おっさんは、一部の面々を帰還させるようです。
ーーー帝城、謁見の間とエントランスを繋ぐ廊下にて。
『……なんか、聞きてぇことはあるかねぇ?』
そう謁見の間で問いかけたトゥスに、今に至るまで沈黙を守っていたミズチは廊下を仲間と共に駆け抜けながら、ようやくポツリと言葉を漏らした。
「……なぜ、私は『時を見る眼』の持ち主として選ばれたのですか」
ミズチの問いかけを受けて、仙人は片眉を上げる。
ーーー選んだのはわっちじゃなく、お前さん自身さね。
今からする話は、ミズチ自身が周りに聞かれたくはない話だろう、とトゥスは心の中で彼女に応えた。
ーーー私自身、ですか?
ーーーそうさね。わっちとお前さんの精神は、繋がってるんだよねぇ。目の力を行使する時に必要だからねぇ。
未来視や過去視、遠見の力は、本来であればトゥスの力だった。
その行使権を、それまで神託を受けるだけだった歴代時の巫女に明け渡し、助言をやめたのは、肉体を捨てた時だ。
その後も、ティアムがトゥスを装って助言そのものはしていたようだが。
時の巫女は長い間、勇者を導く役割だけを持つ『従属』でしかなかった。
だが。
ーーーその従属の役割を担うことを最初に望んだのは、お前さん自身、ってことさね。
ーーーリュウさん達に出会った時に、ということですか?
ミズチの問いかけに、トゥスは首を横に振る。
ーーーいんや。もっと遥か昔から……なんなら、わっちらが『神』として調整される以前から、お前さんはそうと決めていたんだよねぇ。
そう告げると、ミズチは訝しげに表情を曇らせる。
ーーーそれは、私自身もまた、輪廻の理に反する魂を持っている、ということですか?
トゥスは、聡明なミズチの問いかけを受けて、口元の笑みを隠すためにキセルを咥える。
輪廻の理において、魂は一度龍脈に溶け、代わりに新たな魂が生まれてこの世に戻る。
再誕の奇跡を行使しうる魂は、本来は勇者のみ……魔王ですら、サマルエのような人為の転生者か、あるいは天意の元でなければ『力』だけが残ると言われている。
その理から外れた存在だと、ミズチはたったあれだけのやり取りから察したのだ。
時の巫女は、その生来からどうにも苦労することが多く、トゥスの託宣を受けられるということを知られてしまうとより苦労することが多かった。
ミズチ自身も、権力者に拉致されたか、親に売られたか、そんな状況でリュウやクトーに出会っている。
目を与えたトゥスを、恨む向きもあるだろう。
その対象が目の前にいるというのに、冷静で聡明な思考を失わない、芯の強い娘だ。
トゥスは、ミズチの問いかけに質問を返した。
ーーーサマルエの悪ガキが言ってたことを、覚えてるかい? 嬢ちゃんが、勇者の娘の魂を持っている、と。
ーーーはい。
ーーー竜の兄ちゃんは、情に篤い。えこひいきもすりゃ、身内にゃ甘すぎて結局言うこと聞いて折れちまうくらいにな。
ヒヒヒ、と笑ったトゥスは、ミズチに質問を返した意図を明かす。
ーーーいくら竜の兄ちゃんでも、一人で子どもは作れねーよねぇ?
そこで、帝城の入り口に着く。
謁見の間よりもさらに広いエントランスで、軽く汗ばんで息を弾ませているミズチは、両手で世界樹の杖を握り締めながら、トゥスの顔を見上げた。
ーーーそれは、つまり。
ーーーお前さんは、『原初の勇者の嫁』さね。昔聞いたとこによると、お前さんは死の間際にこう言ったそうだ。
『あなたみたいな人に、他の誰も連れ添えないでしょう。……ずっと、ついて行ってあげるから』
ーーー寂しがりで甘ぇ勇者が、そう言われて何もしねぇわきゃねーよねぇ。
「だから……ですか」
『そう。だから、さね。いつだって勇者とワンセットの、迷惑かけても大丈夫な相手とくりゃ、もうお前さん以外にいなかったんだよねぇ』
勇者が転生すれば、その魂に惹かれて生まれ落ち、必ず出会う運命にあるからこそ……時の巫女は、時の巫女としての役割を負った。
『愛だねぇ』
「……記憶もないのですから、見ず知らずの人間の我儘に付き合わされた、としか思えませんが」
『しかし、記憶はなくともお前さん自身だからねぇ。そこに関しちゃ、わっちのせいではねーねぇ』
惹かれ合う、という辺りが引っかかっているのか、複雑そうな顔をするミズチに、トゥスはヒヒヒ、と笑って尾を揺らした。
『友愛でも、親愛でも構いやしねーけどねぇ。ま、迷惑かけられて笑って許しちまう辺り、芯は変わっちゃいねぇだろう?』
その質問に答えず、ミズチは未だに青い燐光を纏いながら眠るリュウに目を向ける。
エントランスの柱にもたせかけられた彼の前で、クトーとレヴィが何かを話しているのが見えた。
※※※
「あの〝神曲〟とやらは、一体何をしていた?」
エントランスにつく前にそうクトーが問いかけると、レヴィは思い出すように軽く目を細めた。
「私が見たのは、剣でタクシャさんを斬って、マナスヴィンさんとミズガルズ王を炎の翼で吹き飛ばしたことだけよ。両方、ほぼ同時にスキルが発動していたと思う」
やはり、レヴィの目はきっちり魔王の動きを捉えたようだ。
起こった現象そのものは、結果だけを見ることが出来たクトーの見立てと同じだった。
「ミズガルズ王と、マナスヴィンの動きが鈍ったのは?」
「理由は分からないけど、遅くなった瞬間に紫の結界が生まれてたのは見たわね。動きが鈍ったのは、それに触れた後よ」
「ふむ。……炎の翼は、おそらく《獄炎翼翔》という、あの魔法だろう」
変幻自在に敵を襲う冥炎を生み出し、手練れの者たちを一撃で始末する、破格の攻撃力を持つ魔法である。
「大剣の一撃は、《魂魄回帰》だろうな」
「あれが一番、込められた龍気っていうやつが多かった気がするわね」
「斬撃の威力を増す、リュウの最強剣技に酷似しているな。斬気の可能性もある」
タクシャの身につけた、最高レベルの地龍装備を苦もなく切り裂いたことから、クトーはそう結論づけた。
「インフェルノはともかく、あれは確実に避けろ」
「分かった。結界は何?」
「……おそらくは《煉界抑圧》、だろうが」
あれが攻撃魔法を無効化する防御結界ではなく、ありとあらゆる魔法やスキルを無効化するのだとすれば。
「俺が推測した通りの効果を持つのなら、とてつもなく厄介だぞ」
「どういう風に?」
「後で説明する」
エントランスにたどり着いたクトーは、リュウや負傷者を柱のそばで一ヶ所に固めさせた。
「〝癒せ〟」
謁見の間を破壊した後、再度溜めた魔力でとりあえず傷だけは回復しようとしたクトーだったが、さすがに四将と魔王の瘴気の影響は強かったようで、彼らの治癒が鈍い。
四肢の欠落すら回復するはずの魔法が、タクシャの傷口を塞ぎ、ヴルムやミズガルズ、マナスヴィンの火傷による苦痛を薄れさせる程度の効果しか発揮していなかった。
「やはりな」
「何がよ?」
「さっき言った通り、厄介だ。〝英雄形態・竜の勇者〟が消されている」
彼らのダメージが甚大な理由だ。
影響下になかったタクシャに関しては、防気を消されたのだろう。
「非常に不味い。下手をすると、レヴィに掛かった分も、むーちゃんの《融合》も消されてしまう危険性がある」
「……!」
先ほどの一戦で解除されなかったのは、不幸中の幸いだった。
連発が出来ないのか、〝神曲〟の後に隙があるのか。
「どちらだと思う?」
「斬り掛かった後、少しの間技を使わなかったんだから、隙があるんじゃない? 懐に潜り込めたし」
「そうか」
おそらくあの〝神曲〟はカウンター型の技なのだろう。
一度にあれだけの魔法やスキルを行使するには、いかに魔王といえど『溜め』が必要なのだ。
ーーー付け入れる綻びは、ある。
万能無敵など、この世には存在しないのだ。
「後は、今後の行動だが」
クトーは怪我人を見回した。
重症の者の中でも、ヴルムに関しては、比較的怪我が浅い。
ミズチによって、火傷を負った直後に軽く処置を受けていたことも功を奏したのだろう。
だがマナスヴィンとミズガルズの火傷はかなり深く、治療まで間も空いた。
瘴気の影響が消えるまでは、これ以上手の施しようがない。
後は、それまで彼らの体力が保つかどうかが分かれ目だった。
「……ハイカ、ルーミィ。お前達が持つ【転移の札】は後どのくらいある?」
「6枚だな。外壁攻略でだいぶ使った。ミズガルズ様も後1枚は持っているはずだが」
ルーミィは得物を砕かれており、ハイカも回復したとはいえ、魔王相手では正直なところ役者不足だ。
リュウは、最低でもティアムの結論を聞くまでは転移させることは出来ない。
しかし決断を遅くすれば、魔王が追いついてくる可能性が高い。
「北の三名と、帝国七星の7名は、王都に帰還しろ」
「なぜだ? そこに転がっている眠たそうな顔の男にするべきだろう」
一応無傷のシャザーラが不満そうな声を上げるが、彼女もクトーの見立てでは戦力外である。
ヴルムも現状では同様だが……。
「お前たちの目的は達したはずだ。そしてジェミニの街や、そこに住む同族に対して、お前は責任がある」
ヴルムは【ドラゴンズ・レイド】の一員であり、クトー自身が責任を持つ立場だ。
「リュウが目覚めれば〝絆転移〟が使える。脱出の優先順位で言えば、お前が先だ」
「っ!」
それでも不満そうなシャザーラだったが、長の責任を盾にしたことが功を奏したようだ。
彼らが転移した後、クトーはレイドの面々を集めた。
半数は戦闘不能、3バカはかろうじて体が大きく体力もあるズメイがまだ動ける程度だ。
「魔王を相手にする時、なるべくプルガトーリオの無効化がどの程度作用するか見極める。行けそうならレヴィを投入する。全員、命を惜しめ。怪我人は動くな」
誰も、クトーの言葉に反論せずにうなずき。
そこで、リュウがゆっくりと目を開いた。




