おっさんは、暗殺者の少女を選びます。
続く兌双の扉を開くと、そこに居たのは生真面目そうな青年だった。
古びて薄くなった衣服に怪我をしているようで、地面に倒れて呻いている。
そして扉の向こうからは、遠吠えのような魔物の鳴き声が響いていた。
「……ネアル、か?」
歳はかなり若いが、彼は黒色人種領副官の面影を持っている。
おそらくこれは、マナスヴィンの記憶に由来する場面なのだろう。
「第二の扉は、沢にして末娘、二陽一陰ゆえに浮かび上がる影の扉……」
そこに怪我をした男が倒れている、ということは、ここで求められるものは。
「ーーー守るための逃走。追いついてくるのは、恐怖心か」
恐怖から逃げる。
その行為自体は陰と呼べるが、それが守る者を背負い生き延びるための行為であるとすれば、差し込む陰は希望の光へと向かうためのもの。
「フー」
クトーが、猫獣人のニンジャに声をかけると、口元をマフラーで覆った無表情な少女が前に出る。
「何、クトー」
「あの青年を背負って、魔獣の声に呑まれないように走れ」
「それが勝負?」
「ああ。生き残るための闘争を相手は求めている」
フーは、こくん、と首を傾げた。
「無事に出来たら、子作りする?」
「人間と獣人の間に子どもは出来ない。……だが彼を救えば、ギドラが殺す分の命とチャラになる」
「分かった」
フーはうなずき、扉に向かって足音もなく歩き出す。
彼女は、暗殺者として育った。
元々は獣人領からさらわれ、死と隣合わせの過酷な試練を架されて歪んでしまった少女だった。
『殺すことは救いだ』と、そう教え込まれた彼女が属していた組織を潰して共に行くようになってから、彼女の価値観を変えさせるのに苦労した。
ともすれば、悩み苦しんでいる者を殺そうとするからだ。
その対話の過程で、罪の意識を芽生えさせていれば、もしかしたら完全に廃人になっていたかもしれない。
あるいは、同族殺しをさせられていれば。
だが彼女は、不幸中の幸いとして、人間専門の暗殺者だった。
そんなフーの中で、最終的に生と死の二つの価値観は奇妙な混ざり方をした。
『誰かを殺した分だけ人を増やすことが救い』『誰かが死んだ分だけ誰かを助けることで等価』だと。
だがクトーは、彼女が得た新たな価値観を否定しなかった。
他者の納得は他者のものであり、それが迷惑な行為に繋がらなければそれでいい。
冒険者として魔物を狩り続ける限り、今、彼女の矛先が人間に向くことはない。
他人を助けることを覚えたフーは、ネアルに触れると、彼の小柄な体をさらに小柄な背中の上に軽々と担ぎ上げて、走り出した。
背中が見えなくなって扉が閉まると、リュウが言う。
「足が早いアイツなら、余裕で逃げ切れるな」
「そういう意図で選んだわけではない」
「あ? そうなのか?」
「〝采配八計の陣〟のうちに秘められた罠は、心象による概念的事象に過ぎない。今回の兌双の扉の意図は、希望を心に強く持つ者が生き抜く類いの罠だ。……が、フーにそれはない」
「じゃ、なんでアイツを行かせた?」
リュウが首をかしげるのに、クトーは淡々と答えた。
「扉の中で追いついてくる魔物の正体は、死への恐怖心だ。ーーーだが、フーに追いつく魔物はいない」




