おっさんは少女の怒りの意味を知る。
「気に入らないのは分かったが、噛みつくな」
昼食を辞退して街に出たクトーは、道を歩きながらレヴィに注意した。
あんな別れ方でお互いに顔を合わせたくはないだろうし、丁度用事もあったからだ。
旅館には一応、何かあった時のためにトゥスを残している。
『わっちはのんびり、ひなたで昼寝でもしとくさね』と意味ありげな目で送り出された。
「謝ったでしょ」
鬱陶しそうに目を向けてくるレヴィに、クトーは告げる。
「そういう問題ではない」
「じゃ、どういう問題なの?」
「依頼人に対して、ああした態度を取ると損をする」
「あの女将はまだ依頼人じゃないでしょ」
レヴィは、女将に噛みついた時と同様に、彼女にしては珍しく低い声音で吐き捨ててくる。
よほど腹に据えかねているのだろう。
彼女のギスギスした態度に、前から来る通行人が避けるので歩きやすくはあるが。
「困っているだけの相手なら報酬が少なくたって助けるけど、いくら高い報酬を貰ってもやる気のない奴を助けるのは、私は嫌だわ」
「どんな相手でも、助ける事に意味はある」
「そう。じゃ、あなたは人に頼り切って自分から何もやろうとしない奴を、ずっと助け続けるの?」
アゴを上げ、皮肉な口調で言って鼻を鳴らすレヴィに、クトーは至極当然の事を伝える。
「それが必要ならな。それに、女将のやる気を引き出すのもやるべき事ではある」
「何故?」
「それが人を育てるという事だからだ」
「じゃあ、あなたの周りには今までも元々やる気のない奴がいたのね」
「む」
クトーは自分の仲間たちを思い返してみた。
ミズチ以外は誰も彼も猪突猛進か自分勝手な奴らばかりだが、助けた時に気概のなかった者は思い当たらない。
「いないな」
「やる気のない奴が、良い依頼人だった事は?」
「それもないな。が、女将は希望が見えなくて竦んでいるだけだろう。そういう奴はいた」
人は弱る時もある。
女将にしても疲れているようだったし、それを責めるのは酷な話だ。
しかし、レヴィは引かない。
「結局甘えてるんじゃない。周りがなんとかしてやろうって時に、自分で奮い立てないんでしょう?」
「……そうだな。お前には理解し難いか」
世の中には、芯の強い者ばかりがいるわけではない事を、この少女はまだ理解していない。
その態度が昔の自分を見ているようで、少し懐かしくなる。
「何を一人で納得してるのよ」
「いや。言われてみれば、お前の言う通りなんだろうが」
芯の強さを最初から持っているレヴィが怒っている理由を、クトーはようやく悟った。
彼女は、本当は女将ではなく、自分に怒っているのだ。
「女将の状況を、自分と重ねたか? だから気に食わないんだろう」
問いかけると、案の定彼女は言葉に詰まった。
人に頼りきりの状況。
結局甘えてばかり。
それはレヴィ自身にも言える事だと、彼女は感じているのだろう。
「……どうせ、あなたは私の事をバカだと思ってるんでしょうけど」
図星だったのか、レヴィは顔をそむけた。
握りしめた拳が小さく震えている。
「自分が役立たずで弱いんじゃないかって事くらい、私だってとっくに気づいてるわよ。あなたやトゥスがいなくちゃ何も出来ないって事もね」
そう自分を卑下する彼女の声は、しかし張りを失っていなかった。
折れている訳ではないのだろう。
むしろ剥き出しの反骨心をにじませて、レヴィは言い放った。
「だからって、私はずっと甘えて頼りっぱなしでいるつもり、ないもの」
クトーは、そっぽを向くレヴィの頭をくしゃりと撫でて立ち止まった。
この少女は、なぜこうも可愛らしいのかと思う。
「自分が情けなくて人に八つ当たりしている間は、子どもと変わらん」
「だから悪かったって謝ったでしょ!」
クトーの手を振り払い、同じように立ち止まったレヴィはこちらを見て歯を剥いた。
はたから見れば、レヴィと女将は変わらない。
だが。
「お前は頼りっぱなしの人間ではないと、俺が知っている。それで十分だろう」
やる気が空回りする事もある。
未熟で、感情に任せて突っ走る事もある。
無知ゆえに、無謀な真似をする事もあったが……それでも彼女は成長しているし、出会った時から自分の力で生きようとしていた。
「周りからどう見えようと、今出来ない事を出来るようになるために努力している事を、恥じる必要がどこにある」
「……」
「自分の理想と、現実。誰もがいつか気づき、その違いに苦しむ。埋めようとすれば恥を掻く。だが、それでいいんだ」
決して悪い事ではない。
抗うその態度は、尊く誇らしいものなのだ。
レヴィは、不意に唇を引き結んだ。
白目が、じわりと赤くなる。
しかし、彼女は泣かなかった。
「……その何もかも見透かしたような態度が、余計に腹が立つのよ」
「そんなつもりはないんだがな」
何もかも見透かせるのなら、そんなに楽な事もない。
いつだって手探りだ。
それに言われてみれば、レヴィの言う通りではある。
女将を助ける、旅館の経営建て直す。
それらは、本来の休暇計画にはなかった話だ。
個人的な失態に対しての詫びを込める意味合いで、クトー自身は女将を依頼人として扱っていたが、レヴィがあの場で我慢する理由はなかった。
「ふむ、女将への態度に苦言を言ったのは、俺の方が間違っていたな。すまん」
そう言うと、レヴィは驚いたようにこちらを見上げた。
「何だ?」
「ううん、ちょっと意外だったから」
「自分が間違っていたと思った時に謝るのは、当然だと思うが。お前の言っていた事が間違っていたわけでもない」
レヴィの機嫌を以前損ねた時も謝ったはずだが、忘れているのだろうか。
実際、屋台骨となる人間が揺らいでいては、経営が立ち行かないのは事実でもある。
「お前の叱咤は、女将に届いたようだしな。結果的には良かった」
「え?」
「出て行くまで、ずっとお前を見ていた。機会があれば、二人で話すといい」
他に人がいるところでは、レヴィは素直になれないだろう。
そう思っての提案だったが彼女は嫌そうな顔をした。
「……気まずいじゃない」
「それに関しては、自業自得だろう。彼女のやる気を引き出す方法としては良かったが、語気を強めたのは感情的になったからだ。短気すぎる気性をまずはどうにかしろ」
「ぐ……」
レヴィは呻いたが、それ以上反論はしなかった。
「これからどこに行くの?」
再び歩き出すと、彼女は少し機嫌が直ったのか別の話題を口にする。
そういえば、出かけると言っただけで彼女に行き先を伝えていなかった。
「テイマーの情報を伝えに、ギルドへ向かう。傀儡の禁呪法はギルドでも禁止魔法に指定されている。もしあのテイマーがギルド所属の冒険者なら、情報開示の上で資格を剥奪され、指名手配だ」
「黒幕を暴く手間が省けるってわけね」
それ以外にも一つ用がある。
リュウが追っている件とクトーが関わった件には繋がりがあるのだ。
この情報をエサに、ミズチを通じてあの馬鹿にも一働きしてもらうつもりだった。
「そういえばテイマーってさ、モンスターを飼い慣らせる人の事じゃないの? あんな事も出来るのね」
「モンスターテイマーの素養は、厳密には魔物を従える事にあるわけではないからな」
「そうなの?」
「彼らの才覚は、他者との精神交感を行える事だ」
魔物だけでなく、人や動物ともより深く分かり合えるその力を、鍛え上げた者がテイマーと呼ばれる。
「テイミングの形態には、共感と対話によって魔物と親交を深める『フレンド』、力によって屈服させた後に契約を結んで主従関係を築く『ルーラー』、卵生の魔物などであれば生まれた時から共に在って親子関係となる『ペアレント』の三種類があり、傀儡の禁呪法はルーラーの技術に分類される」
フレンド、ペアレントに関して言うのなら、必ずしも精神交感の才覚がある必要はない。
テイマーとして認定される事はないが、特定の魔物と親密になったり、あるいは契約を行う者は存在する。
お互いに信頼関係を得るのに時間がかかるので、大体は1匹の魔物と生涯を共にする事になる。
竜騎士とワイバーン、ソーサラーと使い魔などがその例に当たり、竜騎士に関しては国家規模での育成となればテイマーの手を借りながら竜を育てるか、信頼関係を作るのだ。
他には、人間以上の高度知性を持つ存在との契約だったり、といった例外もある。
そんな中で『不特定多数の魔物と精神交感し、従える事が出来る者』をテイマーと呼ぶのだ。
「外部から人を操る事はソーサラーにも可能な行為だが、常に魔力供給を行って術者本体との繋がりを保つ必要があるので気付かれやすく、対象の精神や魂を破壊してしまうとその時点で操ろうとした肉体が死ぬ。洗脳と似たようなもので、術者の干渉を断てば元に戻る事が多い」
ソーサラーについてはそんな手間をかけるくらいなら、一旦殺して呪法でフレッシュゾンビにでもしてしまう方が話が早い。
自身の精神を分割したり自身の肉体を一度仮死状態にして、本体との繋がりを完全に断てる事も、精神交感の才能を持つテイマーであればこそなのだ。
「トゥスみたいな奴なら、出来るんじゃないの?」
「トゥス翁や祈祷師の憑依術は、肉体を捨て去る事で相手に憑く事が可能になっていたり、自分の肉体に喚び寄せた魂を受け入れる術なので、また種類が違う」
「ふーん、ややこしいわね」
髪を掻き上げるレヴィの、気の強い横顔で目を癒しながら、クトーは考えていた。
いたずらに混乱させる事もないだろうと思い彼女には伝えなかったが、限りなく低い可能性がもう一つある。
傀儡の禁呪法を扱えるのは、人間であればテイマーだ。
だが、もし仮に相手が人間ではない場合は、事態はより重いものになる。
人外には、あの呪法を扱える存在がいる。
魔族や、あるいは神族と呼ばれる者たちが。
しかしそうした存在が、たかが人間の、それも一つの街の縄張り争いに手を貸す理由が思い至らない。
杞憂で済めば良いが、とクトーが思っていると、不意に前から歩いてきた3人組の冒険者とおぼしき連中が、こちらに声を掛けてきた。
「お、レヴィじゃねぇか」
「なんだお前、生きてたのかよ」
粗野な外見のそいつらを見て、レヴィが顔を強張らせる。
「知り合いか?」
クトーが尋ねると、レヴィは相手から目を離さないまま小さく答えた。
「前にいた、パーティーの奴らよ」




