おっさんは少女と共に料理長を説得する。
レヴィと共に夕食を終えて、クトーは後片付けをしているヤツカワ料理長を訪ねた。
今日は夜風が涼しいので、蒸し暑さが少しマシだ。
当然、レヴィにはユカタを着てもらっている。
「すまない、少しいいか?」
「厨房には入るな」
入口で声をかけたクトーにぼそりと小さく言ってから、中の人間に指示を出した料理長がこちらに近づいてくる。
「なんの用だ?」
料理長が引き戸を閉めると、入り口の外にある魚油の明かりだけになり、薄暗い。
そんな中、相変わらずのしかめ面で問いかけてくる料理長にクトーは告げた。
「料理の内容に関して、少し質問がしたい」
料理長の眉がピクリと震えたが、無言のまま腕を組む。
それを肯定と受け取って、クトーは話し始めた。
「使われている素材が、半分以上がクサッツの外から仕入れたものであり、地のものが使われていない理由が知りたい。特に野菜に関しては全て輸入品だ。それは何故だ?」
「この辺りでとれるものは、質が悪いからだ」
料理長は特に返答に詰まる事もなく答えた。
「どういう風に」
「火山が近く、土があまり良くない」
「土地が痩せてるって事?」
会話に、レヴィが口を挟んでくる。
文句をつけているのかと思ったが、顔を見ると純粋に疑問を感じているだけのようだ。
「なら、肥料と手入れでどうにか出来るんじゃないの?」
「それを踏まえても、この地で育てるのに適した野菜は限られている」
料理長は無口なようだが、必要な事に対する返答は明瞭だった。
「クサッツにはそもそも農民が少ない。魔王が倒れてからは、あまり必要もなくなった」
クトーは、その言葉の意味を正確に理解した。
外から来る客が旅館や温泉に落とす金が多く、温泉に関わる仕事をした方が実入りがいいのだろう。
「魔物の脅威があった頃は、育てていたのか?」
「ああ。今は灰に強い麦ばかりだ」
魔王と魔物の凶暴さにどんな関連があったのかは分かっていない。
だが、人と見れば自らの命を捨ててまで襲いかかるような生物だったのが、野生動物とさほど変わらない行動を取るようになったのは事実だ。
襲われる危険が減れば、街同士の交易は盛んになる。
空輸が軍以外にも認められたことがそれに拍車をかけた。
同時に、慣らしやすくなった飛竜種の乱獲も今は問題になっているが。
「ふむ。経費を削減するのに、もっとも手が入れられるところかと思ったんだがな」
「来い」
クトーがアゴに指を添えて思案していると、料理長がこちらに背を向けて歩き出した。
向かった先は調理場の裏手で、肥料の臭いが鼻につく。
そこに、畑があった。
「自前の畑か?」
「そうだ。別に、努力をしていないわけではない」
裏庭と呼ぶには少し狭いが、一つの倉庫とそれに倍する日当たりの良い土地は確保している。
暗い中、おそらくは育てた野菜を保管する倉庫の中に消えた料理長は、すぐに戻ってきた。
「麦以外の野菜で出来るものはこの程度だ。食ってみろ」
渡された小さなニンジンを少しかじると、クトーは奥歯で噛み潰した。
レヴィも横で同じように噛んでいる。
ジワリと鼻の奥に広がる特有の香りと、固い舌触り。
丁寧に味わうが、食感には瑞々しさがない。
「……味が薄いな」
「それにスカスカね」
「これを客に出せるか?」
率直に問われたクトーは、厳しい、と思った。
「レヴィ。お前はどう思う?」
彼女は答えずに畑に向かい、土を手ですくって指の間で揉んだ。
指についた土を少し舐めて首を横に振り、立ち上がる。
「畑の手入れ状態は悪くないけど。それで土がこれじゃね……よく太ったものを育てるのはキツいかも」
「シラネア火山は、時おり火を噴く。街が潰れるほどではないが」
料理長は、闇に沈む山へと目を向けた。
「それでも灰や岩が街に降り注ぐ。そういう事がこの地に来て30年の間に幾度もあり、そのたびにせっかく育てた野菜はしおれ、良くした土も状態が悪くなる」
「土壌の問題と、育てるに適した環境……」
金と時間をかければ、いくつかの案は思い浮かぶ。
だが、今すぐにどうにか出来る事ではないと分かった。
「クシナダと言い合いをしていたのも、それが理由か?」
名前の呼び捨てが癇に障ったのか、料理長が表情を険しくする。
しかし、何も言わなかった。
「若女将の提案を受ければ、料理の品数が減る。客に対して提供する物の格を落としてしまえば、次に繋がらん」
「なるほどな。……では、ここの料理に特産品がない理由は?」
地のものを使わない他に、もう一つ気になっていた点だった。
料理は上質だが、この辺りで獲れる川魚と平打ちのうどんくらいしか、特産と呼べるものが料理の内容に含まれていない。
海が近いわけでもないので、海の幸はオーツから取り寄せていても不思議ではないが、山の幸すらも見かけないのは不思議だった。
「……他と同じ事をしているだけでは、客は満足せん」
それは、初めて料理長のこだわりが滲んだ口調だった。
譲れないプライドのようなものを感じたクトーは、ようやく付け入る隙を見つけた気がした。
「なるほど。他の旅館との差別化か」
「そうだ」
「間違った認識だ」
クトーが言うと、料理長は初めてはっきりと、本気で気分を害したように鋭い眼光を放った。
「なんだと……?」
「これだけの観光地において、競合するべき他者は同じ温泉地の他の旅館ではなく、外部の別の観光地だ」
彼には料理という得意分野における年季はあっても、その眼光は化け物のような力を持つ仲間がいるクトーを怯ませるほどではない。
「客がどこから来ると思っている? この観光地の中では珍しい料理を出したとしても、ここに現れる客はクサッツの外から来る人間だ。……それもこの旅館は裕福な客を相手にするんだろう?」
「何が言いたい」
「どれほど上質であっても、クサッツでなくとも食べられる料理にあなたは魅力を感じるのか?」
冒険者として旅している時。
美味い料理は当然記憶に残るが、もう一度その地を訪ねようと思った時に真っ先に思い出す食事は、そこでしか食べられない物だ。
「今までは、クシナダの両親の努力と旅館の質もあって、この宿に泊まる客は多かっただろう。だが、彼女の代になって、唯一支えることの出来るあなたがそんな事でどうする」
クトーの言葉に、青筋を浮かべながら料理長が吼えた。
「若造が、偉そうな口を叩くな!」
料理長の剣幕に、レヴィがビクリと身をすくめた。
怯えたか、と思って彼女を見ると、表情は落ち着いている。
何か別の事を考えていて、大声に驚いたようだ。
「レヴィ。お前はどちらの意見が筋が通っていると思う?」
「いやクトーだと思うけど、あなた、言い方がね……」
「何か問題が?」
「いや、私はだんだん性格分かってきたけど、普通に聞いてたらムカつくのよ。合理的だからって偉そうに言われて納得する人ばっかりじゃないでしょ」
「む」
クトーは、目を閉じて思い返してみる。
仲間たちやギルドの者、国王とその側近。
彼らは言い分を聞き入れてくれるが、気心知れていると言われればその通りだ。
他には、と思って、以前交渉した貴族などの姿を思い出す。
クトーの 物言いに腹を立てる者は何人かいた。
腹を立てた連中の性格は、薄っぺらくプライドの高い者や、真面目な者が多かったように思う。
そういう時はどうなったか。
大体は、リュウが横から口を挟み……気づけば、クトーの態度に文句を言いながら貴族と仲良くなっていた気がした。
「つまりレヴィ、お前が説得しろ」
「はぁ!?」
レヴィが、クトーと料理長を交互に見比べる。
「何がつまりなのかさっぱり分かんないんだけど!?」
「お前なりに、考えていたことがあるんじゃないのか?」
だから気がそれていたのだと思ったが。
クトーがレヴィに言うと、彼女はまたか、とでも言いたげな顔でため息を吐く。
「ねぇ、あなたって実はわざとやってるんじゃないの?」
「何がだ?」
「人のことよく見てる割に、ちっとも空気読む気がないからよ」
その言葉が、リュウと重なった。
『お前なぁ! もうちょっと空気読めよ!』
奴にはいつも、お前に言われたくないが、と返していたが。
「では、空気を読んだ発言を頼む」
「……なんか会話が通じてないんだけど……」
ぶつくさ言いながらも、レヴィは料理長に目を向けた。
「ええと、ヤツカワさん、だったっけ? クトーはこういう奴だけど、別にあなたの料理をバカにしてるんじゃないと思うの」
料理長は目を細めて怒りをあらわにしていたが、彼女の話に聞く耳は持っているようだ。
「こう、初めて行く街とかってさ、すごくワクワクするの。この街に初めて来た時もこのユカタみたいに、いつもと違う珍しいもの見て、その、着てみたいって思ったりとか……」
元々交渉ごとに慣れていないからかたどたどしくはあるものの、冒険者としても新米で、実際に目に映るもの全てが新鮮な彼女の言葉には力があった。
「だからさ、普段より美味しい料理はもちろん食べたいんだけど、それよりも珍しい料理が食べたいのよね。クトーと食べ歩きしたけど、なんだっけ、黒い餡を包んだヤツとか」
「マンジューだな」
アズキを甘く煮たものを皮でくるんだ菓子の一種だ。
クッキーやケーキとは違う甘さを持つ、面白い菓子だった。
「多分、クトーが言いたいのはそういう、お客の気持ちとしての話だと思うんだけど……」
黙って聞いていた料理長は、レヴィの言葉に苦虫を噛み潰したような顔をしてアゴを引いた。
「猿真似をしろと言うのか」
「お客さんを呼ぶために、出来るならやった方がいいとは、私も思うわ。……その、旅館って潰れそうなんでしょ? いくら痩せた土地でも、畑がなくちゃ野菜を作れないのと同じじゃない?」
レヴィは、料理長に対して軽く手を上げて畑を示した。
「この畑で麦を育てるのは、ヤツカワさんは嫌かもしれないけど。麦の方がよく育って使われるなら、そっちの方が実入りも多いし」
需要に応える、という事が、金儲けでは重要だ。
レヴィはそれを感覚で理解しているのだろう。
料理長のこだわりは、料理の質に対しては必要な事なのかもしれない。
だが、少ない需要をあえて突くよりも人気のある素材を使う事の方が、料理の腕前とは関係のない部分で多くの客は喜ぶ、という話だ。
この街で提供される料理しか長年目にしていなければ、そちらが当たり前のように思えるだろう。
だが外から見れば、この街を訪れる者自体が『少ない需要』であり、街特有の料理こそがその需要を満たすものだ。
料理長は、目線が逆転してしまっているのだ。
「えっと、だから……」
「クシナダのためを思うなら、少し視界を広げてみる必要はないか、という事だな。この街の中ではなく、外にまで」
言葉に詰まるレヴィの続きを引き受けたクトーが告げると、料理長の表情が変わった。
クトーは、料理長が彼女と喧嘩しているのを見て、彼もグルになって旅館を潰そうとしていたのではないかと思っていた。
だが、彼と外部の繋がりはほとんどない上に、クシナダへの態度を見ても、料理長が彼女を大切に思っている事は分かった。
「あなたは分を弁えているようだ。しかし、それは何も考えなくてもいい、という事にはならない」
「ちょっとクトー!」
またそんな、とでも言いたそうな顔でレヴィが袖を引くが、クトーは黙らなかった。
「あなたなりに、あなたの領分で、どうすればクシナダを助けることが出来るかを考えて欲しい。……その為の材料はある」
クトーはカバン玉をコートのポケットから抜き出し、魔物の死体を収納している分から1匹の魔物を取り出した。
カバン玉の異空間では物質の劣化が起こらない。
ただ、カバン玉には『意思のある無機物』は入れられるが生命体は入れることが出来ない。
血抜きをして締めてあるその魔物は、収納した時の新鮮な状態のままだ。
自分でもひと抱えにしないといけない位のその魔物を、クトーは両足を掴んでぶら下げた。
「それ、前に倒した洞窟の魔物?」
「ああ」
料理長がその魔物を見て、驚いたように目を見開く。
「スペシャルチキン、か?」
この魔物は、ランクこそ大して高くはないが非常に高価な魔物だ。
臆病で逃げ足が早く、滅多に人前に姿を見せない。
火属性であり強くもないが……実はこの魔物は、非常に美味いのだ。
ファッションポイニクスと呼ばれる同じ環境に住む鳥に似た火の魔物の好物であり、それが個体数をさらに減らす要因ともなっている。
「この魔物の巣穴を見つけた。駆除していないから、おそらくまだタマゴを得る事も出来る」
あの日は退治しきる事が目的ではなく、1匹倒しただけでレヴィと共に逃げた。
スペシャルチキンの肉質はさっぱりとしていながら、口の中でとろける極上の味わい。
タマゴも他とは一線を画する濃厚なものであり、もし養殖出来れば目玉となる一品にする事も可能だ。
「山のダンジョンにも生息している可能性がある。一度レヴィと共に潜ってみようと思っている。この畑を潰して、このスペシャルチキンの養殖場を作って成功すれば、他にはない特別なものになる」
街では、串に刺した鶏肉を食べるヤキトリと呼ばれる食事が人気だった。
この魔物を使ったヤキトリを料理長が調理して売れば、おそらくは爆発的な人気を得ることが出来る。
「乗る気があるなら、旅館を立て直す第一歩になるだろう」
これ一つが策ではないが、短期収入の目玉にするためには彼の協力が必要だった。
もし成功すれば、彼もこちらの意見を聞く耳を持つようになるだろう。
料理に関して野菜の経費の削減は出来ないかもしれないが、地のものを使える体制を作る事を彼が了承すれば、その腕前を存分に振るってもらえる。
「どうだ? 乗らないか。……クシナダを助けたいと思うのなら」
彼に歩み寄って、クトーはスペシャルチキンを差し出した。
睨むようにこちらを見つめていた料理長は、不意にレヴィに目を移した。
そのままクトーの手からスペシャルチキンを奪い取り、何も言わないまま厨房へと消える。
「えーっと、どうなったの?」
「引き受けてくれるようだ」
なぜか頑固な職人と知り合うことの多いクトーは、ムラクの顔を思い浮かべた。
そして、近づいてきたレヴィの頭をくしゃりと撫でる。
「お前は、ああいうタイプの人間の心を開くのが上手い。よくやった」
「なんかよく分からないけど、ありがと」
珍しく手を振り払われなかったクトーは、自分から手を離してレヴィに告げた。
「明日は、朝から巣穴に向かう。そのさらに翌日は、ダンジョンアタックだ」
今日は更新おやすみですー。




