黒人辺境伯は、副官と対話するようです。
マナスヴィンは、エントランスから出て空を見上げていた。
腕組みをして下唇を突きだしながら、右手の指先でアゴを撫でる。
「ん〜……?」
「指揮官が堂々と身を晒さないで下さい」
二振りのダンシング・ダガーを持って戻ってきた副官ネアルの苦言に、マナスヴィンは顔を向けないまま口を開いた。
「Hey、ソウルブラザー・ネアル」
「何ですか?」
「ちょっと、状況がおかしくないかい?」
風の宝珠からは、逐一グレート・ロックの下で始まった戦闘の報告が入っており、頭上では赤いワイバーンと自領の兵たちが空中戦を繰り広げている。
しかし、マナスヴィンは違和感が拭えなかった。
「おかしいですね」
「君もそう思うかい?」
「ええ。先ほども申し上げましたが、空中でかなりの手練れが戦っている最中なのにここにいる、貴方の危機感のなさが」
「HaHaHa、そいつは君もじゃないか」
同じように歩み出てきたネアルからダガーを受け取ると、片目を閉じて彼を指差した。
しかしネアルは、微塵も表情を動かさずに返事を投げてくる。
「あなたが戻るのなら戻りますよ、マナスヴィン様」
「その必要がなさそうだ、という話をしているのさ。ソウルブラザー」
大きく両手を広げたマナスヴィンは、ピッ、と右手の指先で頭上を示す。
赤いワイバーンと騎乗する魔族は、実際凄まじい強さだった。
彼らの相手は、黒色人種領自慢の竜騎兵隊、計十騎だ。
しかもこちらの動きを見る限り、本気で仕掛けているにも関わらず。
たった一騎相手に、囲い込んで始末するどころか、一発の攻撃すら当てることが出来ずにいる。
それだけでも異常なことなのだが。
「相手の武器は、魔法なのか何なのか分からないが、ヤバい。地面に直撃するたびに領主城まで突き上げるような轟音と振動を響かせてくる」
「そうですね。そのリズムにノる気にはなれませんが」
軽く音に乗るように小刻みに体を動かしたマナスヴィンに、ネアルは目を細めた。
「おっと、ノってる奴を前にシケたツラしてるのは無粋だぜ? ま、そいつはともかくグレート・ロックが壊れちまいそうな威力だ。こいつは脅威だな」
また敵は見る限り、速さや攻撃の威力以外に、動きそのものの練度も素晴らしい。
こちらの龍騎兵が槍を構えて突撃すれば、赤いワイバーンは器用に尾でそれをいなし、騎乗者のことなど考えていなさそうなトンボ返りで避ける。
仮にこちらに取り付かれれば、後足で即座に蹴り離す。
その取り付かれることすらも、他のワイバーンが仕掛けるのを邪魔する盾として使うための誘いと、マナスヴィンの目には映った。
だがそれでも……赤いワイバーンだけならば、まだ対処のしようもあっただろう。
「上に乗っている奴は、あの竜と同じかそれ以上にヤバい。いっそ感動的だ」
乗り続けるだけでも厄介そうな赤いワイバーンから、振り落とされることもなく。
こちらの騎竜が風のブレスで攻撃を仕掛ければ、結界を張ってそれを散らし。
さらにワイバーンの動きに合わせて、適確な反撃を行う。
「確かに、騎乗者も常軌を逸していますね。さすがは魔族、というところでしょうか。こちら側はいいように翻弄されているようです」
いつ堕とされてもおかしくない、と淡々と戦況を分析するネアルに、マナスヴィンは大きくうなずいた。
「そう。……にも関わらず、まだ一発すら貰っていない」
違和感の正体はそれだ。
贔屓目をしたいところだが、こちらと向こうではまるで大人と赤子なのである。
相手は一撃でこちらの兵を堕とせるはずなのに、全員が無傷なのだ。
「相手の目が悪いのかな? それとも我々が考えるよりも連中はもっともっと驚異的なのか?」
「遊んでいる、ということですか?」
「何のためだと思う? ソウルブラザー・ネアル」
「それは私に窺い知れることではないですね。相手をいたぶるのが、魔族の本性だからでは?」
ネアルは、このようなことを話す重要な場面では慎重だ。
というよりも、彼は副官に徹している。
話すことで考えをまとめるマナスヴィンの性質を誰よりも正確に理解し、こちらの思考を邪魔しない一般論を述べるのである。
ーーーいたぶるのが本性だというのなら、なぜいたぶらない?
堕ちない程度に傷つけるのではなく、一切の無傷で居させる理由はなんだ?
「Fum……本当に、あれは魔族か?」
「どういう意味です?」
「騎乗者は、魔族にしてはずいぶん小柄に見える」
マナスヴィンは再び腕組みをして、頬をトントン、と叩いた。
おそらく正解にたどり着いた、と確信して、口を開く。
「俺は、彼らは遊んでいるのではなく、熱烈なデートの誘いを待っているのではないか、と思うね」
「お相手は?」
「もちろん、この俺さ」
ウィンクして、マナスヴィンは腕組みしたまま、手首のスナップだけでダンシング・ダガーを上に放り投げた。
くるくると回転しながら半円を描いて交錯したダガーの下で、くるりとネアルに背を向けたマナスヴィンは元の手でそれぞれに受ける。
「なぜかは知らないが、堕とす気がないと思ったから外に出ていたが、答えが分かってスッキリしたよ、ありがとう、ソウルブラザー・ネアル」
「何よりです」
「そして魅力的な相手にお誘いを受けたとなれば、受けるのは男として当然だ。違うかな?」
「さて。私には判断しかねますが、マナスヴィン様の決定を尊重致します」
指揮に関してはお任せを、と結局ほとんど表情を変えないまま引き受けてくれたネアルに、マナスヴィンは肩越しに笑みを見せる。
「いつも助かるよ。君は本当に得難き人材だ」
「褒めても何も出ませんよ」
「俺が褒めたいから褒めているだけだ。本当に俺がやりたいことを止めないのも、好ましい」
するとネアルは、深くため息を吐いた。
「勘違いしていただいては困りますね。無謀だと思ったり、このグレート・ロックを危険に晒すと思えば私も止めますよ」
「おや、そうなのかい?」
「当然です。そして私がマナスヴィン様を止めない理由は」
そこでネアルは胸に手を当てる敬礼をし、本当にかすかに笑みを浮かべる。
「ーーーいつだって、貴方の判断を信頼しているからです」
「では、その信頼には応えなければな」
素直ではないが有能な副官に対して太い笑みを浮かべたマナスヴィンは、つま先でトントン、と地面を叩いてから軽くステップを踏み始める。
「おお精霊よ、我とともに踊りたまえーーー〈風踏みの舞〉!」
黒色人種領の部族に代々伝わる《舞闘》の技を使い、マナスヴィンは跳ねた。
天才の名をほしいままにし、ネアルの父に見初められてただ一介の奴隷から黒色人種領の指揮官まで上り詰めた彼は、頭上の敵に対して獰猛な視線を向ける。
そのまま、トントントン、と正確なリズムを刻んで空へと駆け上がっていきながら、マナスヴィンは舌なめずりをした。
「さぁ、お嬢さんーーー俺と踊ろうぜ!」




