おっさんと少女は、夜の客を出迎える。
クトーは庭に降り立つと、ブーツに被せてあった布袋の紐を解いた。
袋を剥いで旅館の建物から離れ、庭園の中ほどで立ち止まる。
前に浮かんだトゥスが、口のはしから煙をゆらめかせながらキセルの先を暗がりに向ける。
『客は、ちょっとばかり見えにくい相手みてーだねぇ』
そんな仙人の横に立ったレヴィが、ブーツの爪先で、トントン、と地面を叩きながら問いかけた。
「どういう意味?」
『そのまんまの意味さね。ほれ』
トゥスがキセルをくるりと半回転させて、前に出した腕を叩くように振った。
下に向けられた煙草葉を詰める火皿の部分から、ポン、と火の玉が飛び出して、見る間に大きくなる。
そして、ユラユラと宙を漂いながら前へ進んでいった。
「トゥス翁。あれは明かりの魔法か?」
『ユーレイが火の玉を従えてるのはド定番だよねぇ。一度見破るから、後はお前さんらでなんとかするこった』
トゥスがそう言いながらレヴィに憑依するのと同時に、火の玉が揺らいで膨れ上がった。
そのまま音もなく輝きを増してから火の玉が消失すると、地面から黒いものが剥がれるように浮かび上がって来て、6つの真っ黒な人影になる。
「何あれ」
「スタンダウト・シャドウか。厄介な魔物が来たな」
庭園には幾つか明かりがあるが、全体で見れば暗がりの方が多い。
音をほとんど立てない魔物なので暗殺には適している。
「レヴィ。せっかくトゥス翁に憑依してもらったが、下がれ」
「理由は?」
腰からダガーを引き抜きながら、レヴィが尋ねて来る。
「スタンダウト・シャドウはCランクの魔物だ。紙のように薄く、人影に似ている。闇渡り……影や暗闇に潜んで移動する魔法を使う他に、物理攻撃が基本的に効かないという特性がある」
クトーも旅杖を構えつつ、もう片方の手でメガネに触れて命じた。
「燃やせ」
腕に赤い魔力を纏って振り払うように横に薙ぐと、魔力が炎の矢と化して一体のスタンダウト・シャドウに突き刺さる。
矢が音を立てて燃え上がるのと同時に、残りの影が一斉に闇に溶けた。
「旅館の方へ。明かりの下で影と自分の周りを警戒しろ。闇渡りは光の下では使えないから、出現した魔物はもう一度暗闇に入らない限り潜めん。その間に逃げろ」
「ダガーが効かないのね?」
後ろに下がり始めたレヴィを追いながら、クトーはうなずいた。
「本体を倒すのは魔法か、物理攻撃でもコアを破壊すれば可能だ。だがスライムと違って、コアが外から見えている訳ではない」
「そう……」
クトーは軒先に向かいながら、魔力の気配に意識を集中した。
闇渡りは、移動時に微かな、そして出現時にははっきりとした魔力の波動が生まれるのだ。
「……レヴィ! 跳べ!」
彼女と自分の足元に同時に魔力の気配を感じたクトーは、後退するうちに少し離れていたレヴィの足元に向かって、魔力を込めた杖を投じた。
レヴィが指示に従って跳ねる。
直後にその足元から顔を出した魔物の頭部を貫いて、杖が地面に突き立った。
杖とスタンダウト・シャドウが同時に弾け飛んで大きな音を立て、魔力の余波が地面に穴をあける。
「ッ!」
その穴を挟んで、着地したレヴィとクトーの距離がさらに開いてしまった。
思わず舌打ちしながらもクトーは止まらず、時間差で自分の足元から現れたスタンダウト・シャドウの爪を避ける。
身を翻しながら剣を引き抜き、そのまま肩口から振り下ろした刃で魔物を頭から足元まで真っ二つに切り裂いた。
スタンダウト・シャドウが、リィン、と鈴鳴りような音を響かせた後に、少し間を置いて霧散する。
この魔物のコアは、体の中心にある。
しかしレヴィのダガーの腕では正中線を一刀両断にするのは難しいだろう。
目を向けると、レヴィは再び跳ねて軒先に立った所だった。
「旅館の連中を目にしたら、出てこないように声をかけろ!」
レヴィに加えて音を聞きつけた旅館の人間まで出てきてしまうと、庇いきれない可能性がある。
確認できた魔物の数は、6体だ。
うち3体は倒したが、残りの3体がまだ潜んでいる。
レヴィは何を思ったのか、クトーの指示に答えずに柱に掛けてある明かりを手にして庭に放り投げた。
地面にばしゃりと油が広がり、一気に炎が燃え上がる。
何を、とクトーがさらに声を掛ける前に、不意に明るくなった光源によって潜伏を解かれたスタンダウト・シャドウが姿を見せた。
「……!?」
「コアって、もしかしてここ?」
どこか冷静な声音とともに、レヴィは左手にダガーを持ち替えて腰から投げナイフを引き抜く。
今朝、ムラクの工房で買い求めたものだ。
「フッ!」
鋭い呼気と共に腕を振るったレヴィから一条の銀光が放たれ、正確に魔物の胸の中央を射抜いた。
4体目のスタンダウト・シャドウが、鈴の鳴るような音を立てて消滅する。
「……まさか、見えているのか?」
彼女に魔力的素養はないはずだ。
だがレヴィの発言は、まるでコアの存在を視認しているようだった。
驚きに思わず声を漏らしながらも、クトーはそのまま穴を避けて、滑るような地面スレスレの足運びでレヴィのいる場所へ向かう。
再び感じた魔力は、またしても自分の足元と……レヴィの頭上。
地面を焼く炎によって天井に出来た影から姿を現しかけた魔物に、彼女も気づいて素早く首を跳ね上げる。
「レヴィ!」
「分かってる!」
クトーは走りながら、再び眼鏡に触れた。
その間にレヴィは頭上からの一撃を避けて……そのままこちらへと目を向ける。
クトーは自分の背後で、魔力の気配が膨れ上がっているのを感じた。
レヴィは姿勢を崩しているにも関わらず、腰の投げナイフを最小限の動作で引き抜き、そのまま放った。
投げナイフが狙ったのは、クトーの背後。
人よりも自分の心配をしろ、と心の中で悪態をつきながら、クトーは緑の魔力を指先程度の見えない風球へと変化させた。
「引き裂け」
自分の後ろの魔物に使うはずだった風魔法を、指先で弾き出すようにレヴィを襲った方に向けて撃ち出す。
宙で投げナイフと交錯した風魔法は、狙い違わずスタンダウト・シャドウの胸元に命中して魔力をはらんだ暴風を撒き散らした。
自分の背後でも鈴鳴りと共に魔力の気配が霧散するのを感じながら、クトーはそのまま駆け抜ける。
「う、わ!」
姿勢を崩したまま、レヴィはスタンダウト・シャドウを吹き散らす風の余波を背後に受けて、軒先から落下した。
庭に肩から落ちかけた彼女の下に滑り込んでを受け止めると、クトーは抱えたレヴィの耳元でささやく。
「相手が護衛対象なら良い判断だ。だが、俺の時は自分の身をまず心配しろ」
「ご、ごめん」
「ケガがなくて何よりだ」
レヴィの腰袋から投げナイフを一本引き抜きつつ、すぐに体を離したクトーは残りの一体を警戒した。
見渡しても、魔物の気配は見当たらない。
「逃げたか?」
『いいや、まだいるねぇ。温泉の方に向かってるみてぇだね』
どうやら、気配を辿る感覚が鋭いらしいトゥスがレヴィの中から発した言葉に、クトーは眼鏡に触れた。
「凍りつけ」
水色の魔力で油と周りの地面を凍りつかせると、即座にレヴィがぶちまけた灯りの炎が消えた。
残しておいて旅館が火事にでもなったら本末転倒だ。
「追うぞ」
温泉の方向へと、クトーは走り出した。
別館へは、渡り廊下を通らなくても庭園を突っ切れる。
追従するレヴィから、ふたたび言葉が聞こえた。
『もう一つ気配があるねぇ。こっちは人間さね』
「どこだ?」
『後ろだねぇ』
「……翁、レヴィ。魔物を任せて大丈夫か?」
クトーの言葉に、レヴィはちらりと笑みを見せる。
「当然よ」
『助言くらいはくれてやるさね。さっきの炎と同じようにねぇ』
どうやら先ほどのレヴィの行動は、トゥスの入れ知恵だったようだ。
「場所を考えてくれ」
『次からは気をつけてようかねぇ』
クトーはコートのポケットに入っているカバン玉から、似たような黄色の玉を取り出してレヴィに放った。
「何これ?」
「【くらみ玉】だ。地面に叩きつけて破壊すれば閃光が出る。使う時はしっかり目を閉じろ」
先ほどは説明している暇がなくて使わなかったが、闇系の潜伏魔法を使う相手には効果が高い。
本来は逃走用のアイテムだ。
「行け」
クトーは急に立ち止まって振り返ると、先ほどから探っていた気配に向けてレヴィから拝借したナイフを投擲した。
シュカ! と音を立てて庭園の植え込みにナイフが吸い込まれると同時に、黒い影が跳躍してクトーの横から回り込むように迫ってくる。
「引き裂け」
相手が近くまで来る間に風球を放つが、相手はあっさり身をかがめて避けると一気に伸び上がるように手を突き出してきた。
刃のきらめきを見て体を半身にして避けるクトーの肩口を、刺突用ダガーがかすめる。
「シッ!」
クトーは相手を殺さないよう、剣を握った拳を伸び切った相手の肩に叩きつけながら、逆の手で手首を掴んで巻き込むように体を捻る。
地面に急角度で叩きつけるように投げを打ったが、相手は腕を犠牲にして無理やり足から着地した。
骨が折れる鈍い音と共に、捕らえた腕がありえない方向にねじ曲がる。
相手はまるで痛みを感じていないのか、即座にもう片方の腕を振り上げた。
その手に二つ目の刃を持っているのを見て取ったクトーは、手を離してそれを避ける。
距離を取ってから、改めて剣を構えた。
「……お前がテイマーだったか、ブネ」
薄暗い中に浮かぶシルエットに、眠たげなギョロ目が浮かび上がっていた。
黒い冒険者服を身に付けている。
「とんだ計算違いですね。まさかこれほどの手練れとは思いませんでしたので、予定変更です」
クトーとブネはお互いの位置を入れ替えており、彼の背後でレヴィに渡したくらみ玉の閃光が弾ける。
同時に、相手が温泉の方へ向けて駆け出した。
ブネはかなりの駿足で、クトーは疾風の籠手の効果を使用して自分に補助魔法を掛ける。
「逃すと思うか?」
クトーは一呼吸でブネに追いつくと、その頭に剣の腹を叩きつけた。
だが、普通ならば気絶するはずの衝撃を受けても、ブネの足は止まらない。
「無駄ですよ」
彼の目前には、露天風呂の木で作った壁面があった。
壁を蹴って飛び上がり、そのままナイフを突き刺しながら片手で器用に壁面を登るブネに、クトーは剣を収めてカバン玉から別の武器を取り出した。
「逃がさんと言った」
取り出したのは、巨大なハルバート。
それを、壁を形作る巨大な木の根元に思い切り叩きつける。
弁償に余分な出経費が掛かるが、この場でブネを逃すよりはマシだった。
そのまま壁を思い切り蹴り込むと、まだ上部にたどり着いていなかったブネごと、内側に向けて木が倒れ込んだ。
流石に空中で姿勢を崩しているブネに向かって、ハルバートを放り出したクトーは傾いている最中の壁を駆け上がる。
そして壁が倒れる間際にブネの無事な腕と肩を捕らえて、そのままクッションとして使った。
轟音を立てて倒れこむ壁がもうもうと砂埃を上げ、湯気と混じって視界を塞ぐ。
暴れるのを警戒しながらブネを押さえつけたまま、クトーは視界が晴れるのを待った。
少し煙が薄れると、レヴィがひょこっと顔を覗かせる。
「派手にやったわね……倒したわよ」
「ああ。悪いが、女将に伝えて縄を……」
持って来てくれ、と言いかけた時に、人の気配を感じてクトーは顔を上げ……。
そこに呆然と目を見開き、手ぬぐいで前を隠した女将が立っているのを見た。
レヴィも気づき、3人の間で空気が凍りつく。
風呂に入らないと伝えたので、掃除を早めるために入浴中だったらしい。
「……女将は呼ばなくていい。縄を持って来てくれ」
『ヒヒヒ。眼福だね』
絞り出すようにレヴィに伝えるのと同時に、トゥスがそれを茶化す。
そして、女将の悲鳴が夜の旅館に響き渡った。




