めんどくさいことは、大体竜の勇者のせいです。
リュウは、気がつくと不思議な場所に立っていた。
以前、何度か見たことのある光景……半分扉の開いた巨大な門が浮かんでいるだけの草原である。
門の奥には白い光が満ちており、それがこちらに溢れだすと虹色の燐光になって消えていく。
さやさやと風が吹き抜ける草原から上に目を向けると、空には太陽はないのに、不思議と青く晴れ渡っていた。
そこは、雰囲気の違いはあれど魔族の作る異空間に似た場所だ。
草原は一面緑で花が咲いている様子はないが、この場にはふわりと、クトーの香り袋に似た……イリアスと呼ばれる花の香りが漂っている。
その花言葉は、『知恵』や『信じる心』、あるいは『友情』や『伝言』。
ーーーそして『希望』だ。
「よう、ツラ見るのは久しぶりだな」
リュウは、扉の前に立っている女性に声を掛けた。
白く簡素な服を身につけた、小柄でスタイルの良い彼女の顔立ちは、ありえないほどに整っている。
どこか浮世離れしたその女性は、以前見た時は優しげで控えめな笑みを浮かべていたが、今はどんな表情も浮かべていなかった。
そうしていると、美貌も相まってひどく冷たい、人形のような印象を覚える。
「ティアム。クトーたちが、お前に関してえらく物騒な話をしてたぜ?」
彼女が口を開く様子がないので、リュウはニヤニヤといつも通りに笑みを浮かべ、ポケットに両手を突っ込んだまま背筋を伸ばす。
「〝剥奪の女神〟とやらは、どうやら俺の力を半分奪って、騙くらかして魔王と戦わせてたらしい」
「……」
「俺はクトーと違って腹芸は好きじゃねぇ。単刀直入に訊くぜ。……奴らの話は、本当か?」
ティアムは、無表情なまま微動だにしない。
だが、リュウが見つめていると、やがて微かにうなずいた。
「……真実です」
「なるほど、俺はずっと騙されてたわけだ」
「はい」
「何のために?」
その話も、聞いて知ってはいたが。
リュウは又聞きの話を信じて鵜呑みにしてやるほど、お人好しではなかった。
「世界を、安寧のままに保つために」
淡々としたティアムに、リュウは目を細めた。
常から敬語ながら、話す相手への親しみに溢れるような口調の、普段の彼女ではなかったからだ。
「それをしてたのは、お前自身の意思でか?」
「そうです」
「ほーん」
リュウは右手で頭を掻きながら、軽くうなずく。
「まぁ、ならいーわ」
「え……?」
そう答えると、ティアムの表情が変わった。
「誰かに強要されたんじゃなくて、自分でやるって決めたんだろ? なら、俺が言うことなんかなんもねーわ。騙されたっつっても、別に魔王退治をやれって言われてやった訳じゃねーしな」
はたから見れば、搾取され、利用されていたように見えるのだろうが。
そもそも魔王を倒そうと思った初っ端から、彼女と面識があったわけでもない。
「俺は冒険に出たくて冒険に出た。冒険者になるならやっぱ〝デケェ獲物〟を狩るのがカッケェよな、ってだけでな」
徐々に、ポカン、とした顔になっていくティアムを、リュウはこらえ切れずに吹き出した。
そして、ヘッヘッヘ、と笑いながら彼女を指差してやる。
「俺にブチ切れられるとか思ってたんだろ。やんねーよ、バァカ!」
すると、ティアムの美貌がみるみる内に赤くなっていく。
どうやら図星だったらしい。
この女神の、澄ました顔をしていてもどこか抜けている本質など、リュウにはとっくにお見通しだった。
「大昔から生きてても、外見若けりゃ頭ん中身も若いまんまか? 若輩の女神に改名しろよ」
「……私をそんな風にくさすのは、貴方とクトーくらいです……! それにあなたも、人のことは言えないでしょう!」
「おお、そのとーりだ。ならお互いに気取ったって仕方ねーだろ。そもそもお前が真面目なツラなんか似合わねーしな」
神託だの、最高神だのというのは、ティアムの目的であるこの世界を保つために、必要な権威と地位ではあったのだろう。
だがリュウ自身は、その内実は『人前に出過ぎるとボロが出る』から、必要な時以外は引っ込んでいるだけなのではないか、と勘ぐっていた。
「つーか、昔の話なんかどうでもいいんだよ、俺は。重要なのは今の話と、これからの話だ」
外では、クトーたちが戦っている。
それも自分の力を吸収した最強の魔王を相手に、だ。
となれば。
「俺も戦りてぇんだよ。ぶっちゃけ力を半分奪ってたってんなら、そいつを俺に戻すのは可能か?」
聞きたいことは、それだけである。
しかしリュウの問いかけに、ため息を吐いたティアムは、眉根を寄せて額を撫でた。
「……あなたは、本当に変わらないわね」
「あたりめーだろ。生まれた時からずっとこうだよ」
「いいえ。あなたは今の体に生まれる前から、ずっとそうです」
諦めたようにため息を吐いた後の、彼女の声音は、いつものそれに戻っていた。
だが、話している内容は聞き捨てならない。
「生まれる前からってのは、どういう意味だ?」
「その話も、サマルエがしていたでしょう。あなたの魂は、輪廻を繰り返しても『原初の勇者』のままであり、失われているのは記憶だけです」
「確かにそうだな。なんだ、お前はその『原初の勇者』だった頃の俺とも、知り合いだったのか?」
「ええ。……私たちに世界を救う方策を与えたのは、あなたですから。そしてトゥスとサマルエの話には、ひとつだけ語弊がある」
ティアムは、もう隠し事をする気はないようだった。
そして遠い目をして、ポツリと言葉を漏らす。
「ーーー古代文明自体は、邪神を封じることなど、出来なかったのです」
「あん? どういうこった?」
ティアムは語り出す。
邪神に落とされた第一天空都市は、古代文明の首脳部だったのだと。
「古代人の生き残りはいました。対抗もした。ですがそれは、統制を失った状態で、です。邪神に対抗するために纏まることは出来ず、残り天空都市の内二つは邪神に落とされ、一つの天空都市は空に在ることを捨てて〝銀の髪を持つ流浪の民〟となりました」
最後の一つ、後に魔王島となる一番小さく人のいなかった天空都市に、第一天空都市の生き残りであるわずかな者たちが生き延びたのだ、という。
「それが、私とサマルエ、そしてクロノトゥースとウーラヴォスです」
「ほぉ」
「私たちは、肉体を失いながらも転生をせずにこの世の彷徨っていた、『原初の勇者』に導かれました」
ただの子どもだったティアムとサマルエは、『原初の勇者』の願いを受けたトゥスとウーラヴォスに拾われ、【竜気炉】の核となっていたその体を回収して、脱出したらしい。
「なんで、昔の俺は古代人に体を奪われたんだ?」
「奪われたわけではありません。最初の魔王を倒したあなたは、妻と子が死んだ後に、この世界の状況に気づいたのです」
自分が存在し続ければ、やがてまた魔王が生まれること。
もしそれを仮に殺し続ければ、自分自身が外から引き込む力が世界を破壊してしまうこと。
「だから、策を講じたのです。死なず、また生きていなければ魔王は生まれず、自分が活力を引き入れることもないと」
一時的に、その試みは成功した。
魔王は生まれず、世界は何の問題もなく営まれた。
しかし、徐々に世界は荒廃していった。
「勇者が存在しなければ、確かに魔王は生まれません。ですが、同時に世界に活力を供給する存在もまた、いなくなってしまった」
龍脈を巡る力は、世界を保つために減っていく。
そこで『原初の勇者』は『外』に根を張る世界樹を生み出したりと、新たな活力を供給することを考えたが、あまり上手くは行っていなかった。
「そんなある日、高度に魔導を発達させた古代人たちが、封印していた自分の体を掘り起こし、それを『門』として竜気を引き出そうとしているのに気づいたのだそうです」
魂を現世に繋ぐための限界まで、肉体との繋がりを絶っていた『原初の勇者』は、その流れに任せるままにしてみたらしい。
「そして、過ちが起こりました。……世界が崩壊するほどではなくとも引き込まれた過剰な力が、邪神を呼び寄せた」
「で、滅ぶってわけだ。だが古代文明が邪神を封じれなかったんなら、誰が封じた?」
「……聖白竜ぷにおです」
それは、クトーが会ったという、むーちゃんの先祖だという竜の名前だった。
「彼は、勇者の娘と共に在った『外から来た魂』を持つという、変わった竜でした」
故に、強大な力を持ち、竜気の恩恵を受けていた古代人たちとともに、唯一邪神に対抗出来たのだという。
『復活出来りゃ、俺が戦りたかったんだけどな!』
と、『原初の勇者』は言っていたらしいが。
「無理だったのか?」
「ええ。古代人が魔導的な措置を幾つも施したせいで、復活は不可能でした。勇者自身も、あまりにも竜気が満ちすぎた時は繋がりを絶ち、【竜気炉】の使用を不可能にするつもりだったようですが」
「その前に邪神が現れたってわけだ。俺よりだいぶ賢そうだが、同じくらい間抜けで、そいつは確かに俺っぽいな」
「ええ。そして『原初の勇者』の頼みでぷにおは邪神と戦いましたが、封じるのが精一杯だった」
全てが終わり、中核を失い、後は衰退するのを待つだけだった古代人たちに、『原初の勇者』は〝永遠の円環を成す蛇〟を提案したのだという。
『辛い役目だが』
と、彼は言ったらしい。
計画を受け入れたティアムらにそれを成す力を与えて、ぷにおが再び、第一天空都市に『原初の勇者』の肉体を安置したのだそうだ。
そしてぷにお自身は、ティアムの封印が正常に成されていること、また外から『別の邪神』が現れないかを監視する役目を負ったのだと。
「なるほどな」
「本来の勇者は、銀髪にして完全な不老……己の意思で輪廻を巡れば、記憶と共に、その肉体も受け継がれる。今のあなたは、人の肉体に竜の魂を持つ存在です。ゆえに、サマルエには付け入る隙がありました」
ティアムは、苦悩するように眉根を寄せる。
ーーーてゆーか、その話がマジなら、そもそもの元凶、俺じゃねーか。
騙されたというより、レイドの連中と同じようにティアムたちを巻き込んだだけである。
ーーー逆にそこに関しては、気楽になったな。
勝手に暴走して周りに迷惑をかける、いつもの自分である。
多分違うのは、クトーがいなかったことだろう。
暴走を止める奴がいなかったせいで、どこまでも暴走したことは想像に難くない。
と考えていたリュウに、ティアムが絞り出すように言葉を重ねる。
「リュウ。あなたはそのままでは、仮に力を取り戻したとしても、今のサマルエにも勝てないでしょう」
「やってみなきゃ分かんねーだろ。で、方法はあんのか?」
「……出来ません。私が剥奪の力は、奪うだけ……方法があるとすれば、あなたが転生した際に剥奪の力を行使せずにあなたを竜体として転生させることと、現状の『扉』を開放することだけです」
ティアムが後ろの扉を見上げるのに合わせて、リュウは目を上げる。
あの白い光が『外の竜気』とやらで、半分閉ざされた扉が封印らしい。
「私はあなたの力の半分を奪い、その内のさらに半分はクロノトゥースに流れています。そして私の力の大半は、封印に使われている。扉を解放したとしても、今すぐあなたの力が戻るわけではない……」
「なるほどな」
今すぐ力が戻らない、ということは、この局面で自分は役に立たない、ということだ。
かなり歯痒いが、それをゴネても仕方がない。
「じゃあ、全部解放した勇者の力とやらを、その力を別のヤツに与えることは可能か?」
「……どういうことです?」
「世界樹の騎士とか、上位の治癒士とか、クトーとの契約とかと同じような話だよ。そういうのは出来るんじゃねーのか?」
リュウの提案に、ティアムは戸惑った顔をする。
「勇者の力を、他の者に……?」
「多分クトーはそういうのを考えてると思うけどな。全部取られた俺じゃ無理でも、元気なヤツに流して上乗せしてやりゃ、底上げは出来るだろ」
そう告げてやると、彼女は目を閉じた。
「可能ですが……それは私の一存では決めることが出来ない話です」
ティアムは、巨大な門を再び見上げて、そこにいるらしい存在に問いかける。
「この世界を、サマルエから守るために。……私の役目を放棄することを、受け入れていただけますか?」
少しの沈黙の後。
ゆらり、と漏れ出る白い光が揺らめき、小さな球体となってティアムの頭上に降りてきた。
全身を覆う、真っ白でふわふわの柔らかそうな毛皮。
背中の翼は羽毛に覆われて全体的に丸みを帯びて。
尾が、ぷらんと装飾品のように柔らかく垂れ下がっている。
両手で掴めるサイズの毛玉のようなドラゴン。
『ぷにぷにぃ』
その、思わず頬ずりしたくなるほど小さく愛らしい竜は、鳴き声とともに、尊大にも聞こえる言葉の意味を頭の中に響かせた。
『かつて、この国の北西にある山脈の麓に存在した王国にて〝守護龍〟あるいは〝殺戮龍〟と呼ばれしモノ、である』




