おっさんは、仮眠から目覚めたようです。
ーーー【ドラゴンズ・レイド】の帰還から半日。
「そろそろですか?」
ニブルは、決して他の人間には向けない柔らかな笑顔を浮かべながら、ユグドリアに声をかけた。
「ええ」
答えた彼女の手の中にある世界樹で出来た大木槌には、時間をかけて濃縮された生命の気が宿っている。
彼女がその場に立っているだけで、周りに草木が芽吹くほどの圧倒的な精気だ。
ニブルは小さくうなずいてから、笑みを消して眼前の光景に目を向ける。
そこには、全く身動きが取れない状態で立っている二体のエティア複製体がいた。
片方を包むのは、青い多重結界。
本来であれば防御に使用するはずの最上位聖結界により最外部が覆われ、その内側には同様に聖属性の封印結界が敷かれている。
二つの結界は相互に作用し、エティアの動きを完全に封じていた。
エティアの本体には、無数の木の根に似たツタが這っていた。
聖結界の影響を受けない木の根は、地面の下から結界の外に這い出してユグドリアの足元に繋がっていた。
〝世界樹の騎士〟にのみ行使可能なユニークスキル《精命流転》。
相手に植え付けた宿り木により、相手の根源力を吸い上げて精気として自らに転化する術である。
相手の体力を奪い、自身の継戦能力の底上げをはかるのが本来の使い方だ。
が、ユグドリアは今、その精気を全て木槌に溜め込んで攻撃力に転化していた。
彼女とニブルは、この連携で幾多の敵を葬ってきたのである。
半日近く瘴気を吸われ続けたエティアの体は黒から色あせた灰色に変化しており、二つの獣の首はガリガリに痩せ細っていた。
その横では、別の方法で動きを封じられたエティアがフヴェルに取り憑かれていた。
鉱物の体が、中央の頭を残して分厚い氷塊に閉じ込められている。
冷気を操ることにかけては右に出る者のない、霜の巨人フヴェルの最上位固有魔法……《永久凍土》である。
唯一露出した白仮面も真っ白な霜に覆われており、完全に凍り付いているように見える。
その白仮面を、フヴェルは下半身を霧に変えて背後に浮いたまま、両手で掴んでゆっくりと捻っていた。
ビシ、ビシ、と音を立てるたびに首から鉱物の破片が弾けており、もうすでに180度近く回された首は半分ほどの細さになっている。
「フヴェルも始末がつきそうですね」
「思ったよりは始末しやすかったわね」
彼らはかつて、Aランクの冒険者パーティーだった。
Sランクでなかった理由は、かつて遺跡で二人の仲間を失い、魔王打倒後に引退したからだ。
類稀な治癒師であるニブル。
鉄壁の防御を誇る聖騎士から、世界樹の騎士になったユグドリア。
そして相手の動きを封じることに長けた、霜の巨人フヴェル。
そこにアタッカーであった剣と魔法の双子を加えた彼らは、こう呼ばれていた。
ーーー【征服されざる壁】。
圧倒的持久力を誇り、敵が強大であればあるほど、時間をかければかけるほど有利になる……そんな堅牢さと切り札を備えた存在だったのだ。
「じゃ、始めましょう」
十分に精気を溜めたユグドリアは、木槌を手に一歩を踏み出した。
足裏でブチブチとツタが千切れ、エティア複製体との繋がりが途切れる。
膨れ上がった闘気に気づいたのか、フヴェルがユグドリアに目を向けてから、仕上げに入った。
バキン、と白仮面を備えた頭を完全に引きちぎり、その首も氷で覆い尽くして再生を阻害すると、胸元で両脇から力を込める。
ユグドリアも、聖結界に覆われたエティアに向かって大きく跳んだ。
『ゴォアァ……!』
メキメキと音を立てて、フヴェルが掌の間で白仮面を押し潰すのと同時に、ニブルが結界を解く。
そして、避けることも出来ない完璧なタイミングで、ユグドリアは槌を振り下ろした。
「ーーー《命転撃》!!」
振り下ろされた、エティア自身の力を転化した強烈な一撃は。
その頭を叩き潰しても止まらず。
広がった威力により広範囲のすり鉢状の穴を残す猛威を振るって、その巨体を跡形もなく消滅させた。
※※※
遠くから響く、一際大きな振動を感じて。
パーティーハウスの横にある自宅で仮眠をしていたクトーは、パチリと目を開いた。
「……そろそろか」
時計を見て時間を確認したクトーは、体を起こして軽く体をほぐした。
おそらく他の仲間たちはまだ眠っているだろう。
準備を整えて叩き起こさなければならない……と考えたところで、クトーはリズミカルなトントントン、という音と鼻歌を聞いた。
「む?」
自宅に帰るのがめんどくさい、と空いた部屋で寝ているレヴィとは違う声音だ。
ーーー誰かがいるのか?
忍び込まれているにしては、鼻歌とは呑気である。
すぐに動けるように、と汚れを払った聖白竜のスーツを身につけていたクトーは、ファーコートと杖を手にしてそっと自室のドアを開ける。
気配は台所からだ。
慎重に足音を立てないように動き、そっと覗き込んだクトーは……そこで、予想外の人物を目にした。
「ーーークシナダ?」
そこに立って料理をしていたのは、鮮やかな赤い着物を身につけた、温泉街クサッツの若女将だった。




