おっさんは、センツちゃん人形をもらうようです。
「クトー様、おはようございます」
涼しげな一重まぶたの顔に柔らかい微笑みを浮かべた彼女は、手に持っていた菜箸を置いて、完璧な所作で頭を下げた。
顔を上げると、相変わらず目尻に赤い紅を差したクサッツ独特の薄化粧をしているが、以前見た時よりも可愛らしさに磨きがかかっている。
「……なぜここに?」
彼女がいる理由が全く分からずに、クトーはとりあえずそう問いかける。
すると、クシナダがたすき掛けをした着物から覗く白魚のような色の腕を上げて、頬に手を当てた。
「ご帰還されたと伺ったので、お食事を準備させていただいておりました」
確かに彼女のいう通り、部屋の中にはミソという調味料と魚の焼ける香ばしい香りに加えて、コメが炊ける独特な匂いが広がっている。
が、そういうことを聞いているのではない。
色々と間の過程が飛んでいる説明に、クトーは顎を指で挟んで思案する。
「クシナダ」
「はい」
「まず、王都にいる理由が知りたいのだが」
高級旅館の女将を務めている彼女は、少なくとも暇ではないはずだ。
王都とクサッツを行き来するには山を越えるか、港町オーツを経由して回り道をしなけれならないため少し遊びにくる、ということが出来る距離でもない。
「そのことですか」
クシナダは、クトーの問いかけにぽん、と手を打った。
「以前、クトー様にいただいたお手紙で『王都のお祭りに参加しませんか』とお誘いを受けたのですが、覚えておられますか?」
「ああ」
小国連首脳会議に合わせて、豪商ファフニールが企画したものだ。
事情が激変したため会議を行う理由がなくなったが、準備を始めてしまっていた以上祭りそのものは開催しないわけにはいかないため、現状は中断・延期という形になっている。
「以前街で串売りや弁当売りをしたことはございますが、あくまでもクサッツの街中での話……仕入れや調理の段取りなど、現地でどの程度可能か一度視察してみなければならないと思っておりましたので」
「……必要なもの伝えてもらえば、こちらで手配したが」
誘ったのはこちらである。
しかしクトーの言葉に、クシナダは首を横に振った。
「いえ。あの後、クサッツで弁当の仕出しを頼まれることが増えまして、わたくしもまだ若輩の身なので、のれん分けまで手をつけられる状態ではありませんが」
仕出しの屋台くらいなら、成果によっては常駐を考えている、というクシナダに、クトーは感心した。
彼女はこの一年で女将としてずいぶん成長したようだ。
「利益を増やすことを、考えられるくらいにはなったのか」
「はい。おかげさまで旅館の経営そのものは順調ですし」
それ自体は、気にかけて何度か資料を取り寄せたり、彼女自身との手紙のやり取りで知っていた。
「ちょうど掻き込れ時も終わった頃合いに『なるべく居住地域からの外出を控えるように』という通達が王都からありまして」
その件については、クトーも知っていた。
帝都が魔物の巣窟になっているという極秘情報入手の後、魔物の活性化が想定されたため、冒険者でもDランクレベルまでの者達に関しては同様の通達が出ている。
「客が減ったか?」
「いえ、こちらから通達のことをお伝えして、対応させていただきました。道中、お客様に万一のことがあっては、商売どころではないですから」
それで手が空いたので、クシナダは王都に来たらしいが。
「……外出禁止は君もだろう?」
「交易に関しては、護衛をつけることを推奨してはいますが制限はされておりません。運送用の翼竜便に同乗させていただいたのです」
口元に手を当てながらクシナダはふんわりと表情を緩めるが、随分としたたかになったものだ。
「手隙の間を利用して小屋を増設、養鶏のほうにも力を入れ始めました」
以前串売りをするために捕まえたスペシャルチキンは、きちんと役に立っているらしい。
「旅館で串売りする以外にも幾分かよそに卸売りを始めておりますし、仕出し弁当についても継続しているので、利益は薄いですが維持費を含めて赤字は出ておりません」
それらの業務は旅館の経営がなければ中居と料理人たちで回るため、料理長も新たな調理法を勉強するためにこちらに一緒に来ているらしい。
「ふむ。旅館側の指揮は誰がとっている?」
「ルギーさんです」
出てきた名前は、意外なものだった。
元々クサッツに住んでおり、異空間内での建造物構築のためにこちらに呼び寄せていた武器職人ムラクの弟子である。
「クサッツに戻っていたのか?」
「クトーさんを通じて知り合った際、料理長とムラクさんが意気投合いたしまして。調理器具一式を作ってくれたりもして、ご縁が」
と、クシナダは少し頬を染めた。
その意味合いは分からなかったが、クトーは特に気にならなかったので話を先に進める。
「あのムラクが、調理器具を作るほど気に入ったのか」
おそらくは、料理長と職人気質の波長が合ったのだろう。
同時に、経営に関する苦労でルギーとクシナダが意気投合したのだろうと思われた。
「はい。それでクトーさんの件をお伝えして段取りを相談したところ、ムラクさんがルギーさんをこちらに戻してくださったのです」
他は、態度が軟化した料理長とともに、副料理長と番頭を一人、自分たちと同じ仕切りが出来るように育てていたので、その三人で現在は回しているそうだ。
「素晴らしい」
人材育成と経営状況、休業対応とその間の過ごし方まで含めて、彼らの段取りは完璧である。
「で、うちで食事を作っている理由は?」
「お戻りになられたとお聞きしたので。魔物の襲撃で王都が封鎖されてしまいましたし、視察どころではなくなって手持ち無沙汰でしたし……」
と、クシナダが言ったところで、レヴィが目を擦りながらむーちゃんと共に起き出してきた。
「おはよ……ってクシナダ!?」
「はい。おはようございます」
ニコニコと、一気に目が覚めたらしいレヴィにも挨拶したクシナダは、彼女にもクトーに対するものと同じ説明をして、懐に手を差し込んだ。
「暇な間に、こういうものを作って参りましたので、お納めください」
そうして彼女が差し出したものを見て、レヴィは頬を引きつらせた。
「何よこの人形!?」
「クトー様とレヴィさんの、センツちゃんばーじょん着ぐるみ人形ですわ!」
それは彼女の言った通りのものだった。
チェーンのついた銀縁メガネをあしらった顔と、黒いポニーテールの頭をしたセンツちゃん人形である。
「大変可愛らしいな」
「そうでしょう!?」
「そうでしょうじゃないわよ! 勝手に人の似姿使って何してるのよぉ!?」
可愛いもの同盟であるクシナダがキラキラと目を輝かせるのに、レヴィが激しくツッコむ。
「何が気に入らんのだ?」
「気に入るとか気に入らないとかじゃなくて、許可を取りなさいよ許可を!」
「いらんのなら両方俺がもらうが」
メガネを押し上げながら、正直とても欲しいクトーが告げると、クシナダは首を横に振る。
「いえ、これはクトー様のをレヴィさんが、レヴィさんのをクトー様が、それぞれにお持ち下さい」
「む?」
レヴィの勢いにも全く動じなかったクシナダは、それに関する種明かしをした。
「中身は〝身代わりのお守り〟です。街の魔導具屋さんで買ったものに縫った外側を被せただけなので……気休めかもしれませんが、ご武運を祈って」
理由を知ってそれ以上何も言えなくなったのか、レヴィが微妙な顔でこちらを見たので、クトーはうなずいて手を差し出した。
「ありがたくいただこう」
「……ありがとう」
「いいえ。わたくしが好きでやったことですから」
クシナダは、こちらのことを心配しているのだろう。
だが、それを表に出さずににこやかに振る舞っているのだ。
ーーー本当に強くなったな。
そう思ったクトーに、彼女はパン、と手を叩いて鍋に向き直る。
「では、食事にいたしましょう。またお出かけになられる前に、ご満足いただけるものを作ったと自負しております」
そうして、碗に汁をよそいながら、クシナダは片目を閉じた。
「ーーー腹が減っては戦は出来ぬ、と申しますから。ね?」




