おっさんは、少女とともに苦境に立たされるようです。
鎖から解き放たれたクレイジー・ベヒーモスは、左右に駆け抜けた獲物にそれぞれに目を向けた後、クトーのほうに向かって方向を変えた。
『グルゥォオオオオ!!』
咆哮とともに巨大な顎を開いて一息に噛み砕こうとする魔物に、クトーは足を止めてむーちゃんを掴んだ。
「ぷにぃ!?」
「〝防げ〟」
無属性の防御結界を全力で展開すると、ベヒーモスの牙が、ガキンッと半球状の結界を噛んで止まる。
ミシミシと音を立てつつも、結界は拮抗した。
「クトー!」
「問題ない。ーーー〝聖気よ〟」
もう一つ魔法を展開し、クトーはレヴィのニンジャ刀に聖属性を付与した。
「クレイジー・ベヒーモスは瘴気に侵されている。それで斬れ」
「聖騎士形態は!?」
「ベヒーモスが速すぎる」
広場を数歩で駆け抜け、そこそこ距離のあったクトーを捉えたのである。
身体強化によって速度を増しても無意味だった。
今のレヴィならば同じ程度の速度は出せるだろうが、ニンジャ状態以外では捕まって押し込まれる危険があった。
そこまで説明している暇はなかったが、意図を読み取ったのだろうレヴィは、それ以上何も言わずにベヒーモスに近づき、後ろ足の腱を刃で引き裂いた。
『ギャルァ!?』
痛みを覚えたのか、ビクン、と震えたベヒーモスが結界から顎を離して背後を振り向く。
「ーーー〝号哭の長竜よ〟」
敵の気が逸れた隙に【天竜の狙撃銃】に杖の姿を変え、弾丸を込める。
「〝風よ〟」
本来、クレイジー・ベヒーモスは地の属性を持つ魔物だ。
地底は闇と地の力が強まる場所であるため、目の前の魔物は常よりも強く素早い動きが出来るのだろう。
地の対属性は風。
クトーが引き金を絞ると、無数の散弾が銃口から放たれた。
ベヒーモスの胸元に突き刺さり、食い破るように弾ける。
『ゴルォァアアアアア!!』
のけぞって悲鳴を上げたクレイジー・ベヒーモス……だが、そこで予想外のことが起こった。
胸元についた傷から血が吹き出す前に、その傷が再生し始めたのだ。
「!?」
通常ではありえないほどの高速再生。
リュウの超越活性すらも上回る速度に、クトーは自分の読みがまだ浅かったことを悟る。
「レヴィ! 一度離れろ!」
ベヒーモスをクトーが射抜く間に、尾にも攻撃を加えていた少女は命令に従って飛び跳ねる。
「……アンデッドですって!?」
どうやら、レヴィの中にいるトゥスはクトーと同じ結論に達したらしい。
「そうだ。ーーーこのベヒーモスは、死霊術によって肉体を変えられている」
クトーは脇に狙撃銃を抱えて駆け出しながら、レヴィの驚きに応えた。
おそらくは、リッチという魔物を生み出す禁呪の応用だ。
不老不死の秘術を探究する過程で生まれた、人間をアンデッド化する魔法である。
本来ならば骨と皮だけの姿になるはずだが、どういう理屈でか肉をも維持しているのだ。
「どうやって倒すのよ!?」
「対処法は変わらん。聖魔法などで攻撃を加えるしかない」
倒れ込み、より怒り狂ったクレイジー・ベヒーモスのアンデッドは、首輪を掻きむしって尾を地面に打ち付けている。
その間に足の腱も再生し、ふたたび起き上がろうともがき始めた。
ーーー時間がないな。
怒りでより凶暴化している。
おそらくレヴィのつけた傷の再生が遅かったのは、魔法よりも斬撃のほうが効果的だからだ。
そして死竜の杖は闇属性の武具なので、聖魔法の効果がさらに少し劣る。
真竜の偃月刀でクトー自身も前に出るしかないだろう。
ーーー最高位聖魔法ならば一撃で昇華可能だろうが。
あれの行使には、血の五芒星が必要になる。
だが、それしか手段はないように思えた。
レヴィと二人でどうにか捌きつつ、描くしかない……その準備を整えようと、クトーが口を開きかけた時。
「ヒャハハ!」
通路の一つからいきなり笑い声が聞こえたかと思うと、疾風のような何かが広場に飛び込んできた。
「む……!」
自分に一直線に向かってきた影の姿をどうにか捉えると、それは先ほど出会った男……帝国七星の一人、バッツ・ナンダだった。
狙撃銃を杖の姿に戻したクトーは、ギリギリでバッツの放った一撃を受ける。
「見つけたぞォ、クトー・オロチ! ヒャハハ!」
ーーー間が悪いな。
思わず内心で悪態をつきながら、クトーは撤退を考慮に入れた。
Sランクがアンデッド化した魔物と帝国七星を同時に相手にするのは分が悪すぎる。
この場に飛び込んできたということは、クレイジー・ベヒーモスはバッツを攻撃しない可能性もあった。
「ーーー〝霧よ、立ち込めろ」
バッツの剣をいなしたクトーは、即座に水の魔法を発動した。
シャザーラの【水遁の霧】と同様の効力を発揮する中位魔法である。
杖からブワ、と広がった霧によって、視界が真白に染まる。
「撤退だ、レヴィ!」
クトーは声を上げて身を低くすると、足音を立てないように広場に繋がる通路の一つに駆け出したが……。
「ムダだァ! 吼えろ、ベヒーモス!」
バッツの声とほとんど間髪入れずに、魔物の咆哮が響き渡る。
それまでのただの声とは違い、それは衝撃波を伴っていた。
カマイタチのように攻撃性のあるものではない、動きを阻害する突風のようなものだったが、その咆哮は一気に霧を吹き払った。
「ヒャハハ!」
足を止めてしまったクトーに対し、まだ動く余裕のあったバッツは一気に距離を詰めてくる。
むーちゃんを庇いながら、クトーは再び杖を構える。
「〝防げ〟」
再展開した防御結界を、バッツの剣は貫けなかった。
バッツは、ベヒーモスやマナスヴィンよりは弱い。
だが、単純な剣の技量ではどう考えてもクトーより上だった。
「〝殲滅の真竜よ〟!」
杖を偃月刀に変え、魔導戦士として最も力を振るえる状態になったクトーは、レヴィに目を向ける。
彼女はなぜか、聖騎士に姿を変えたところだった。
ーーー何をしている?
彼女のほうにはクレイジー・ベヒーモスが向かっており、ちょうど巨大な前足を振り下ろしたところだった。
レヴィは手にした盾でその攻撃を真っ向から受け止めて、こちらに目を向ける。
「なんとか、耐えとくから……ッ! さっさとそいつ始末しなさいよぉ!」
「……分かった」
逃げ切れないと悟るや否や、即座に頭を切り替えた彼女に応えて、クトーは偃月刀でバッツに対峙する。
「斬り刻んでやるよぉ」
「出来るものならやってみろ」
舌舐めずりをする凶戦士を前に、クトーは打開策を考えていた。




