おっさんは、黒人辺境伯と対話を始めるようです。
クトーは一先ず周りの状況を把握した。
領主城の前にある広い庭園には、兵士以外の姿はない。
身の回りの世話をする侍女など、非戦闘員は避難させているのだろう。
騎竜兵の動きを見た時も感じたが、徹底した対応が行き届いている。
また、先ほど大規模魔法を放った時に発動した結界もかなり強固なものだったが、城だけでなくグレート・ロック上部にある街全体を覆っていた。
この岩全体が城砦であるとしても、有事に備えてその結界を維持する努力は並大抵のものではないだろう。
そこまで考えたところで、クトーは、トン、と杖先で一度地面を叩く。
「〝防げ〟」
自分の周りだけを覆う極小の防御結界を発動すると、少し離れたところに展開していた敵魔術師部隊からの攻撃が結界に突き刺さった。
爆炎や閃光、そして暴風。
それら一切の影響を完全に遮断したクトーは、大地や土を利用する類いの魔法がないのに気づく。
下手にグレート・ロックを利用すれば、岩内部に影響が出るからだろう。
魔法攻撃の間に、こちらを囲うように展開した歩兵隊の一部が指示も受けずにマナスヴィンを守るように動く。
その張本人、砂埃の中から姿を見せたマナスヴィンは、無傷だった。
地面に激突する直前、風の精霊が彼の身を守るように動いていたのだ。
轟音や砂埃はその影響だろう。
「Hey、これだけの魔法攻撃をあっさり防ぎ切るなんて、やっぱりさっきの火柱を作り出したのは君かい?」
「そうだ」
最初の一撃の話だろう。
マナスヴィンがその肯定に口笛を吹くので、クトーも逆に問い返す。
「お前も、民や兵の信が厚い、というのは本当のようだな」
「HaHaHa、ともに踊れば皆兄弟姉妹だからな!」
軽くステップを踏みながらそう口にした敵将は、手に持ったダガーの刃先をこちらに向けた。
「改めて歓迎するよ、ブラザー・クトー」
「俺とお前は、ともに踊ったことはないはずだが」
「悲しいことを言うね。今戦ったじゃないか」
冗談なのか本気なのか、嘆かわしそうにドレッドヘアを揺らして頭を横に振ったマナスヴィンは、さらに言葉を重ねる。
「ブラザー同士、隠し事はなしにしようじゃないか。急に訪ねてきた目的はなんだい?」
「それを言えば命の保証があるのか?」
「さてね。それについては君の目的によるかな?」
「では、話す必要がないな」
「不運と踊りたいのかい? 変わった趣味を持ってるね」
あくまでも冗談めかすマナスヴィンに、クトーはもう一度地面を杖先で突いた。
「ーーー〝我が意に従え、死の雷よ〟」
すると、ビシィ、とグレート・ロックの上部に不吉な音が走り、半径数十メートルの範囲に円を描くひび割れが生まれた。
その内側に、赤い雷がバチバチと地を這うように弾け出す。
ーーー闇の上位魔法、である。
指定した範囲に進入した者に容赦なく襲いかかって消し炭と化すこの魔法は、【死竜の杖】を手にした後に使えるようになったものだった。
死と輪廻の神ウーラヴォスの加護を受けている、とトゥスに聞かされた装備であり、クトー自身にもその影響は及んでいたらしい。
「喰われたくなければ、手を出さないことだ。少なくとも手加減は出来ない」
「やるね。だが、ずっとこのまま対峙しておくのかい?」
口調とは裏腹に、マナスヴィンの洞察は鋭い。
この魔法はあくまでも結界の類いなので、自ら動くことは出来ない。
だが、この膠着状態を作り出したのは、意図的に、だ。
ーーーマナスヴィンは、魔族に操られてはいない。
それは、ほとんど確信に近い推測だった。
もし彼が操られているのだとしたら、そもそもクトーと会話しようとはしないだろう。
また、おそらく風の精霊は彼に味方しない。
風に属する存在は自由気ままで、何よりも束縛を嫌うのである。
ゆえに、他者の魂を穢す瘴気を嫌う性質を持ち合わせており、もし呪によって縛られているのならもっと荒れているはずだ。
彼が戦っているのを手助けしていた時のように、楽しそうな様子は決して見せないはずである。
だがここで、クトーがあっさりとマナスヴィンに自分の目的を明かしたとしても、目の前の男は信用しないだろう。
表向き納得した様子を見せたとしても、裏で帝都に報告されてしまっては元も子もない。
裏を取る気にさせるには、自ら情報を引き出した、と思わせる必要があった。
「何か、勘違いをしているようだが」
クトーは、あえて彼を挑発することにした。
「俺は手加減をしている。結界の内側に入った今、その気になればグレート・ロックを崩壊させることも出来る。それこそ、先ほどの魔法のようにな」
その脅しに、マナスヴィンではなく周りの兵士たちがざわめき、殺気立った。
ただのハッタリではなく、実際に可能である。
一度先制の魔法を見ている彼らはそれに気づいたのだろう。
「住んでいる者達の中には兵の家族もいる。帝国も、黒色人種領そのものも、ここを失えば困るだろう?」
「では、なぜそうしない?」
マナスヴィンは、周りの兵達と違い、一人冷静だった。
決して虚勢を張っているわけではないことは、その瞳を見れば分かる。
態度こそ軽薄だが、彼は本来、思慮深い人間なのだろう。
戦っている最中からずっと、何かを確信し、揺らぐことのない芯を秘めた目をしているのだ。
「君はそう、確かにそれをすることは出来るだろう、ブラザー・クトー」
言いながら、マナスヴィンはニヤリと笑った。
「ーーーだが俺は、君が決してそれをしないことを、知っているんだよ」




