おっさんは仙人と夜の庭を散策する。
クトーが、ルギーとの商談に励んでいた頃。
クサッツの中でも高級な料亭の一室に、重たい沈黙が満ちていた。
料理が出てくる気配はなく、人を払った上で食事用の長机を脇に片付けている。
男が4人、広い部屋でタタミの上に正座させられており、彼らの前には黒いキモノを身につけた男性が庭を向いて立っていた。
逆光で表情は見えないが、髪には白髪が混じっている。
「好機を逃したらしいな」
そう、キモノの男に静かな声で問われただけで、男たちがビクッと震えた。
一人だけ、怯える男たちを後ろに並ばせた眠たげなギョロ目の男だけが、気にした様子もなく平然と言い返す。
「旅館の泊まり客に、邪魔をされましてね」
「泊まり客、か。……それも斡旋しないように根回しをしていた筈だがな」
「ギルドからの紹介で来たようですね。ネズミに話を聞きましたが、当日は休みで斡旋出来ないように細工をしておいた筈だ、と」
「失態の言い訳はいい。始末は?」
一言で説明を切って捨てられたギョロ目の男は、やはり特に感情を動かさずに首を横に振った。
「現在、王都から元Aランク冒険者の職員が出向しているようです。敏腕との噂がありますので、下手に動くのは逆に感づかれる恐れがあるかと」
「弱気なことだ」
「一年前から、入念な準備を重ねた計画です。慎重であるに越したことはないと思いますが」
ギョロ目の男の言葉に、後ろ手を組んだままキモノの男が振り向く。
「その冒険者というのは、手練れか?」
「どうでしょうね。二人組で、男の方が女将を狙ったブレイクウィンドの攻撃を防ぎ、女の方が一撃で始末しました。新米、という事はないでしょう」
「これ以上厄介になる前に片付けろ」
「待ちに入るか、迅速に動くか、判断に迷いますね。不測の事態は常に起こりうる事ですが……」
ギョロ目の男は、あくまでも自分の考えを言わずに、キモノの男の判断を待っているようだ。
彼はそれに気づいているのかいないのか、さらに言葉を重ねる。
「大詰めだ。相手が私だと知られないように動いて来た」
「であれば、誰かが不審に思って探り始める前に、多少は強引な手を使う必要性も出てくるかと」
ギョロ目の男は、首を動かさないまま視線で後ろを示し、すぐにキモノの男に目を戻す。
「安全に対象を確保するために、もう一人くらい、使える手駒が欲しいところです」
キモノの男はその要望にうなずき、フスマの方に呼びかけた。
「入れ」
「は」
入室して来たのは、黒の礼服に身を包んだ男だった。
中肉中背、精悍な面差しだが目が冷酷な光を帯びていて、鋭さを感じさせる。
足音を立てない身のこなしで、男はフスマを閉めてその場にひっそりと佇んだ。
「必要なら使え」
「感謝いたします。一度、泊まりの冒険者を遠ざける事が出来るかを試し、もし、無理なようであれば……」
黒いキモノの男はもう一度うなずき、それ以上何も言わずに部屋を後にした。
彼の動きに合わせて礼服の男がフスマを開き、ギョロ目の男はその足音が遠ざかったところで立ち上がる。
「一年前と同様、事故に見せかけたいところではあるが……先代夫妻と違い、遠出の用を言いつけるには理由が足りないな」
ギョロ目の男は振り向いて、後ろに座った男たちを見下ろした。
キモノの男がいなくなり、少し気を抜いていた男たちが慌てて背筋を正す。
「女将が山神の社へ出かけたのは好機だったが、逃したものは仕方がない」
ギョロ目の男は、全く表情を変えずに男たちに命じた。
「あの旅館はもう陥ちる。もし冒険者を遠ざけるのに失敗した場合は、拐え」
「……殺すんですかい?」
正座した男の一人が下卑た笑みで言うのに、ギョロ目の男は礼服の男に近づきながら答えた。
「確実にな。が、殺すまでの間は好きにしろ」
美人の女将を好きにする権利を与えられた男たちは、顔を見合わせて嬉しそうに承諾した。
ギョロ目の男が歩き出し、礼服の男が無言のまま従う。
男たちも腰を上げて後を追い、すぐに部屋からは誰もいなくなった。
※※※
『昨日、散歩がてらに気配を追った魔物使いの話なんだけどねぇ』
商談を終えて宿に戻った後。
トゥスが口を開いたのは、クトーが旅館の庭を散歩している時だった。
レヴィは疲れたのか、風呂に入ってすぐに眠った。
ムラクやルギーとどうレヴィに合わせて装備を加工するか、夕方まで議論していたから少しはしゃぎ過ぎたのだろう。
『ちょっとどこ触ってんのよ!』
『採寸しなきゃ装備が合わねぇだろうが。洗濯板どころかまな板みてぇな体で一丁前に恥ずかしがってんじゃねーよ!』
『このウスラデカっ……! ちょっとでも気に食わない装備を作ったら叩き返すからね! 覚えてなさいよ!』
『うるせぇチビ。無意味な心配してねぇで、どうやったら色気のある体になるかでも心配でもしてやがれ!』
『仲が良いな』
『『どこが(だ)!』』
非常に息の合う二人の様子にどこか微笑ましさを感じたクトーだったが、本人たちはそうでもないらしかった。
月を見上げて、それから庭の造形の美しさに目を落としながら、クトーはトゥスに答える。
「誰が犯人か、分かったか?」
『いんや。随分巧妙でね。魔力の流れも薄けりゃ向かった先に人避けの結界が張られてたしで、場所くらいしか分かんなかったねぇ』
人避けの結界は、範囲内に招いた者以外が入ると術者にバレる。
「結界を抜けられる程度に、気配は消せなかったのか?」
『無茶は言わないことさね。散歩ついでで殺されちゃたまらないしねぇ』
ヒヒヒ、と、仙人は笑いながらキセルを咥えた。
犬歯を覗かせる皮肉な笑みと、月の光に照り返る大きく虹彩が開いた瞳。
昼間見るよりも、なお一層可愛らしい。
『そもそも、山の小僧に期待し過ぎるのはよくねぇね。わっちは大したことがねーんだからねぇ』
「謙虚な事だ」
クトーはそれ以上追求せず、話の先を促した。
トゥスには対価を支払っておらず、好意で動いてくれているのだから。
夜の風は少し冷えて心地よく、湯あがりの頬を冷ましてくれる。
『奴らが入ったのは、多分賭博場さね』
「賭博場?」
賭博は、国が公認したものを除いて禁止されている。
トゥスに詳しい場所を聞いたが、クトーが知る限りではその辺りに公認の賭博場はなかったはずだ。
ミズチに裏を取る事を考えていると、道の先に腰掛け用の木のベンチが見えた。
そこにクトーが座ると、トゥスは宙に寝そべるように仰向けになって大きく体を伸ばす。
『欲が渦巻く場所には珍しくもねぇ話さね。禁じられりゃやりたくなるのが人の性ってもんだ』
「膨大な金が絡むしな」
『人の世は、いつでも汚くて困ったもんだねぇ。自分から生きづらく、己を縛っているとしか思えねぇね』
軽い口調で言っているが、トゥスの立場からすればその通りなのだろう。
生きる糧を必要なだけ口にし、仲間と共に平穏に過ごせさえすればそれでいいとクトー自身も思ってはいるが、しがらみというものは街に生きる限りどこまでも残り続ける。
「トゥス翁のように、強く生きる事の出来る者ばかりではないからな」
一人で生きる心の強さ、自然の厳しさを是とする意思、そして厳しさを楽しめるだけの精神。
そうしたものを、備えていればこその生き方だ。
「俺は、仲間もなしで一人で生きる事は出来ん。心が弱いからな」
一人を寂しいと、そう思っていた幼い頃から、クトーは変わっていない。
トゥスは、むくりと体を起こして宙を漂いながらあぐらを掻いた。
『弱さを知り、己を知ればこそ、わっちは一人を選んだのさ。自然を生きるが楽しいのは、そりゃ否定は出来ねぇがね。そんなわっちも、人の性に未だに縛られてる程度の存在さね』
「そうなのか?」
『でなけりゃわざわざ、面白ぇヤツを見つけてついて行こうとは思わねぇね』
仙人の瞳は、常とは違う知性の色を浮かべて、穏やかにこちらを見ている。
『寂しさは、一人ならただの寂しさのまんまさ』
それでも、時に人と関わりたくなる、とトゥスは言う。
『人と関われば、寂しさは埋まる。だが埋めたものを失えば、より大きな寂しさを知るはめになる。今は良いが、いずれお前さんたちとも別れる。そして大きな寂しさを胸に思うのさ。わっちの生き方は、それなりに良いもんじゃねぇか、とねぇ』
「いずれ別れる、か」
クトーは、そろそろ肌寒くなってきて部屋に戻る事にした。
立ち上がり、戻る道を歩き始める。
「トゥス翁は、俺たちと別れる事を寂しいと思ってくれるのか」
『わっちはお前さんたちが気に入ってる。それが答えさね』
素直には口にしない。
だが、彼の気持ちをクトーはたしかに感じた。
「……別れた後でも、繋がりや絆は切れない、と信じるのは、甘いか」
ムラクやルギーと、滅多に会わなくても繋がりを感じている事は、一方的な思い込みに過ぎないのかもしれない。
そう考えたが、トゥスは首を横に振る。
『いんや。絆は残るさ。お前さんがそれを大切にし、向こうも大切にする限りはねぇ。それでも人は変わる事もありゃ、二度と会えなくなる事もあるさね。長く生きてりゃ、そんな事ばっかり感じるもんだ』
「……そうか」
『わっちは、お前さんは変わらない気がしてるけどねぇ。嬢ちゃんは変わるかも知れん。そん時、お前さんはどうすんだい?』
レヴィが変わる。
彼女はまだ未熟だから、今後成長し花開くだろう。
だが咲かせた花が、美しいとは限らない。
トゥスが言いたいのはそういう事なのだろうと思う。
「なるべく、美しく咲くように。そう願って手助けをする。それくらいしか、俺には出来ん」
『ま、未来は大概の人間にゃ分からんもんだからねぇ』
トゥスとの話は、それで終わりだった。
着ぐるみ毛布なクトーさんのFAいただいたので、活動報告に挙げてます。




