おっさんは、少女とともに呪い返しを目撃したようです。
クトーが振り向くと、死んだ『バッツ・ナンダ』の体が崩れ落ちる先からボコボコと紫色の液体が吹き出し始めていた。
一瞬スライムか、と見まごうばかりのそれは、よく見るとぬめり気すら感じそうなほどの濃密な瘴気だった。
直感的に危険を感じてクトーが飛び退くと、紫の瘴気は一気に膨れ上がり……ある一定の範囲でピタリと留まると、その場で渦を巻き始める。
「一体どなってるの?」
「分からん。だが、終わっていないようだな」
横に来たレヴィが、警戒しながら問いかけてくるのに首を横に振る。
すると、分身だった土塊から顔を覗かせたトゥスがふよふよと漂って来て、キセルをふかしながらニヤリと笑みを浮かべた。
『ありゃ〝蠱毒の瘴気〟だねぇ』
「それはどういうものだ?」
クトーも初めて聞く単語だった。
トゥスはゆらりと尾を揺らしながら、こちらの質問に答える。
『ゾンビみてーな連中は恨みを核に力を集めるが、その『核』をいくつも集合させてより濃密にしたもんさね。珍しいもんだが……おそらく原因は、あの剣だねぇ』
トゥスはキセルの先で、偽バッツの使っていた折れた剣を示す。
『ヒヒヒ。殺した相手の血を取り込んでたっぽいからねぇ。その中で力を奪われて煮詰まった怨念が、本体の方に溜め込まれてより力を増したんだろうねぇ』
恨みってのは根深ぇからね、とヒゲを揺らす仙人に、クトーはメガネのチェーンをシャラリと鳴らしながらうなずいた。
「だから、蠱毒か」
『そういうこったね。そんで、今からちっとばかり面白くねぇことが起こる』
すると、警戒した様子のレヴィが軽くかかとを浮かせた。
「危ないの?」
『もしかしたら、さね。消えねぇ呪いは術者に返るもんだからねぇ……が、こいつを術者が制御仕切れるかどうか』
「具体的に何が起こるかは分からんか」
『術者が食われるだけで済みゃいいけどねぇ……もし予想外の代物だったり、呪い返しのことを考えてなかった場合にゃ、ちっとひどいことになるだろうねぇ』
どうする? とトゥスが目で問いかけてくる間にも、瘴気は密度を増していく。
「あれを一撃で吹き飛ばすのは今すぐには無理だな。術者に返った後に、どうにかするしかない」
多分、最高位聖魔法の準備は間に合わないだろう。
「地上に戻る方法を考えなければならんな」
「呪いが術者に返る、って、何?」
『人を呪わば穴二つ、と言ってねぇ。本来は呪われた相手が死ねば消えるはずの呪いが、他人の妨害や術者の制御を離れていた時は術者本人に返るのさ』
呪いってのは、人の恨みの塊だからねぇ、と告げるトゥスに、レヴィはうなずいた。
「……まぁ、こんな真似をした奴は、自分が逆の立場になっても当然だとは思うけど」
「それが周りに害を撒き散らすのなら、話は別だろう」
そこでついに、〝蠱毒の瘴気〟がブルブルと震えながら蠢き始め……天に向けて、オォオオオオオォォ……と怨嗟の声を上げながら突き抜けていく。
天井に当たった瘴気は、一点に向けてシュルシュルシュルと吸い込まれていき、姿を消す。
「あの辺りがジェミニ城か」
「なんで分かるの?」
「術者というのは十中八九、カンキ・ナンダだろう」
もし他の人間だとしても、弟をこんな状態にする指示を出したのは彼のはずであり、秘密を知る者はそばに置いておくはずである。
方策を考えていたクトーは、とりあえずシャザーラに連絡を入れることにした。
『クトーか?』
「準備はできているか?」
その問いかけに肯定の返事をしたシャザーラに、クトーは状況を説明する。
「俺たちはジェミニ城へ向かう。合わせて動けるか?」
『随分と厄介な話になったものだな……突入するのは良いが……いや、待て』
そこで、シャザーラの声色が変わる。
『城の上から、妙な暗雲が湧き出し始めた。……雨が降るぞ』
※※※
準備を終えたシャザーラは、ジェミニの街中にある林の地下にいた。
貧民街から、いつかナンダ兄弟の首を取るために、と慎重に掘り進めた穴であり、穴の下には十数人が入れる部屋のような空間を作っている。
その見張り穴から城の様子を見ていたシャザーラは、クトーに告げた通りの光景を見ていた。
今はすでに夜だが、その中でもなお黒い雲はあっという間に街中に広がる。
漆のような雨が降り始めて最初に異変が起こったのは、こんな時間まで開いていた酒場だった。
街中にほのかに見える明かりのあたりで悲鳴が上がる。
夜目が利く方であるシャザーラは、注意深く目を凝らした。
すると、顔を押さえて数人が転げ回っているのと……瘴気の気配が、見えた。
『どうした?』
クトーの問いかけに、シャザーラは今目にした光景に嫌悪感を覚えながら、震える声で答える。
「雨に打たれた者がーーーゾンビになった」
悲鳴が呻き声に変わり、起き上がった者は、もう人間ではなかったのだ。
『雨……防ぎようがないな……』
クトーの声にも厳しさが混じる。
『では、お前たちも動くな。雨に打たれれば同じようになるぞ』
「いや……行動は予定通りに行う」
彼の言葉を、シャザーラは拒否した。
「聖水を被ればしばらく保つだろう。人々に家から出ないように声をかけ、ゾンビ化した者たちを始末する」
『危険だぞ』
その言葉に、薄く笑みを浮かべたシャザーラは静かに言い返した。
「千載一遇の好機だろう? 我らは忍。危険は友であり、今、この瞬間まで同胞の為に耐え続けたのだ」
ここで人々を救えば、人心はこちらに傾く。
城からの異変だというのなら、それをカンキやバッツの仕業にするのも容易だ。
ましてバッツはすでに死に、カンキをクトーらが始末するというのなら。
『分かった。雨はこちらでなんとかする』
「可能ならば早くしろ。ウチらは動く」
宝珠の連絡を切ったシャザーラは隠れ部屋にいる仲間たちの顔を見回した。
全員が、鬼族の同胞であり、黒の忍者装束に身を包んでいる。
「亜人にして影であった我らの同胞が、陽のあたる場所に出るための大博打だ。付き合うか?」
シャザーラの問いかけに、話を聞いていた全員が沈黙のままに聖水を頭から被る。
同様の行動を取ったシャザーラは、聖水を入れていた竹筒を放り捨てると、号令をかけた。
「では行くぞ。ーーー鬼の誇りをもって、街を守りぬけ」




