少女は、邪霊に囚われる。
ミズガルズの剣閃が、ラードーンの背中を大きく斜めに引き裂いた。
紫の軟体の一部が刃の伴う烈風によって弾け散るが、すぐにぐじゅり、と傷口が合わさって再生して行く。
『ホホ……ムダなこと……を?』
しかし、あっという間に塞がるかと思われたところで、ラードーンの肉体に異変が起こった。
傷口の縁にブツブツと水泡のようなものが浮かび、次々と内側から小さく弾け、再び傷口が裂けたのだ。
その奇妙な水泡が、徐々に徐々に広がってラードーンの全身を蝕んでいく。
『グゥゥ……! 貴様、一体何をしたのねん!?』
三叉槍が突き刺さったのと逆の腕を、鞭のように伸ばしてミズガルズの体を捉えようとしたラードーンだが、あっさりと首を傾けるだけで避けられる。
「《痛恨の一撃》は、後ノ刺刀を突き詰めた一撃だ。……極小の無数の刃を生み出す、毒の如き破壊の連鎖が貴様の全身を蝕む。滅ぶがいい」
ミズガルズが冷徹な顔で告げ、伸ばされた相手の腕を斬り飛ばした。
『おのれェ……!!』
瘴気を揺らめかせながら顔を歪めたところを見ると、ラードーンは水泡が肉を刮ぐのを無力化することが出来ないようだ。
だがそこで、囚われたままのレヴィがミズガルズに向かって声を上げた。
「腕よ!!」
「何?」
ーーー腕?
クトーが、レヴィの言葉に目を細めつつ真意を悟ったのと同時に、再び彼女がミズガルズに向かって声を張り上げる。
「演技に騙されてんじゃないわよ!! コイツは自分の〝核〟を移動出来る……本体は、今、切り離した腕の方よ!!」
おそらく、ラードーンは無力化が不可能だと悟った瞬間、まだ影響を受けていない腕に〝核〟を移動したのだ。
そして、わざと斬り飛ばさせた。
クトー自身の位置からでは、まだ遠い。
ーーーミズガルズ王。腕を切り刻め!
クトーが共鳴で呼びかけると、鋭い視線を地面に落ちた腕に向けていたミズガルズが、ピクリと眉を震わせた後、 独坐に地の剣撃スキルを発動してラードーンの腕を細切れにするが……。
その間に、水泡が弾け始めた頬をニィ、と笑みの形に歪めたラードーンは、胸元に取り込みかけているレヴィに目を落とす。
『黙るのねん、小娘。……それに、もう遅いのねん』
※※※
ーーーうっさいわね。死んでなきゃ、遅いなんてことあるわけないでしょ!?
レヴィは、なんとか自分を捉えるラードーンから抜け出そうと、全身に力を込めていた。
直立の姿勢で締め付けられている腕をジリジリと動かし、足のガードルについたカバン玉になんとか指先を届かせようと苦心する。
ーーーこれ以上、何もさせないわよ……!?
ラードーンの演技を見抜き、ミズガルズが動いたのも気配で感じていた。
でも、相手の意識が消えていない。
〝核〟は、いわば魔族の魂そのものなのだ。
それを砕かれて灰と化す魔族たちを散々目にしてきたにも関わらず、相手が致命傷を受けた様子はない。
腕も、違ったのか、あるいは。
そう考えている内に、ボコリ、と足元から音が聞こえた。
「ぷにぃ!!!」
レヴィが降下した後、ラードーンの横を突き抜けて旋回したむーちゃんが、大きく吠える。
聖白龍の瞳が、自分の足元に向けられているのを感じたレヴィは、キィン、と意識を共有する彼と視覚を重ねた。
上から見下ろす、ラードーンに囚われた自分の姿。
その真下、床の隙間を突き破って……おそらくは腕の方からこっそり伸ばしたのだろう、細い触手がレヴィの体に向かって伸びてくるのが見えた。
ーーーむーちゃん!
カバン玉に、ギリギリ手が届かない。
ミズガルズも、クトーも、この状況からでは間に合わない。
「ぷにぃ!」
むーちゃんはレヴィの意思に答え、風を巻きながらこちらに向かって宙を駆け、大きく顎を開いた。
しかし、ほんの一瞬、触手の方が早かった。
粘着質な音を立て、怖気立つような感覚と共にレヴィの左耳に触手の先端が潜り込む。
同時に、心臓を鷲掴みにされたような感覚が意識を揺らす。
「ガッ……ァ……!!」
大きく首を前に伸ばしたむーちゃんが触手に喰らい付く直前に、竜と繋がっていた意識がブツン、と切断された。
『〝魂魄侵食〟ーーーホホ。お前の体を、奪ってやるのねん!』
耳元ではなく頭の内にラードーンの声が響き渡ると、食い千切られながらも動きを止めなかった残りの触手が完全に耳の中に潜り込む。
ーーーあ。
自分の意思に反して、体がビクン、と大きく仰け反り、視界に映る景色がグルン、と上に流れる。
「ぷにぃ!!」
むーちゃんの焦燥の叫びと同時に、全身に水泡を浮かび上がらせながらも、目の前でこちらを見下ろし、不気味な笑みを浮かべたラードーンの肉体が弾け飛ぶ。
体が解放されるが、全く動かせない。
ーーーこ、れ……。
全身から感覚が消え、ゆっくりと地面に向かって倒れて行くのを……床が迫ってくるのを、どこか他人事のように感じながら、レヴィは思い出していた。
昔、ブネの配下になっていた元大臣に、肉体を奪われた時と、同じ感覚。
ーーーま、た……!
そんな思考を最後に。
レヴィの視覚は、唐突に闇に呑まれた。




