おっさんは、陣の主と対面するようです。
「行くぞ」
クトーが乾一の扉の前に立つと、ドアノブのない扉が音もなく開いた。
すると、そこにいたのは一人の男。
背後の扉以外何もないガランとした部屋の中央であぐらを掻いて、二振りのダンシング・ダガーを体の両脇に置いている。
その相手の姿を、クトーはつい先日目にしたばかりだった。
「……マナスヴィン」
声をかけると、ドレッドヘアを揺らしながら顔を上げた黒色人種領辺境伯は、白い歯を見せてニッと笑みを浮かべる。
「Hey、ソウルブラザー・クトー。ゴキゲンかい?」
「……」
〝采配八計の陣〟に存在するルールに、思いを巡らせた。
この陣は基本的にマスターとプレイヤーの勝負である。
だが相手側に関しては、基本的には八つの計略の中に他者を介在させることが出来ない。
介在させた者に裏切られたら、その瞬間に勝負が決まらなくなるからだ。
結果、陣を張るための制約に抵触し、陣そのものが消滅する。
つまり。
「お前が、この〝采配八計の陣〟の中心か」
クトーの問いかけに、マナスヴィンは軽快に立ち上がりながらうなずいた。
「HaHaHa、その通りさ、ソウルブラザー・クトー。コイツは俺と君の勝負ってことだな」
「解せんな。事情は話したはずだが、その上で相手に与するのか」
「んー、そうだな。……コイツが、忠義、ってヤツかな?」
片目を閉じて、あくまでもおどけた様子を見せるマナスヴィンに、クトーは目を細めた。
ーーー相変わらずふざけた物言いだな。
義ならばともかく、忠の一字が全く似合わない彼に対してそう感じる。
マナスヴィンの言葉を信じられない要因の一つに、彼はこちらに自前の騎竜兵隊を出しているという事実があった。
それだけを見ても、全く行動と言動がかみ合っていない。
タクシャのことを尊敬しているからこそ……と、考えることも出来るが、クトーはそうではないことを知っていた。
ーーーこれが、アーノが言っていた『意地の悪い策』なのだろう。
そんな風に考えながら、クトーは昨夜、リュウと共にパーティーハウスに向かっている途中で姿を見せた、黄色人種領辺境伯との会話を、思い出していた。
『なぜこんな場所にいる?』
『それに関してはどうでもいいじゃない。邪魔をするつもりはないけど、忠告しようと思ってさ』
『忠告?』
『そう。ーーーマナスヴィンは向こうについたよ。理由は多分、人質を取られたとかじゃないかな?』
あくまでも軽い調子でそう告げるアーノに、クトーは静かに問いかける。
『なぜお前が、それを知っている?』
『本人に頼まれたからさ。……根回しはしてあるから、自分に何か起こったら騎竜兵隊を動かすタイミングを計って欲しいってね』
アーノはアハハ、と明るく笑いながらも、目の色を冷たいものに変えて髪をかき上げる。
『わざわざマナスヴィンがボクにそれを伝えるってことは、つまり『もう何かが起こった』って言ってるのに等しいよね』
『……ふむ』
『意地の悪い策でも、打ってるんじゃない? ま、頑張ってね』
クトーがアゴに指を添えると、アーノはあっさり踵を返してヒラヒラと手を振った。
『頼まれたことは終わったし、余計なお節介もした。だからボクは、これから好きに動かさせてもらうよ』
『……隠れて帝城に突入するつもりなら、一緒に来た方が安全だと思うが』
『そうかな?』
曲がり角でもう一度こちらに目を向けたアーノは、人差し指を立てて軽く振る。
『ボクは一人でも安全だよ。ーーー何せ、〝現世の扉〟からここまで、君たちにも気づかれず、魔物にも襲われずに来たんだから。違うかな?』
そう言って、掴みどころのない少女は姿を消した。
ーーーおそらく、もう帝城に入っているのだろうが。
彼女の目的が全く読めないので、その行動の理由も予想の域を出なかった。
アーノが『自分自身に益をもたらさない』振る舞いはしないタイプであることだけは分かるので、危険を犯す以上はそこに何らかの利益があるはずだ。
ーーー邪魔をしない、という言葉は、手助けをしない、という意味にも取れる。
アーノといい、マナスヴィンといい。
帝国の内部にいる者たちは、味方の時には頼りになるが、敵に回すと非常に厄介な相手である。
クトーは、一度アーノのことを置いて、目の前のマナスヴィンに意識を戻す。
彼女が、人質、と口にしたからには、それが黒色人種領辺境伯の弱味なのだろう。
ーーーネアル、か。
〝采配八計の陣〟を突破されたらあの副官が命を失う……義に厚い目の前の男が、こちらと敵対する条件としては十分に考えられることだった。
つまり、彼は確実に本気でこちらを殲滅しに来る。
手を抜くことが、信頼していた相手の死を意味するのなら。
おそらくは心の天秤の片側に〝矜持とクトーらの命〟を、もう片方に〝ネアルの命〟を乗せたのだ。
「Hey、ソウルブラザー・クトー。そろそろ始めないか?」
目の前で待っているマナスヴィンの表情は明るいが、その奥底には死相が見えている。
ーーー死ぬつもりか。
彼はおそらく、この陣を最後まで成立させるつもりがない。
〝采配八計の陣〟はマスターが勝負を放棄すれば、その瞬間にマスター……つまりマナスヴィンの命を断ち、賭けられたものを無効化する。
ーーー魔族は全くもって度し難い。
怒りとともに、クトーはメガネのブリッジを押し上げた。
クトーらが勝ち、ネアルが死んでも。
マナスヴィンが勝ち、クトーらの内誰かが死ぬ、あるいは全滅しても。
彼が勝負を放棄して自らの命を絶っても。
いずれにせよ、相手には何の痛痒もなく、クトーらを苦しめることになると知っている。
ーーー真の支配者は、ゲームの外にいる者だからな。
死の遊戯を観て楽しむ観客こそが、本当のゲームマスターなのである。
「マナスヴィン。一つ言わせてもらおう」
「何かな? ソウルブラザー・クトー」
全てを理解した上で、クトーはカツン、と杖先を床に打ち付けて、彼に告げる。
「俺は、この場で誰一人として犠牲にするつもりはない。いいか。誰一人として、だ」
それを告げると、マナスヴィンは軽く目を見開いた後、ふっと表情を緩める。
「やはり君は偉大だな、ソウルブラザー。ならせいぜい、期待させてもらおう」
「ああ」
うなずきながらクトーがアゴをしゃくると、銀縁メガネのチェーンがシャラリと音を立てた。
「ギドラ。乾一の扉はお前に任せる」
「何をすりゃいいんすか?」
「第一の扉は、天にして父、三陽の扉は公明正大にしてあまねく扉だ。ーーーその本意は、マナスヴィンの性質に当て嵌めれば自ずと答えが出る」
拳闘士が頭を掻きながら前に出たので、クトーは告げる。
「ーーー真っ向勝負の決闘だ。奴と同じ〈風〉の力で叩き潰し、先で待っていろ」
ギドラの勝利を確信しているクトーの言葉に、ギドラは嬉しそうに左の掌に右の拳を叩きつける。
「殺さずに、っすか?」
「扉の内に在るマナスヴィンは幻影だ。本体は坤捌の先にいる。……殺せ」
命令に一つうなずいて、ギドラが乾一の扉に飛び込むと、その瞬間にバタン! と扉が閉まった。
勝負開始だ。
ーーーネアルの命も、マナスヴィンの命も救う方法はある。
クトーは、次の扉に向けて歩きながら考えた。
全員を無事に生かすためには、ルールの穴を突いて、陣そのものを解除すればいいのだ。
例えば、今回の第一の扉に関しては『一対一の決闘』というルールが定められている。
ならば転移魔法などを使い、第三者を送り込んで扉の決闘に乱入させれば、おそらく陣は解除されるだろう。
だが、クトーには即座に陣を崩すつもりはなかった。
もし不自然にそれをやれば、ネアルが別の手段で魔族に殺される可能性もあるからだ。
だからこそマナスヴィンも、陣が発動した瞬間に命を断つようなことをしなかったのだろう。
ーーー第八の扉の先に、ネアルはいる。
おそらくは魔族とともに。
ならば最低でも半数、負けてレイドの連中を向こうに送り込んでから死ぬ、というような算段を、マナスヴィンが立てていた可能性があった。
ーーーあまり俺たちをナメるなよ、魔族ども。
釘を刺した以上、マナスヴィンはどうしようもない状況にならない限り、自死を選ぶことはないだろう。
後は、策を打って駆け引きをするだけだ。
いつ陣を崩すか。
それを考えながら、クトーは第二の扉… …〝兌双の扉の前に、立った。




