おっさんは女将に実情を説明する。
「まずは弁償に関してだが」
ブネの遺体を憲兵に引き渡して、一夜明けた後。
朝食後に自分の借りている旅館の部屋に呼び出した女将に、クトーは話を切り出した。
クトーの横にはレヴィ。
正面の女将の横には昨夜と同じく、腕を組んだ無愛想な料理長が並んでいる。
どうやらこの旅館では女将の次に力があるのが料理長らしく、名前はヤツカワというらしい。
ビシリと背筋を伸ばして正座しており、まくった割烹着の袖から覗く腕は年相応に筋が浮いている。
しかし技術のある職人の腕である事を示すように、鍛えられた腕だった。
「灯りの破損や庭を焼いてしまった分、温泉の壁を破壊してしまった分についてはこちらで弁償金を支払う。一括だ」
そう伝えて、クトーはあらかじめ用意していた金額を女将に差し出した。
「こ、こんなに?」
「修理まで温泉営業が出来ない事への謝罪金も入っている。……レヴィ、庭の弁償金はお前の借金に加える」
「なんでよ!? あれはトゥスの案でしょ!」
「乗ったのはお前だ。実行者にも責任があるに決まっているだろう」
完全に他人事な顔をしていたレヴィが抗議の声を上げるのに、クトーは取り合わなかった。
実際の法律では実行者は従犯、そそのかした人間が主犯なのでトゥスの方が罪が重いが、あの仙人に払う気などさらさらないに違いない。
「あの、そのトゥスというのは、どなたでしょう?」
女将が、寝不足からかクマの浮かんだ一重まぶたの涼しげな美貌を困惑に染めている。
気を張るのに疲れたのか、表情に年相応のあどけなさを覗かせている女将にクトーは痛ましさを覚えた。
しかし同時に可愛らしさは増しているので、あまり気張りすぎない方がいいな、とも思う。
「肉体を捨てた仙人だ。少し魔物に似た外見をしているので街中では姿を隠してもらっているが、顔を合わせたいのなら今すぐにでも」
クトーの言葉に、女将は料理長の顔を見た。
彼は元々しかめっ面で刻まれている眉間のシワを、さらに深くする。
「……人と話すのに、隠れて聞き耳を立てているような者は好かん」
『ヒヒヒ。ご挨拶だねぇ』
クトーが合図していないにも関わらず、ゆらりと肩の辺りの空中にあぐらを掻いたトゥスが姿を見せた。
相変わらずキセルをくわえた、のんびりとした態度だ。
『言われて隠れてただけさね』
そんなトゥスに、料理長はちらりと目を向けただけで特に表情を変えず、女将はぽかんと口を開けてから少し明るい顔をした。
「とても可愛いらしい……」
「分かるか?」
トゥスの姿をそう評した女将に、同類の匂いを嗅ぎつけたクトーは嬉しくなって問いかけるが、料理長に邪魔をされた。
「話を先に進めろ。きっちり説明せねば、若女将への覗きの罪を許しはせんぞ」
その言葉に、むしろ思い出してしまったのか頬を染めてうつむく女将と、視線でこちらを射殺さんばかりの料理長に、クトーは大体の二人の関係を察した。
おそらくは、親子……というよりも、祖父と孫のようなものなのだろう。
可愛いものについて話せないのは残念だが、この場合は料理長に理がある。
「分かった。……まずは、この旅館の実情についてだが」
クトーは今朝、食事の前に作った書類を差し出した。
昨日ブネに対して確認を取った内容の詳細と目的を、ミズチから貰った資料を抜粋して記したものだ。
「この旅館の顧客がどの程度の期間で減っているかの推移と、同時に仕入れ商品の値段が高騰していることに関して纏めた。一昨年からの分と比較して、これらはほぼ一年前から同時期に起こっていると判断できる」
資料の中身について分かりやすく説明するうちに、女将の顔色が悪くなっていった。
料理長も渋面のまま歯を噛みしめる。
「……先代が亡くなった頃から、か」
「それに関して、一つ聞きたいことがある」
クトーは、呻く料理長に尋ねた。
「先代の死因は?」
「……事故だ」
「どんな?」
「得意先の問屋に招かれ、オーツで開かれる食事会へ行く最中に魔物に襲われた」
その言葉に、クトーはうなずいた。
入念な準備の上でこの旅館を奪おうとしていた相手なのだから、十中八九、計画的に殺されたのだろう。
相手はテイマーだ。
それを今この場で女将に伝えるべきか……と思案したが、判断を保留にしてクトーは話を先に進める。
「値のつり上げをしていた問屋か?」
「そうだ」
「これだけの工作を受け、経営が苦しくなるまで気づかなかった理由があると思うんだが……」
この規模の旅館で、金勘定が出来るのが女将のみという事はないはずだ。
普通は番頭や勘定係がいる。
その言葉に、女将は目を伏せた。
「勘定係をしていた者は、両親と一緒に……番頭は、その、料理長と喧嘩してやめてしまって……」
「あのような提案、聞き入れられはしなかったでしょう」
「どんな提案をされた?」
女将は、ぽつりぽつりと話した。
「婿取りをする事を勧められたのですが、良い人が見つからず……その後、旅館を売らないか、と……」
「番頭は長かったのか?」
「ああ。先代が目をかけていた。自分では支えられんなどと弱気を言う男ではなかったのだが、変わったんだろう」
忌々しそうに言う料理長は、よほどの大喧嘩をしたようだ。
婿取りに関しては、縁もあるがそもそも有能な人材がいなかったようだ。
大店の跡取りは貴族などと同様に、婚姻に関してお互いの感情よりも素質が優先されるのはままある事だ。
「新たに経理を担当する者を雇い入れなかったのか?」
「口入れを頼んではいましたが、良い人がいてもすぐにご破算になって……」
女将は顔を曇らせた。
何人か顔合わせをしたが、雇い入れる段になっていなくなったり、よそにもっと良い条件で引き抜かれたり、という事が重なったらしい。
紹介者についてはグルの可能性は低いが、番頭は確実に抱き込まれていた、とクトーは判断した。
おそらくは乗っ取りの実行犯だったブネは旅館を見張り、紹介された者を片っ端から抱き入れていたのだろう。
「番頭が、その後どうなったかは?」
「知りません……他の雇い口を見つけたとも、宿組合でも聞いてませんし……」
消されたか、ブネ同様に敵の駒になっているか。
現状では番頭に関しては判断がつかない。
「まずは経営の立て直しが必須だな。現状では二月と保たないだろう。そしてこれ以上手を出して来ない、という相手の言葉を信用するつもりもない。黒幕を暴く必要がある」
必要な事を聞いたクトーは、本題に入った。
「それら二つを、ギルドを通した依頼として俺に任せてみる気はないか」
女将に問いかけると、彼女は思いがけない事を言われたように目を丸くした。
「クトー様に……?」
「お前に出来るのか、そんな事が」
「可能だ」
クトーは改めて資料を示しながら、経営に関する話をそのまま続ける事にした。
詳しい内容に関しては伏せるが、基本的な事が出来ていないと理解はしてもらわなければならない。
「経営には見える経費と見えない経費、そして収益との兼ね合いがある」
料理の材料費、それを作る料理人、あるいは浴槽や部屋の掃除を行ったりする者の人件費、というのは、誰でも思いつく必要経費だ。
そして旅館の経営には、これらの他に維持費というものがある。
上質で臭わない灯り油などの消耗品の購入、建物の補修、庭を美しく保つための庭師など『現状を維持するための経費』というのは同じくらいバカにならない費用がかかる。
「それくらいは、帳簿を見ていれば把握していると思うが」
「……はい」
「これを切り詰める事は可能だが、限度があり、将来的により大きな負担となって返ってくる」
小さな補修なら少額で済むものが、放置する、あるいは自分で雑に行う事によって、より大規模な修理になってしまう事がままある。
消耗品の質を落とせば、評判が落ちる可能性が出てくる。
「現在、旅館には収益がほとんどない。他に泊まり客がなく、湯代だけで賄っている現状、俺が今、泊まりの金を支払ってもたかが知れているだろう」
クトーの言葉に女将の表情はますます暗くなり、唇を噛みしめた。
実際に理解していても、だからどうすれば良いのかが彼女には分からないのだ。
「収益がなければ切り詰める事を考える。それは一面においては正しいが、結局収益がなければ先延ばしにしているに過ぎない。経営者は、節制の他に収益を増やす事を考えなければならないんだ」
「でも、それにはお客様が来てくださらない事には……」
「客は集めるものだ」
「え……?」
老舗の娘として育ち、いきなり両親を失えば無理もないが、彼女にとって客は来てくれるものだったのだろう。
「集客、というのは、旅館を楽しんでくれる今までの顧客を大切にする事以外に、新たな顧客を得る事が必要になる。この旅館は客に手厚い経営をし、今までは顧客が別の顧客を呼ぶ好循環が出来ていたんだろう」
彼女の両親が亡くなる要因となった用事……客に呼ばれて食事会に赴いたのも、そうした営業努力の一環だ。
顧客の要請に応えて向かった先に、顧客と同じくらいの財力を持つ者が同じように招かれていた場合。
声を掛けて好印象をもらい、その上で食事会の主人が旅館の良さを口にすれば、一度泊まりに行こうか、と思うだろう。
この旅館は高級だ。
金のない客では二の足を踏むような宿なのだ。
「今は、集客の循環が途絶えている。だから現状、短期的にとりあえずの収益を得られる運営と、顧客を呼び戻す中期的運営と、新たな顧客を得るための長期的な運営。これらを一度に行う必要がある」
クトーは、経営改善の大枠を女将に示した。
やるべき事を言葉にするのは、とても簡単なことだ。
だが、それを細かく分けていき『具体的に何をするべきなのか』を理解しなければ、なし得ない事柄でもある。
「短期の収益は、湯代のようなすぐに利益を得られる新たな商売を行う事で、中期の収益は今までの顧客を訪ねて次の予約を取ることで賄う。顧客に関しては、おそらく妨害を受けている現状、手紙などの手段では取り戻せないだろう」
直接訪ね、理由を聞き、今後を話す必要が出ている段階だ。
女将の顔色はますます悪くなっている。
「そして長期の収益については、中期の顧客同様、地道な広告と共に営業を行う必要がある」
クトーは一度話を切り、女将に尋ねた。
「それぞれに関して、俺には幾つかの提案がある。その話は、女将が依頼を受けるかどうかを決めてから話す事になる」
料理長は、黙って女将に目を向けた。
彼女はおどおどと視線をさまよわせる。
「依頼を受けても……うちには、お支払い出来る余裕が……」
「出来高払いで構わない。経営が持ち直せば、それに合わせた報酬の支払いを約束してくれればいい」
そもそも持ち直さなければ依頼を完遂した事にならず、報酬を支払う必要すらないのだ。
クトーには、旅館を短期的に支えるだけの金の持ち合わせがある。
借金として貸し出して支える事は可能だが、それでは女将の地力が付かない。
「……料理長」
「アタシが決める事ではありません。……若女将。貴女自身が決めることだ」
彼女に視線を向けた料理長は、クトーの言う事を理解しているのだろう。
助けを求めるように目を向けた彼女に、首を横に振った。
「私に、出来るのでしょうか……」
もし依頼を受けたとして、本当に持ち直せるのか、と彼女は不安に思っている。
自信がなさそうなのは状況をここまで悪くしてしまった責任を感じているからだろう。
そんな女将に対して、それまで黙っていたレヴィが口を開いた。
「ねぇ、クシナダさん」
「はい」
「畑ってさ、持ち主がきちんと耕して、丹精込めて世話しないといくら良い助言を受けたってまともに作物が育たないのよね」
いきなりそんな事を低い声で言うレヴィに、女将は戸惑いを隠さなかった。
彼女はどうやら怒っているらしい。
「難しい話は私には分からないけど。この旅館を耕すあなたが、そんな態度で持ち直せると思うの?」
「……!」
「何を怖がってるのか知らないけど、あなたがそんなんじゃ、やったって無駄じゃない。クトーがいくら頑張っても、いなくなったらどうせその内潰れるわよ」
レヴィが、息を呑んだままの女将に対して、料理長を手で示した。
「この人とか、他の働いてる人たちも、一緒にあなたの畑を守ろうとしてくれてるんじゃないの? なのにあなたには守る気がないの? 出来るかどうかじゃなくて、やろうと思いなさいよ! 守られてるだけで満足してるような奴が、私は一番嫌いなのよ!」
「レヴィ」
クトーは、熱くなっている彼女に声をかけた。
言っている事は正しいが、そこまで口を出すのは彼女が決断してからでも遅くはない。
「落ち着け。どうするかを決めるのは、女将であってお前じゃない」
クトーの言葉に、こちらに目を向けたレヴィは、大きく息を吸い込んでからうなずいた。
「……そうね。ごめん」
バツの悪そうな顔で、軽く浮かせていた腰をもう一度下ろした彼女は、そのまま顔を背けて黙り込んだ。
クトーは改めて、女将に伝える。
「今すぐに答えは出さなくても良いが、2日3日のうちに頼む。もしこれ以上無理だと判断して旅館を誰かに売り渡すのなら、横槍が入らない後処理くらいは手伝えるだろう」
「はい……」
そうしてうなずきながらも、女将は顔を背けたレヴィを見ていた。
話し合いは終わりだ。
料理長にうながされて立ち上がり、女将が退出する。
レヴィは、その間一度も彼女の方を見なかった。




