルエが手を組んだ上で、クトーがいりゃ良いってことか? ……いや無理だろ」
そもそもサマルエに邪神殺しに協力する気があれば、こんな状況にはなっていない。
「奴が俺らを殺したら、次の遊び相手に邪神を選ぶかもしんねーけどな」
『それを待つのも、また一興ではあるのである。勇者と魔王の力を同時に持つ存在など、後にも先にも存在してことはないのである』
この小竜は、敵なのか味方なのか全く分からない。
「お前、何考えてんだ?」
『特段、人の世がどうなるかに興味はないのである。我が主人の魂が己が生に納得して過ごせていればそれで良い』
ーーーなんかクトーとちょっと似てんな。
レヴィが自由にしていればそれでいい、ということなのだろう。
リュウは少しだけ考えて、それから答えを口にする。
「勇者と魔王の力を同時に持つ存在ねぇ。それに修羅とやら……どうせそういうのを作るんなら……」
ニヤ、と笑みを浮かべて、ぷにおに絡むように話を持って行った。
「俺なら、サマルエじゃなくてレヴィやクトーを選ぶがな」
すると案の定、小竜はぷにぷにと鳴きながら望む答えを返してきた。
『ふむ。一理ある話である』
結論は出た。
リュウがそう感じると、それまで黙っていたティアムも同じように思ったのか、口を挟んだ。
「では、ぷにお。ご許可をいただけるのですね?」
『先ほども言ったはずである、ティアム。そも、我が主人の父が自ら作り出したものを自ら砕くに、否やもあろうはずがない。が、我が心情を述べるのであれば』
ぷにおは、表情こそ読めないが、ぷにぷにとどこかからかうように言葉を口にする。
『今戦地にある、我が主人の魂を、このまま見捨てる道理もないのである』
「……結局、レヴィの味方をするってことじゃねーか。回りくどいのにも程があんだよ! 最初っからそう言え!」
『ぬ?』
「ていうかスルーしてたけど、レヴィって、元は俺の前世的なやつの娘かよ!?」
『何を言っているのであるか? 嫁たる存在、我が主人の母もいるではないか」
「はぁ!?」
『時の巫女は、常からして我が主人の父の伴侶……その魂を持つ者である。『永遠を生きることは叶わずとも、死によりて分かたず』と。彼女らがそう望んだ故に、我は母の魂をも貴殿と共に守護し続けているのであるが』
「ミズチ……が?」
思わず頬が熱くなる。
そんなこちらの様子を見て、ティアムがふふ、と笑った。
「今代で結ばれるかは分かりませんよ? 先代の時は、魔王討伐後も王国の側近として共に在りましたが、パーティーのメンバーだった竜騎士と結ばれました。大体、あなたの方は一目惚れしていますけど」
「うるせぇな!? 今はそんなことどうでもいいだろ! さっきからかった仕返しのつもりか!?」
「もちろんです」
「〜〜〜ッ! ていうか、さっさとやれや! 悠長にしてる場合じゃねぇだろ!?」
『心配せずとも、そもそも精神世界において時間など大して流れはせぬのである』
旗色が悪くなったリュウの言葉にわざわざツッコミを入れた後、ぷにおがティアムを促す。
「でも、もう送り出しましょう。……リュウ。我々は、竜の勇者の選択に従いましょう。円環を解き、勇者の力を解放します。
ティアムの体が淡く輝くと、世界がスゥ、と色を薄れさせる。
そして、閉じていた門の片方が、重い音と共に開き始めた。
「……この世界の未来に、幸多からんことを」
ーーーそうして、リュウは現世に戻った。
共にクトーらを見送ったティアムが、そばにいるトゥスに問いかける。
「そういえば、カードゥーとケウスはどうしました?」
『兄ちゃんがあの広間を破壊する前に、【夢見の洞窟】に向かうよう指示したさね。サマルエの悪ガキの影響下からは外れてたからねぇ』
あっさりと答えた、仙人だか時の神だがよく分からない二頭身が答えるのを聞きながら。
「しかし……〝阿修羅〟だとよ」
リュウは思わず、ククク、と喉を鳴らす。
「部屋で、嬉々として可愛い小物作ってるのが一番好きな平和主義者のお前にゃ〝策謀の鬼神〟と並んで似合わねー称号だぜ。なぁ?」




