おっさんは女将の依頼を受ける。
「依頼をさせていただいても、よろしいでしょうか」
旅館に戻ったクトーは女将に呼ばれ、招かれた私室で頭を下げられた。
部屋の中はきちんと整頓されており、彼女の性格がうかがえる。
壁際につけられた小机に、背表紙に日付を書いた台帳や日記が並べられていた。
「当然だろう。元々こちらが持ちかけた話だ」
クトーがすぐに承諾すると、女将はホッとしたように息を吐きながら揃えた指を上げて膝に置く。
「女将は、少しは休めたか?」
顔色が良くなっているようなので尋ねると、女将は正座したままはっきりとうなずいた。
仕草に張りがあり、心なしか背筋が伸びている。
レヴィの明るい美貌とは違うが、その色白の細面は可憐と呼ぶに相応しい。
今も化粧をしているが、年齢以上の落ち着きを感じさせていたのは一人で気を張っていたからなのだろう。
美しい微笑みは、瞳に力が戻ったことでより魅力的になっていた。
「はい。レヴィ様の言葉で目が覚めました。私がしっかりと立たねば、やり直せない……その通りでしたので、倒れるわけには参りません」
「良いことだ。休む事も戦いだからな」
戦闘も商売も、本質は変わらない。
いかに兵站を確保し、前線を支えるか。
途切れなくそれを続けねばならない商売というものは、持久戦を常に行なっている事に等しい。
ジリ貧にならないようにするためには時に大胆な行動に打って出る必要があるし、休息しなければ体力が保たない。
クトーは、旅館の生き残りをかけた闘争の下準備……自分がその闘争に参入するのに必要な書類を2枚取り出して、女将の前に置いた。
事務処理、計画、そして実行の下準備は、パーティーの雑用係である自分がそれなりに得意とする分野だ。
「これは、ギルド公認の依頼書だ。依頼主側からあちらに出す依頼には二つの形式がある」
一つは『委託依頼』というもので、掲示板に張り出されているものは主にこれだ。
「ギルドに対して冒険者という人員を手配してもらうための契約を行い、ギルドは代わりに依頼主から手数料をもらう。この時に現地払いかギルド払いかを選び、ギルド払いであれば報酬も一緒に預ける」
その他、事件を解決した冒険者への報酬を上乗せする『至急』依頼とするかどうかや、あるいは特定パーティーへの依頼になるのなら、紹介料をギルドへ支払う必要がある。
特定パーティーへの依頼は報酬の額によって優先度などが決まるため、待ちの期間が長くなる事がよくあるのも特徴だ。
金に余裕のある依頼主の荷物の輸送や護衛、あるいは急ぎでない素材収集など、内容は高度だが時間に余裕がある時に出される依頼が主になる。
「ええと……私がギルドに依頼を行うことは、ないと思うのですが」
説明していると口もとに手を添えてそう言う女将に、クトーは指を一本立てた。
「君の両親が遠出した際に、襲われた馬車にも護衛はついていたか?」
クトーの言葉に、女将が息を呑んだ。
しばらく沈黙してから、彼女は震える声で言う。
「……知りません」
もしかしたら、彼女の心の傷は癒えていないのではないか、とクトーは思った。
一気に目まぐるしくなった毎日に流されて、普段は忘れているのかも知れないが。
「女将の両親が亡くなったのは、痛ましい事だと思う。だがもし強い護衛がついていたら、両親も助かったかもしれない。乗っていたのが、乗合馬車だったのか、別の手段を使ったかは知らないが」
クトーは現実を彼女に伝える。
「街の外には、魔物がいる。これから旅館を支える業務を行う上で、女将が遠出をする事もあるかもしれない。……護衛の雇い方を知っているのと知らないのと、どっちが良いと思う」
「それは……」
女将は顔を伏せた。
長いまつ毛が震えているのを見て、クトーはさらに言葉を重ねる。
「君には経験が足りない。知識が足りない。そして、急な事で覚悟も足りていなかっただろう。……だがそれでも、今までどうにか旅館を支えてきた事は、両親に誇れる事だ」
クトーが何を言いたいのか、分からなかったのだろう。
目を上げた彼女の表情は曇っている。
「俺には女将を、そしてこの旅館を救うだけの知識がある。君が支えたから間に合ったんだ」
その瞳をメガネごしにのぞき込むと、女将は膝の上でそろえた両手を固く握る。
「知識はこれから得ればいい。君の旅館を立て直すために俺は全力を尽くそう。両親の死を悲しむ暇もないほど気を張り詰める必要は、もうない」
【ドラゴンズ・レイド】の依頼達成率は100%だ。
この旅館を立て直す事は、女将に頼まれた時点でクトーの中では決定事項だった。
女将は、こちらの顔を見て固まっている。
クトーはそんな彼女に、軽くほほえんだ。
「よく頑張ったな」
女将の目尻から一筋、涙がこぼれた。
「わ、たし、は……」
彼女が、自分の顔を両手で覆う。
ひく、としゃくり上げるように一度肩を震わせて、彼女は言葉を続けた。
「いたらなくて……どうしたら、いいか、分から、なくて……!」
「そうか」
「不安、でした。こ、このまま、ぅ、旅館が、潰れてしまったら、と……」
「そんな事にはならない」
クトーの言葉に、女将はうなずいた。
少ししてから手巾を取り出して、化粧を崩さないように顔に添える。
「大変、失礼いたしました」
恥ずかしさをごまかそうとするように横顔を向けて控えめに微笑む彼女に、クトーはアゴを撫でた。
「ふむ。……女将はそうした表情のほうが、より可愛らしいな」
「え……? か、かわ……!?」
言葉の意味を理解したとたんに首筋から真っ赤に染まる彼女に、いっそ感心する。
言われ慣れていないのかもしれない。
可愛らしいものは褒めねばならんというのに、誰も口にしないとはけしからん話だ。
「落ち着いたなら、話を先に進めていいか?」
胸に手を当てて深呼吸する女将に尋ねると、彼女はまだわずかに赤い顔でうなずいた。
「は、はい……」
「依頼の形式は『委託依頼』の他にギルドを通さずに冒険者と結ぶ『直接依頼』がある」
クトーは頭を切り替えた。
どちらにせよギルドへの書類を提出するが、こちらは届出料だけで安く済む。
代わりに金額交渉などはギルド規定に沿わず、全てお互いで行った上で書面を作成する。
報酬のやり取りも手渡しになり、揉めた時はギルドが仲介役として、依頼書の内容を元にお互いの主張を吟味する。
今から行うのは直接依頼であり、依頼書の内容決めは非常に重要な事だ。
「報酬は出来高払い。期間は半月。支払いは現金一括だ。短期収入に関しては、得た収入から経費を引いた5%を俺たちへの報酬としてほしい」
「はい」
「他に条件として、従業員用の部屋を2つ貸し出してくれ。準備ができ次第、俺たちはそちらへ移動する」
女将はタタミの上に置いた二枚の書類に目を落としていたが、クトーの言葉に目を丸くしてこちらを見た。
「え……でもそれは」
「依頼人になる以上、客間は使えん。料理に関しても、まかない料理で構わない。今まで泊まった分の宿代は従業員部屋へ移動した時点で清算する」
その辺りはきっちりしておかないと、後々、もめ事のタネになるのだ。
収入もなくなるが料理などの経費も浮くので、女将にとって助かる話なのかどうかは微妙だが。
彼女はそれでも抵抗があったようだが、クトーの言葉に最終的には了承した。
「申し訳ありません……」
「気にするな。次に具体的な内容に関してだが、俺が請け負うつもりでいる事柄は3つある」
1つ目は、短期収入確保に関する計画から実働までの全般。
2つ目は、得意先回りと今後の予約客の確保。
3つ目は、新規開拓の営業についてのやり方。
最後の3つ目に関して、クトーは話を付け加えた。
「営業のやり方に関しては、俺ではなく実際に女将自身が新規顧客を確保出来た時点で、完了とする。もし出来なければ報酬は不要。報酬については二つ目の『今後の予約客の確保』と同じように新規予約として扱い、どちらも泊賃の2%を要求する」
「2%……そんなに安くていいんですか?」
女将の言葉に、クトーは首を横に振った。
「おそらく実際の利益で換算すると、客1人につき使用人への支払い給与が1人分増えるくらいの割合だ。決して安くはない」
旅館運営に限らず、商売というものは人件費がもっとも金を食う。
作物や家畜を育てるにしても、自然の恵みを得るにしても、あるいは冒険者への依頼にしても全て同様だ。
特に高級旅館であるこの旅館においては、料理人は言わずもがな、接客する者にも相応の品格と技術が求められる。
食事を出すタイミングから、失礼のない対応、料理や作法に関する知識。
そうした人員に支払う給与は相応のものでなければ人が離れ、看板を維持できなくなるのだ。
客に手厚くすればするほど、料金も高く取れるが経費もかかる。
下手をすると宿として一番儲かるのは、安かろう悪かろうの、素泊まり雑魚寝をする安宿である。
人が大量にくれば、場所代が丸々利益だからだ。
この宿は、損益分岐点を下回る……つまり、利益額に対して経費などの投資額が大きい状態であり、再び経費分の利益を確保するまでは常に損をしている状態だ。
それを利益を得るまで持っていかなければならないのに、そこにさらに従業員を1人雇う事を考えたら、本当に安くはないのだ。
中期・長期での提案でレヴィを勘定に入れていないのは、彼女はこの手の事に関して売り子くらいの役にしか立たないからである。
クトーは先に話を進めた。
「もし依頼に関して追加・変更等があれば、ギルドを通さないので、そのたびに俺たちで話し合う事になる」
「はい」
女将は真剣に聞いていて、理解もしている様子だ。
賢い少女であり、十分な教育を受ければ、女将として立派にやっていく事が出来るだろう。
今からでも遅くはない。
「他には、主に利益を出す部分に関しての指導以外に、経費削減に関する項目も追加するかどうかだが。そちらは利益に直結しないので報酬が女将の持ち出しになる」
長期的には、おろそかに出来ない話になる。
が、今すぐに必要かと言えばそうでもない要素なので、クトーは女将に判断を任せた。
「どういう点について……のお話になるのでしょう?」
「それは現在の経費について見てみなければなんとも言えん。流石に内情まではギルドが把握しているものでもないからな」
そう前置きをしてから、クトーはもう一つの書類を示した。
「帳簿に目を通す場合は、こちらに対する女将の承諾が必要になる」
2枚目の書類は、秘密保持に関する約束をするものだ。
これはギルドだけではなく、国の法律によって刑罰が発生する。
契約満了後にも有効であり、この書類によって締結された秘密保持が破られた場合。
速やかにギルドの部隊か国家所属の憲兵、あるいはBランク以上の冒険者が動き、捕縛された上で裁きを受ける事になる。
「帳簿を見ない状態で、一つ提案出来るとすれば、材料費に関しての話だ。……この旅館の料理は、地のものをほとんど使っていない。そこには改善の余地がある」
クトーの言葉に、女将は目を伏せた。
以前目撃した、料理長との喧嘩の内容はそれだろう。
二人は信頼しあっているようだった。
あの頑固そうだが分を弁えた料理長が、それでも彼女と言い合いになる事があるとするなら、自分の領分に関する事だと思ったのだ。
「お任せ出来るのであれば……ですが、料理長の言い分にも一理あるのです」
「そこは本人から直接聞こう。残りは帳簿に目を通した上で、支障がない程度に口をはさむ事になる」
「お願いいたします」
クトーは女将とお互いに内容を確認しながら依頼書と秘密保持契約を作成し、最後に書類をカバン玉に仕舞いながら尋ねた。
「これは明日ギルドに提出しておこう。公認の割印を打った写しを渡した時点から、依頼を始める。他に何か質問があるか?」
「一つ、お願いしてもよろしいでしょうか?」
「聞こう」
女将は、少し恥ずかしそうに片手を頬に添えて、口を開いた。
「どうぞ、女将ではなくクシナダとお呼びください……」
予想外の提案にいぶかしさを覚えたクトーだったが、すぐにうなずいた。
「分かった。これからはそうしよう」
クトーが言うと、クシナダはなぜか嬉しそうに微笑んだ。




