おっさんは、仙人に身の振り方を問うようです。
『……ヒヒヒ』
少しの沈黙の後、レヴィの背後にトゥスがゆらりと姿を見せた。
二頭身に丸い眉を持つ獣の姿。
着流しにキセルをふかし、相変わらずふてぶてしい態度であぐらを掻いている。
片目を閉じて煙を吐いたトゥスは、ニヤニヤと笑いながらサマルエに声を掛けた。
『やれやれ……お前さんは相変わらず、悪戯小僧さね。ろくなことしねーよねぇ』
「……ていうかあなた、本当に神様なの?」
レヴィが浮かんだトゥスに驚いたような目を向けると、仙人は肩をすくめる。
『そう呼ばれた体は、とっくに捨てた残りカスさね』
「嘘は良くないな、クロノトゥース。ちゃんと僕は知ってるよ? 君がクトーを連れて修験者の里に行った時、自分の体に置き去りにしてた力を取り戻したことはね」
『だろうねぇ』
トゥスがキセルの先でコン、と頭を叩くと、ゆらゆらと揺れていた尾が朧に輪郭を崩し、二股に分かれた。
そして、体を覆う黒い筋模様が、透き通った青色に変わって淡い光を放ち始める。
最後にポッ、ポッ、と青い鬼火が周りに浮かんだかと思うと糸のように解けてゆき、トゥスの背後に、時計と歯車を組み合わせたような後光として浮かび上がった。
『お前さんがこの力を持っていかなかった理由は、イマイチ分からなかったけどねぇ』
「あの時点ではまだ、相反する力を纏める準備は整ってなかったからね。自分の力だけ取り返したんだよ」
クトーはそんな二人の親しげな様子と話し振りから、一つの疑問を覚える。
顎を指で挟みながら目を細めて問いかけた。
「トゥス翁」
『何だい、兄ちゃん』
「もしかして、お前たちの力の根源は、全て勇者と魔王が持つ力から来るものなのか? お前たち自身が何らかの力を持っているわけではなく?」
『そうさねぇ。ある意味では、って感じかねぇ』
「詳しく話せ。今更隠すことでもないだろう」
『悪戯小僧のせいで、面倒くせぇ役割が降ってきたねぇ』
ヒヒヒ、と笑ったトゥスは、淡々と言葉を続けた。
『竜気は、混沌とした天地の気そのものさね。わっちらに備わってるのは、魔力を練ったり濃し取った天地の気を操る代わりに、そいつそのままを使えるように調整された体と、求められた術を操る知恵。その程度のもんだねぇ』
「溜め込む事は可能なんだな?」
『まぁ、できねーとは言えねーねぇ。限度はあるけどねぇ』
ーーーふむ。
話を聞いて、クトーは彼らのカラクリが、ある程度は理解出来たと感じた。
そして、彼らの出自に関しても。
「ねぇ、クトー。トゥスって神様なのよね?」
「本人の言によれば、ある種のな。それがどうした?」
レヴィは、トゥスとこちらの顔を見比べて困った顔をする。
「仙人ってだけでも疑わしいのに、神様にしては性格が俗っぽすぎない?」
「そこにいる魔王も、大概子どものような性格をしているが」
知恵があり、言葉が通じ、同一の視線で話せる相手であれば、その精神性は人間だろうと竜だろうと神だろうと大して変わらないものだろう。
クトーの推論が正しければ、当然のことでもある。
『ヒヒヒ、二人してよく言ってくれるねぇ』
「全くだよ。ま、神っぽくないっていうのは全然間違いじゃないけどね。クロノトゥースの言う通り、僕らは元々、人間だからさ」
サマルエの言葉はこちらの想定を補強するものだったが、レヴィはますます混乱した顔をする。
「……神なのに、人間?」
「彼らは、レヴィが思っているような『人と違う出自』の存在ではない、ということだ。吐いた言葉の全てが真実だとするのなら、だが」
「どういう意味?」
クトーは、魔王と仙人をそれぞれ一瞥する。
サマルエとトゥスは、何かを期待する……あるいは面白がるように、クトーの方を見ていた。
ーーーこう見ると、少し似ているな。
どちらも、何でも面白がるような性質を持っている。
永い時を生きてきた元・人間なのならば、そうした精神性でないと生きては来れなかったのかもしれない。
そんな風に思いながら、クトーは二人に関する考察を口にした。
「女神ティアムを含む、現在『神』とされている者たちは、古代文明の者たちによって作り出された存在……勇者と魔王の力を抑制し、世界を安定させるための〝人造神〟とでも呼べる存在なのだろう」
元は人間であるというサマルエやトゥスの発言。
そして古代文明が技術の粋を集めた、と自らを評したこと。
おそらく。
〝剥奪の女神〟ティアムは、生まれ落ちた勇者の力を半分奪い、抑制する役目を。
〝厳戒の死神〟ウーラヴォスは、勇者や魔王の魂とその力が、龍脈に還る前に保護する役目を。
〝支配の神仙〟クロノトゥースは、拾ったそれらの魂を、規定された時や場所に導く役目を。
そして〝虚構の神魔〟サマルエは、『力と記憶の器』として、永遠に魔王で在り続ける役目を。
それぞれに背負ったーーー人間をベースにした、ある種の合成獣たちなのだ。
使命を課せられている、という『神』と呼ばれる存在に似つかわしつくない言い回しも、その通りに受け取れば不思議なことは何もなかった。
「違うか? トゥス。そしてサマルエ」
彼らが、古代文明によって産み落とされた存在であるというのなら。
「その通りさ、クトー・オロチ。君たちが神の奇跡だと崇める力は、なんのことはない……全て、本来なら勇者に備わっているはずの力なのさ」
「では次の質問だ。古代文明そのものの繁栄と滅び……それらにも、お前たちが生まれた理由が関わっているのか?」
クトーの問いかけに、トゥスがクツクツと喉を鳴らしながら膝を叩く。
『相変わらず、兄ちゃんは惚れ惚れするほど、見事だねぇ。その頭の中はどうなってんのかねぇ?』
「知り得たことを組み合わせているだけだ。さほど難しいことをしているつもりはない」
断片的にしか伝わらない、古代文明の歴史。
大陸を空に浮かべる力を持ちながら、突如として滅んだと言われている者たち。
帝国の地下に埋まっているという、堕ちた天空都市。
そこに封じられていた、『原初の勇者』の体。
「ーーー古代文明を成した人類は、『勇者と魔王の力』を我が物とすることで発展したものだったんだろう?」
『その通りだねぇ。そして過ぎた力に溺れ、驕ったゆえに、身を滅ぼした……勇者の計り知れない力がもたらす恩恵は〝魔王〟という抑止力なしに行使しちゃならねぇ、禁忌だったのさ』
古代文明の犯した過ちの反動は、ある日突然現れたのだという。
天空都市を浮かべる為の燃料だった【竜気炉】……原初の勇者の、竜気が満ちたそこに【邪神】と呼ばれる存在が湧き出し、一瞬にしてそれを喰らい尽くしたのだそうだ。
『魔王でも勇者でもねぇそいつが、この世界に引き込まれる竜気に惹かれてやってきた。『この世界の外っ側』にゃ、とんでもねぇモンが潜んでたのさ。そして活力に満ち過ぎたこの世界と、そいつを使って好き放題していた連中を滅ぼそうとした』
トゥスの語りに、サマルエもうなずく。
「そう。そして何とかその邪神を封印することには成功したものの、その頃にはもう、古代人たちにほとんど余力は残っていなかった。だから、最後に邪神を復活させないよう、世界の均衡を整える装置を作り上げて、滅んだのさ』
ーーー【永遠の円環を成す蛇】。
そう呼ばれた最後の計画によって産み落とされたのが、トゥスら四人なのだと。
『お前さんたちが知る魔王と勇者の喰らい合いと、女神ティアムによる託宣の、始まりの話だ。サマルエの悪ガキとわっちは、それにとっくに飽いてた。そこに現れたのが、お前さんだったのさ』
「そして今のこの状況を作り出したのは君だよ、クトー・オロチ。飽いていても、僕は役割を放棄しなかった。トゥスも、体は捨てたけど最後の一線は守ってた。……だが君と出会って、僕のタガは外れた」
黙っていたサマルエが、手にした剣を持ち上げて肩に担ぐ。
「君を見て僕は、人は、何にも縛られず好きに生きていいんだと、教えてもらったんだ」
話は全て、繋がった。
クトーはその上で、魔王に問いかける。
「それが貴様の選択か。他者の命を弄び、虐げ、踏みにじることが、自らの生を生きる事だと?」
「違うよ、クトー・オロチ! 僕は君との、茶番でなく、本気の闘争を望んだんだよ! 命をかけて君と踊りたいと、そう思ったんだ!」
感情の昂りを抑えきれないのか、心の底から楽しそうな魔王の言葉に。
笑えもしない話だ、と思いながら、クトーは冷めた目を向ける。
ーーー本当に子どもか。
こちらを翻弄するほどの策略を、思索を行いながら、自由と無責任の違いすら理解していない……そのチグハグな精神性は、クトーにはまるで理解出来なかった。
だが、理解していたところでどちらにせよ共感は出来ない。
知った上で、無関心か敵対の道しか選択できない……クトーとサマルエの関係は、そういうものなのだろう。
そんなことを感じつつ、クトーはトゥスに問いかける。
「では、話を戻そう。その上で、トゥス翁はどちらにつく?」
『今更、それを聞くのは無粋だと思わねーかねぇ……わっちは、今回だいぶお前さんたちに協力してるさね』
「サマルエの暴走を止められなかったのは、そもそもお前たちの責任だろう」
『ぐうの音も出ねーねぇ。が、わっちの答えは決まってるさね。後は、ティアムの嬢ちゃんとウーラがどうすっかだねぇ』
そう言いながら、トゥスはミズチに目を向ける。
彼女は、青ざめた顔で仙人を……自分に『目』を与えた〝時の神〟を見つめていた。
トゥスが彼女に向かって何かを言いかけたところで、クトーはリュウを見る。
すると彼は、目を閉じてポツリとつぶやいた。
「……応えろ、ティアム」
力を失ったリュウの体が、ぽう、と青い光に包まれる。
ティアムと、何か対話をしようとしているのだろう。
だがどうやら、彼らが答えを出すのを待っている猶予はなさそうだった。
「さぁ、始めよう。クトー・オロチ。お互いの報酬もやることもシンプルだ。僕の方は君たちの命と、残りの三柱が持つ勇者と魔王の力の欠片。君たちの方は、僕の命と、竜の勇者から奪った力」
ーーー出来れば、女神の動向も見極めたかったが。
そう思いつつ、クトーは武器を構えた仲間たちに向けて告げる。
「この場にいる者は、この闘争を生き残ったら、今聞いたことを決して口外するな」
するとそれに、ミズガルズが応えた。
「……これまで信仰して来た神々が、古代文明によって作られた人造神だなどと、そんな話を出来るわけがないだろうが。世界と政治が根幹から揺らぐぞ」
「同感です。いずれ明かすにしても、今はまだその時ではないでしょう」
タクシャもその言葉にうなずき、彼と共に床を蹴って魔王に挑みかかる。
「この世界は箱庭だ、クトーオロチ。この世界は、剥奪の女神が作り出した偽りの理想郷。今日、世界は神々の手を離れて、在るべき姿へ戻るーーー」
余裕の態度で軽く首を傾げたサマルエは、ゆったりと足を一歩踏み出した。
「ーーー君と僕、どちらが勝ってもね!」




