おっさんは少女に笑われる。
「あなた、誰よ?」
クトーが声をかけると、少女は警戒した顔でダガーを構えた。
だが正直、クトーからするとスキのない部分を探すほうが難しい構え方だ。
いくらパーティーの裏方とはいえ、流石に駆け出し相手に遅れを取るほど弱くはない。
「俺は、すぐそこの王都に住んでいる者だ」
クトーは特に危機感も覚えずに、少女を観察した。
転がった時に怪我でもしていないかと思ったのだが、無事なようだ。
整備の行き届いていない地面は石だらけであり、木の根などで足場も悪い。
なのに無傷である、ということはかなり身体能力自体は高いのだろう。
ならば何故ビッグマウスに攻撃が当たらなかったのだろうか、と疑問を覚えていると。
「あー、もしかして!」
少女が、不意に声を上げた。
何に気づいたのだろうか。
知り合いではないはずだが。
依頼を受けにギルドに行った時に、こちらの顔でも見かけたか、あるいは別の場所で会ったことがあるか、と記憶を思い返してみる。
特に心あたりはない。
そんなクトーに対して、少女は目の前まで来るとビシッと指を突きつけてきた。
「あなた、人の獲物を横取りしようとしてるわね!?」
「……横取り?」
思いがけない言葉に、クトーは改めて彼女の顔を見た。
気の強そうな目元に、整った顔だち。
おそらくは10代後半、と少女の年齢を推測したが、かなり小柄だ。
笑顔でウェイトレスか客引きでもすれば、そこそこ人が集まるだろう。
冒険者をやるには似つかわしくない少女だ。
それでも、動きと獲物であるダガーから推測するに、おそらくギルドで認定されているクラスは斥候。
パーティーの偵察係の他に、盗賊や暗殺者など、後ろ暗い連中も多いクラスだ。
そんな闇稼業に身を染めているようには見えないので、単なる斥候職だろう。
「横取りと言うが、仕留めたのは俺だ」
少女に思った通りに伝えてみると、彼女は何故か慎ましやかな胸をそらした。
顔は非常に得意げで、自信に満ちているように見える。
「わたしが戦ってたの、見てなかったの!?」
「見ていたが。この程度の魔物に苦戦していた割には、ずいぶん偉そうだ」
そして戦っていたというかじゃれていただけで、少女自身は一匹も倒していない。
少女は笑みから一転、むぅ、と口を曲げて大きく眉を上げた。
「この程度の魔物ですって!?」
表情が豊かだな、とクトーは感心する。
少女はこちらに突きつけていた指を空に向けて、バカにするように、ちっち、と振った。
「いい? この私が一度たりとて倒せなかった、ムカつくしゃべり方をする最強の魔物……それを私が弱らせていたところに勝手にトドメを刺しただけなんだから、あなたこそ、ちょっと私に感謝しなさいよ!」
「そうだったのか?」
クトーは、魔物に目を向けた。
どう見てもただのビッグマウスで、クトーが介入するまで元気いっぱいで駆け回っていたように見えたが。
「そうよ! でも、今初めて倒したわ!」
「だから、倒したのは俺だ」
そう告げると、少女が鼻を鳴らした。
「私が弱らせてあなたが倒したんだから、私が倒したも同然よ!」
「……そうか」
まぁ、どうでもいいことだった。
クトーとしては、報酬さえ手に入れば何の問題もない。
少女がそう思いたいなら、わざわざ訂正する必要もないことだ。
むしろ、誇らしげな様子がちょっと可愛く見えてくる。
クトーは自信のある者が嫌いではない。
それがたとえ勘違いによるものだとしても、おどおどとしているよりはよほど良いと思う。
リュウなど、冒険者になる前から『俺は世界を救うぞ!』と耳にタコが出来るくらいに繰り返し言っていた。
目の前の少女は、あいつと似た匂いがする。
しかしクトーには、少女に構ってこれ以上時間を無駄に過ごす気はなかった。
「無事だったようだし、すぐに街道のほうに戻るといい」
クトーが外套のポケットに手を突っ込みながら言うと、少女がつり目気味の形のいいまぶたを細めて、自分の腰袋に手を伸ばした。
「なんでそんな事を指図されないといけないのよ! 大体、まだビッグマウスを回収してな……」
「倒したのは俺だ。だからこいつらは俺がもらっていく」
少女の言葉をさえぎって、クトーはさっさとカラのカバン玉をかざした。
しゅるしゅると魔物たちが吸い込まれて、中に収まる。
大体、その小さな体でどうやってこのサイズの魔物を三匹も運ぶつもりなのか。
引きずったら素材が傷つくので、報酬が減る。
「あー! ……って、それ、カバン玉!?」
「そうだが」
高価ではあるが、そこまで珍しいものではない。
Cランクの魔物を倒せるくらいの冒険者なら、狩りで得た魔物などを収納するために一つくらいは持っているものだ。
「ふーん。すごいね。見た感じ、駆け出しっぽいのに」
遠慮のない少女に、この子に言われたくはないな、と思いながら、クトーは自分の格好を見下ろした。
首にかけているメガネのチェーンがシャラリと鳴る。
銀縁のメガネは人からの貰い物で身につけているが、クトーは特に目が悪いというわけではない。
自分は、駆け出しに見えるようだ。
言われてみれば、背は高くとも細身である自覚もあるし、見た目だけなら古着の外套とくれば分からないでもなかった。
「一応、多少の経験はあるんだがな……」
クトーが言うと、彼女の目が何かを考えるように宙に向けられた。
どことなく、イタズラしようとしている子どものように見えるが、生き生きとしていて可愛らしい。
本当に何で冒険者などやっているのか、不思議だ。
「カバン玉って、すっごく高いんだよね……ねぇ、あなた名前は?」
「クトーだ」
用も済んだので、質問に答えてから、クトーは元の道に向かって歩き出した。
するとなぜか、少女がくっついて来る。
「私はレヴィっていうの」
「そうか。綺麗な名前だな」
別に聞いていないのだが、名乗られて無視するのもどうかと思うので、感じた事を伝える。
「えへ、そう?」
クトーが褒めると、なぜか少女……レヴィは嬉しそうだった。
彼女は、軽やかに前に進み出て振り向いた。
手を背中で組み、器用に後ろ歩きをしながら笑みを向けて話しかけてくる。
「ねぇ、あなたどこに行くの?」
「フシミの街だ」
「あ、一緒だ。私もそっちに行くからさ、着いたらギルドでビッグマウスの報酬を山分けね!」
「……なんでだ?」
ずいぶんと不思議なことを言う。
ちらりとレヴィの顔を見ると、彼女は悪どい笑みを浮かべていた。
「ふふーん。だって二人で協力して倒したんだから、当然でしょ? 私が足止めしてなかったらあなたがビッグマウスに会うこともなかったんだから、私にも権利があるはずよ!」
クトーは、その言葉に少し考えた。
足止めというよりじゃれていただけだという認識は変わらないが、一理ある。
腹の足しにしかならないようなものでも、金のことはきっちりしなければならない。
「それにあなた、なんか弱っちそうだし、この私が次の街まで護衛してあげる! だから報酬は私の取り分多めでね!」
この少女の自信や図々しさは、一体どこから湧き出てくるのか。
そう思いながら首をかしげつつも、クトーははっきり言った。
「5割だ。それで良ければ手を打とう」
足止めをした分の報酬としてはそれでも多すぎるくらいだが。
しかしごねるかと思ったレヴィは、クトーの言葉にあっさりうなずいた。
「うん、ならよろしくね!」
レヴィはくるりと、踊るように前を向くと、キシシ、と笑い声をもらしながら肩を震わせた。
どこか楽しそうだ。
銅貨8枚の5割は銅貨4枚なんだが、そんなに嬉しいだろうか。
「どうした?」
「う、ううん? なんでもないよ!」
クトーの問いかけに、レヴィは慌てたようにビクッと震えた。
※※※
「あはははははッ! なにそれ! なにそれぇ!」
フシミの街に着き、そこにあるギルドで換金と山分けを終えたクトーとレヴィは、同じ宿に入った。
何故かレヴィが、山分けを終えてもそのままくっついてきたからだ。
「どうした?」
クトーは宿に備えつけの大風呂につかった後、食堂にいた。
そこに遅れて風呂から上がってきたレヴィが現れて、飯を食うこちらを見つけたとたんに指差して爆笑し始めたのだ。
「だってぇ……そ、その格好! なんでそんなに可愛いのよぉ!」
目尻に涙を浮かべる風呂上がりのレヴィは、髪が湿っており頬も桜色で、より魅力を増している美貌に涙が滲むほど笑っている。
そんな彼女のほうが、よほど無邪気で可愛らしい、と思いながらクトーは首を傾げた。
「何か面白いか?」
メガネのツルを手で押し上げて、クトーは周りを見回してみる。
すると同じように思っている者が多いのか、他の客もこちらにチラチラとどこか微妙な視線を向けて来ていた。
目が合うと顔をそらし、幾人かは後ろを向いて肩を震わせている。
見られていることはきちんと感じていた。
危険な気配ではないので放っておいたのだが、どうやらこの格好が笑われているらしい。
クトーが身につけているのは、部屋着である【着ぐるみ毛布】だった。
毛布で作った、外套の上からも着れる寝具兼用の服である。
冒険者は野宿が多い。
しかし荷物として、毛布などを持つとかなりかさばる。
普段はカバン玉に入れておけば問題ないが、それでも外で眠る時は寝具を出して包まる必要がある。
そこでリュウが考え出したのが、この寝間着だった。
着ぐるみ毛布は、体を足の先まですっぽりと覆ってくれる。
あたたかい上に、魔物素材だから多少は防御にも使える代物だ。
「なかなか便利なんだがな」
クトーは少し納得がいかず、アゴを撫でた。
例えば、モンスターなどは火を恐れないモノも多い。
野営するのに安全な場所はそうそうないし、魔物よけの結界アイテムは使い捨てなのに少々値が張る。
普通に手に入るランクだと、効果自体も上級モンスターには通じない程度だ。
それならば、寝具を最初から服として着込んでいれば、少し動きはにぶるが不意打ちされても素早く逃げられる。
不意打ちを食らえば、商人の護衛などをしていると逃げる時に荷物を捨てなければいけない事もある。
また、毛布と荷物を持つことで両手がふさがり武器を持てなかったり、ということだって十分考えられるのだ。
最初着てみた時に、これはいいものだ、とクトーは思った。
だから街に住むようになってからも使い続けており、部屋着はこれ以外に持っていない。
リュウの発想はいつも奇抜ではあるものの、有用なことが多い。
奴は呑気で無鉄砲だが、その分、柔らかい頭を持つ男なのだ。
もしリュウではなく、何事もきっちりしないと気が済まないクトーがパーティーのトップだったとしたら……他の連中が息苦しくなり過ぎてしまい、とっくに解散していただろう。
そもそも自分より屈強な連中ばかりだから、そんな事はありえないのだが。
つらつらと取り留めもないことを考えるクトーに対するレヴィの反論は、意外なものだった。
「便利とかの問題じゃないから! その格好そのものがおかしいって言ってるの! 後、模様!」
「……そんなにおかしいか?」
「むしろおかしくないと思ってたの!?」
レヴィの言葉に、普段使っている夏場用の薄い部屋着をあらためて見下ろした。
自分の趣味で、見た目をこだわり抜いたものだ。
基本の色は落ち着いた緑で、そこに白や薄い赤の、可愛らしい花柄を散りばめてある。
花の香り袋を部屋着の中にいれており、それがふんわりと香る。
目に優しく、落ち着く色と香りの寝巻着。
眠るのに最適だ。
どう考えても、何か問題があるようには見えない。
「少しもおかしくはないと思うが」
「あなた、頭大丈夫!?」
「む」
クトーはかすかに眉をひそめた。
「極めて明瞭だ。この模様も、非常に可愛いと思うしな」
「はぁ!?」
レヴィが、信じられないもの見るような目をした。
「何それ、じゃあその格好わざとなの!?」
「俺は可愛いものが好きだ。何か問題があるか?」
意外と言われるが、女性も動物も見た目や中身が可愛らしいと和む。
だからこそ、常に目に入るこの着ぐるみ毛布は、可愛らしく仕立ててもらったというのに。
目の前のレヴィもそれなりに和んだ気分にさせてくれるので、付いてくるままにしておいたのだ。
「はぁ……あなた、変わってるって言われない?」
「よく言われるが、それがどうした?」
ようやく笑いが治まったらしいレヴィを眺めてから。
クトーはすっぽりと、首の後ろにあるフードを被ってみた。
「他にも、こんなものもあるぞ。俺は枕が変わると、寝れなくはないが落ち着かないたちでな」
「その花柄でドラゴンの頭ーーー!? しかもそれも可愛いーーーッ!!」
「そうだろう。このフードの後頭部には、羽毛が詰めてあって枕がわりになる。普段から使っている理由だ」
フードは、パーティーの印章であるドラゴンの頭だ。
つぶらな瞳に見せかけたボタンや丸いツノに似た飾り布などで作ってある。
ちなみにお手製だ。
個人的には会心の出来だと思っている。
しかし。
クトーがうなずくと、今度はレヴィだけでなく周りの客まで爆笑した。
「あはははは! ちょっともうやめてぇ! 笑わさないでぇ〜〜〜〜ッ!!」
床に転がって笑いたそうなレヴィが、テーブルに突っ伏して息も絶え絶えになっている。
彼女が顔を伏せてしまったので、残念な気持ちになる。
もう少しその笑顔を眺めていたかったのだが。
「むぅ……しかし、やはりわからん」
クトーは顎に手を当てた。
一体、なぜ笑われるのか。
何も面白いことをしたとは思えないが、この状況には覚えがある。
リュウが大爆笑する時や、パーティーの連中が引きつったような半笑いを浮かべる時。
そんな時に感じる気持ちと、今の気持ちは同じものに思える。
「まぁいい」
笑うのは良いことだ。
気分が上向き、活力が湧いてくる。
ころころと天候が変わる魔の山で遭難した時も、リュウと二人で冗談を言い合って乗り切ったものだ。
「とりあえず、座ったらどうだ? 腹が減っているだろう」
「あ、うん……」
テーブルにはすでに俺の買ってきた食事が並んでいる。
一通り口を付けたが、どれも素晴らしい旨さだ。
ふわりと香り高い小麦の丸パンは焼きたてで暖かく、表面はパリッと、中は食めば溶けるような口触りの良さ。
贅沢に胡椒を振ったバジルソーセージはスパイシーでみっちりと肉が詰まり、ピリリとした刺激の中に旨味の広がる逸品。
他にも、新鮮な野菜のサラダはレタスと薄くスライスした玉ねぎに、ゴマを擦って絡めたドレッシングとマヨネーズが小鉢で添えられている。
水気に艶めくレタスは、ドレッシングの濃厚な味わいを感じた後に口の中をさっぱりと潤してくれる。
玉ねぎスライスはどうやら新玉ねぎであるようで、柔らかな食感と甘みは特有の刺激がない上質なもの。
さらに海が近い街なので、大エビガニの丸蒸し。
足を一本取って鮮やかに赤い殻をするりと剥くと、芳醇な香りと共に湯気が立ち上る。
口にすれば軽く解けるような食感と共に、じわりと舌にとろける塩気と身の味わいを感じられる。
食事を別料金にするだけあって、安宿のわりにしっかりとした食事を出す。
今度この街をパーティーの誰かが訪れる時は、ここに泊まらせようと思ったくらいだ。
安く上がってしかも美味い穴場を探せば、その分だけ経費が浮くし旅も楽しみになる。
しかしレヴィは、確実に一人では食べきれない上質な食事を前になぜかちょっと困った顔をした。
客が並び、食事を受け取る配膳カウンターとこっちを交互に見ている。
彼女が何かを言う前に、クトーはテーブルの上を示した。
「買いに行かなくて良い。ここにあるものを食え」
「え?」
「お前の状況は、見れば分かる。金は貸しておいてやる」
クトーの言葉に、レヴィは驚いた顔で固まった。




