おっさんは、獅子身中の虫を心配しているようです。
「目が覚めたか?」
宿の一室にある簡素なベッドの上でうっすらと目を開けたレヴィに、その横に置いた椅子に腰掛けたクトーは声をかけた。
「あ、あれ?」
まだトロンとした目をしていて状況を把握していない彼女に、手元で開いていた本を閉じて手を伸ばす。
額にかかる黒髪を払いながら手のひらを当てると、暖かいが特に熱などはなさそうだった。
「ひんやりする……」
「お前の方が体温が高いからな。……負けん気が強いのは悪いことではないと思うが、体の中に蓄えた気が空になるほど力を使うのはやり過ぎだ」
似姿の土人形を作り出すのは、彼女の予想以上に気力を消耗するものだったのだろう。
その上で宝珠の力で威力が増した長弓を使用したことで、気が尽きたのだ。
『ヒヒヒ。まぁ、なくなった分はわっちが少し足しといたから、今後はもうちょっと気をつけるこったね』
しゅる、とレヴィの中から姿を見せたトゥスに、クトーは礼を述べた。
「助かる」
『ここで足止めを食らったら、流石にマズイってぇくらいのことは、わっちにも分かるからねぇ』
分身の術を習得する、と言い出した彼女を止めなかった代わり、といったところだろうか。
そこで、壁にもたれて腕組みをしたシャザーラが口を開く。
「無茶苦茶な女だな。いつもこうなのか?」
「大体はな。大事がなかったのならそれでいい」
そもそもシャザーラにレヴィを殺す気がなかったことは分かっているし、まさかここまでの無茶をするとは誰も予想しなかった。
レヴィは状況がようやく理解出来たのか、バツの悪そうな顔で視線を彷徨わせる。
「まさか、気絶するとは思わなかったわ……」
「天地の気の扱いを覚えたのもつい最近だろう。だから今後は気をつけろと言った」
むしろ戦闘中ではなかったことが幸いである。
「敵地だから気を引き締めろ、と最初に俺に言ったのは誰だ」
「う……」
黄色人種領地での自分の言葉を蒸し返されて、レヴィは押し黙った。
「それで、どうする気だ?」
「先ほど、仲間に連絡を取ったところだ。今日もここに留まり、明日から城塞都市に向かう」
リュウたちは、今ごろ大森林の前にある最後の辺境伯領地に向かっているはずだ。
そこでも騒ぎを起こし、大森林側に抜けた後に連絡をよこす手筈になっている。
ミズチの旅程は海の状態に左右されるが、今のところ順調だということだった。
そんな彼女との会話の中で、一つだけ気になることがあったが。
「……今後の連絡次第では、城塞都市を落とした後の行動が変わるかもしれん。本来なら、そのまま仲間たちと合流して帝都を落とす手筈だったが」
『何か問題でも起こったのかい?』
「……小国連の方で、不穏な動きが見えるらしい」
クトーはメガネのブリッジを押し上げながら、トゥスの疑問に答える。
夢見の洞窟で行なわれた『王の会議』で、反対意見を述べたアビ王と商会連合の議長であるラハブ。
先ほどの連絡で、彼らが動きを見せた、とミズチが告げたのだ。
『こことの直接の関係はねーように思えるがね』
「結果次第では特に何も変わらないがな」
クトーは窓の外に目を向けて、遠目に見える、海洋王国との間に横たわる巨大な山峰……ファポリス山脈に目を向ける。
不吉さを感じる分厚く黒い雲が、その山頂にかかっていた。
※※※
ーーー海洋王国、商会連合本部。
「では、緊急の五大幹部会議を始めます」
集まった面々を前に、ラコフは丁寧な物腰のまま口火を切った。
精緻な意匠を施された円卓の会議室は紫の布で統一され、高級な調度品とカーペットを光量を抑えた光玉が照らしている。
「先日に起こった、魔族の残党による帝都の占拠……これに関する話です」
五大幹部の中には、当然のことながら豪商ファフニールの姿がある。
つまらなそうな顔をしたまま、彼はラコフの話を聞いていた。
「今回の件に乗じて、商会連合は利益を得ることを基本方針にしようと思いますが……異論のある方はいらっしゃいますか?」
「どういう手法を使うんです?」
ファフニールの質問に、ラコフは淡々と答える。
「今回主体となって動いているのは、北の王国と小国連の盟主国です、彼らの動きを帝都に知らせて、お互いに潰し合うように画策します」
「で、死の商人として稼ぐ、って腹ですかい?」
「あくまでも間接的な支援にはなるでしょう。また、主戦場は西……海側からの一帯になります。今のうちに東側の流通経路を押さえることで、戦中戦後に食料を含む各種物資は莫大な利益を生むでしょう」
あくまでも物腰は丁寧だが、口に出しているのは人の命を売り買いするに等しい言葉である。
ーーーまるで支配者気取りだな、クソジジイ。
本来であれば、それ自体がこの五大幹部会議にかけるべき議題であるはずだ。
だがラコフは、反対意見などないとでも言いたげに『メインで戦う者たちを見捨てる』選択を取ることは確定事項であるかのように話している。
「なるほどね……で、帝都を支配してる残党どもはどうするんです?」
「商売相手になるのでしたら、そのまま生かしておけばいいでしょう。無理そうであれば、全土に布告します。各国は今のところ影の動きしかしていないので」
そうして傭兵や冒険者を集めて戦えば勝てる、という目算なのだろう。
「そう上手く行きますかね?」
「相手は魔王そのものではないのでしょう? ただのSランクモンスターであれば、【ドラゴンズ・レイド】でなくとも問題なく駆逐可能です」
ギルド総長のニブルを筆頭に、戦力は十分に揃っているーーーそう告げるラコフに、ファフニールはニヤリと笑って、テーブルから目を上げた。
「あんたはいつもそうだな、議長」
「……?」
微笑んだまま、目線だけは冷徹な老人。
「俺はこれでも、あんたが今見捨てると言った盟主国と帝国に大きなルートを持っていてね。魔王を倒した後に苦労して、博打も張って手に入れたもんだ。そいつが潰されるリスクを負わせる、と言われても賛同は出来ねーんだがな」
ファフニールの言葉に、少しだけ残りの三人がうろたえた気配を見せる。
ここまで真っ向からラコフに噛み付いた者は初めてだったのだろう。
ーーー今さら狼狽えんじゃねーよ。
そもそもラハブの狙いには、ファフニールの力を削ぐことも入っているのだろう。
なぜなら、今の自分は二番手……ラコフに迫る財力を得ているからだ。
「……異論がある、ということですかな?」
「そうだよ」
「では、決を取りましょう」
まるで狼狽えた様子もなく、ラコフは提案する。
そもそもここにかけられる議題は、過半数の賛成が得られれば通るのだ。
つまりファフニールが反対しても、残りの三人とラハブが承認すれば、意見が通ることになる。
「私に賛同する方は、挙手を」
その言葉に。
ーーー誰も手を挙げなかった。
「……?」
流石にその状況を不審に思ったのか、ラコフは軽く眉を上げる。
「次の決を取れよ、議長。代わりに言ってやろうか? ……小国連盟主国、ひいては【ドラゴンズ・レイド】に協力する者は、挙手を」
その言葉には、ラコフ以外の全員が手を挙げた。
「……」
ついに笑みを消した老人に、ファフニールは立ち上がりながら告げる。
「稀代の大商人も耄碌したな、ラコフ議長。引退の時期じゃねーか?」
「意外な結果であることは認めますが。どういう理由で?」
「簡単な二つの理屈だよ」
ファフニールは、指を一本立てる。
「商人ってのは、信頼を裏切ったら終わりーーーあんたの提案は、利益のために全世界を裏切るような真似だってことだ」
そうして、次に2本目の指も立てて、ラコフに向けて突きつけた。
「もう一つはな、議長。ここにいるあんた以外の全員が、レイドに……クトーに、恩がある人間だってことだ」
そうしてズボンのポケットに両手を突っ込んだファフニールは、それでも無表情を保ったままの小柄な老人を見下ろす。
「俺はあんたを尊敬してた。だが、人間ってのは歳を食ったら引き際が肝心だぜ? ……あんたの息子たちも、もう全員抱き込んである。アピの近衛の連中もな」
ゴキリ、と首を鳴らしたファフニールは……ラコフに、引導を渡した。
「あんたの時代は終わりだよ、ラコフ。商売の基本も忘れちまったあんたに、商会連合は任せられねぇ」
「なるほど……」
ラコフは目を伏せ、ふー、と深く息を吐いた。
「言われてみればその通りですね。確かに、私は耄碌したようです」
「次の議長は、俺らで話し合って決める。……退出してくれるか?」
「いいでしょう。ですが、ファフニール。一つだけ言わせてください」
目を上げた老人は、目を細めて……今まで見たことがない笑みを浮かべた。
悔しそうな、それでいてまるで、ファフニールを尊敬しているかのような目をしている。
「投票権があれば、私はあなたを次の議長に推薦いたします」
そうして深々と頭を下げたラコフは、他の気まずそうな面々を見回してから、ゆっくりと部屋を出て行った。
「……参ったな」
去って行ったラコフの……自分に最初に商売のイロハを叩き込んでくれた老人の、最後までしぼむことのなかった背中を見送って。
ぐしゃ、と髪をかき上げたファフニールは、軽く舌打ちする。
「もっと浅ましい姿を見せろよ、クソジジイが。……まるで俺らが小物に見えるじゃねーか」




