小竜は、母を想う。
暗転した視界が晴れた時。
レヴィは、かつて見たことのある景色を目にした。
闇のわだかまる広さすら分からない空間の中で、宙に浮かぶ丸い映像。
肉体側で見えている景色がそこに映し出されていた。
今は床面しか写っていない……つまり、まだ体は奪われていない。
ーーーどういうこと?
考えながら視線を落とすと、そこにラードーンの姿が見えた。
薄く透けているところを見ると、夢見の洞窟で見たミズガルズのように、相手も魂だけの状態なのだろう。
もちろん、レヴィ自身も。
昔王都で体を奪われた時のように拘束はされていないが、見下ろした手は相手と同様に透けている。
「ほんと、あなたたちってしつこいわよね」
姿は、猫耳ニンジャ姿のままだった。
腰に手を当てると、現実ではラードーンの腕に三叉槍姿のまま突き刺さっていたニンジャ刀……元は【毒牙のダガー】だったレヴィの武器がきちんと収まっていたので、それを引き抜く。
「さっさと滅びなさいよ。戯れてる暇はないのよ」
『ホホ……こちらとしても、自分の魂が掛かっているのねん。そう簡単に諦め切れるものではないのねん』
ラードーンの発言に、レヴィは眉根を寄せる。
「散々他人の命を奪っておいて、自分勝手な言い草で呆れ返るわね」
『お前たちは、せいぜい輪廻の海に還る程度で済んでいいかも知れないのねん。我々上位魔族は、そうはいかないのねん』
チラリと外が映る景色を見上げた敵は、手のひらを擦り合わせる。
『四将は、魔王様の魂の一部から生み出された分体……運よく復活させてもらえた理由は、利用価値があったからに過ぎないのねん。この件が終わって役立たずと判断されれば、今度こそ魔王様に喰われて跡形も残らないのねん』
「へぇ、所詮下僕でしかない奴は大変ね。どこまで行ってもマオウサマが怖いってわけ?」
『怖いのねん。あれほど先を見据えて動く、冷酷なお方は中々いないのねん』
あっさりとそう認めたラードーンを、レヴィは意外に思ったが。
「別にあなたの身の上話に興味はないのよ。さっさと終わらせて、私は向こうに帰らせてもらうわ」
この世界での戦い方を、レヴィはすでに学んでいる。
夢見の洞窟でも、そうだった。
重要なのは、自分のイメージと、魂そのものの強さ。
それが、この世界での勝敗を左右するのだ。
魂を傷つけられる痛みは、向こうの数倍に値する痛みを伴う。
だが、その事実に恐怖したり萎縮していては決して勝てないのだ。
ラードーンは、話を聞く限り怯えている。
魔王を、恐れている。
そしてせっかく蘇った自らの存在が、再び消滅することを恐れているのだ。
ーーーそんなザマで、私に勝てると思ってるの?
レヴィだって、命は惜しい。
それは当然だ。
クトーから最初に受けた教えは『自分の命があって当たり前だと思っている奴は、冒険者に向かない』なのだから。
自分の無謀さは、仲間の命すら危険に晒す。
だからこそ生き汚くなれ、と、クトーは常に教えてくれていた。
守るべきは、自分だけでも、仲間だけでもない。
「私たちは、全員で生き残る。自分のことしか考えてないあなたたちとは……背負ってるもんの、重みが違うのよッ!」
レヴィは、そう吼えて地面を蹴った。
『ホホ……覚悟だけで勝てるほど、世の中は甘くないのねん』
攻めの姿勢を見せたこちらに対して、ズォ、と全身から瘴気を吹き出して自らの身を守るようにヴェールのような紫の結界を張る。
そこに、レヴィは勢いを緩めることなく突っ込んだ。
※※※
「ぷにぃぃ!!」
ドサリと倒れ伏したレヴィに、むーちゃん……バハムートは、かつてない程の混乱を感じた。
生まれてから、いや、卵の時から今までの間、一度も失われたことのなかったレヴィとの繋がりが、どこにもないのである。
初めての不安と、独りで放り出されたような喪失感に、子竜は恐慌を来した。
「ぷにぃい!! ぷにぃいい!!」
母である少女の横に降り立ち、必死に呼びかける。
しかし少し傾いた彼女の顔は虚ろで、目はどこも見ていなかった。
「ぷぃいいいいいい!!!!」
ーーーやかましいボウズさね。デカい図体してんだから、乳離れくらい済ませといたらどうかねぇ?
不意に。
バハムートの頭の中に、そんな声が響いた。
「ぷぃ……?」
泣きそうな気分で顔を上げると、再び頭の中に、ヒヒヒ、と聞き覚えのある笑い声が響き渡る。
ーーーようやく手が空いたと思ったら、次から次へと手のかかるこったねぇ。
するり、と首の後ろに冷たい気配を感じたバハムートは、ビクン、と背筋を怖気立たせる。
ーーーそう怯えなさんな。わっちが、お前さんと嬢ちゃんをもう一度繋いでやるさね。だから、もうちっとシャンとするこった。
「ぷにぃ……」
そう告げられても、まだ混乱から覚め切らないバハムートに、声の主……姿を見せないトゥスは、さらに言葉を重ねる。
ーーー嬢ちゃんは死んじゃいない。魂の世界で、まだ戦ってるさね。それを、お前さんが助けてやるといいさね。
戦っている。
その言葉に、バハムートはグッと顎を噛み締めた。
「ぷぃ!」
ーーーいい返事さね。お前さんは、聖白竜……兄ちゃんの礼服になった、わっちの友やわっちと同じで、憑依の術を扱える。そいつのやり方を、教えてやるからねぇ。呪文を口にして、嬢ちゃんに憑きな。
そうすりゃ、魂の世界に潜れる。
トゥスの言葉に合わせて、一つの呪文が頭の中に思い浮かび、それによって何が起こるのかを、バハムートは理解した。
スゥ、と大きく息を吸い込み、その呪文を口にする。
「ーーー〝融合〟!!」
対象は、倒れた母の肉体。
全身が無数の光の糸と化して解ける……肉体が巨大化する時と同様の感覚を感じながら、バハムートは意識をレヴィに向かって集中した。




