少女はおっさんを置いて散歩に出かけるようです。
レヴィは宿の外に出て大きく伸びをした。
「ん〜……!」
ついでに空を見上げると、雲間から青い月が顔を覗かせていた。
目が慣れれば歩くのに支障がない程度には明るい。
「ちょっと涼しいわね」
『この辺りは、昼と夜でだいぶ肌寒さに差があるからねぇ』
散歩についてきたトゥスの言葉に、レヴィは軽くうなずいてから歩き出した。
異国の風景は、それだけで楽しい。
夜に人の姿がないのはお国柄なのか、市場が出ている大通りはテントなども撤収されてガランとしていた。
こんなに広いのかと感じるほど、広々として少し寂しい景色だ。
「道で寝てる人とかもいないのね」
『帝国領では、そーゆー類いの人間は見付かると壁の外に追い出されるらしいからねぇ。わっちには生き辛ぇ国さね』
「寝る体に持ち合わせがないじゃない」
『おっと、嬢ちゃんも言うようになったねぇ』
「ふん、いつまでもやられっぱなしじゃないわよ。ねぇ、むーちゃん?」
「きゅい!」
そんな風に景色を楽しんでいると、ふと違和感を感じた。
肌寒さとは別の意味で、空気が冷える感覚。
「……誰?」
足を止めたレヴィが気配を探りながら問いかけると、いくつかの場所で同時に殺気が膨れ上がった。
『嬢ちゃん、右さね!』
トゥスの言葉に反射的に盾を掲げると、手もとに衝撃が走った。
同時に甲高い音が響いて、回転しながら黒い何かが明後日の方向へと飛んでいくのが視界の隅に映る。
『ありゃ、クナイだねぇ』
「何よ、それ!」
『ニンジャの投擲武器さね』
言い合っている間に、複数の人影が物陰から飛び出してきた。
「トゥス!」
『ヒヒヒ』
レヴィの呼びかけに、トゥスが体に憑依する。
軽く身震いしつつ盾裏から投げナイフを引き抜くと、人影の一つに向かって投擲した。
相手の持つニンジャ刀によって弾かれるのを見ながら、レヴィは小さく、好戦的な笑みを浮かべる。
自分たち以外に、全く人影がないのは好都合だった。
「むーちゃん!」
「きゅい!」
肩に止まっていたむーちゃんが、声に応えて聖気を身に纏う。
道は人が十人、腕を伸ばして横に並んでも問題ないくらいに広いため、建物を傷つけることはない。
「 グゥルウウォオオ……!!」
即座に巨大化したむーちゃんが振るった尾の一撃を避けきれず、人影の一つが吹き飛んだ。
だが、建物に叩きつけられる前にその気配が霧散する。
分身、ということは。
「ビンゴ!」
『ヒヒヒ。まんまと引っかかったねぇ』
レヴィは、迫ってきた一人に対応するためにさらに投げナイフを引き抜きながら、胸の中に鋭く燃える炎をイメージした。
「―――〝双刀炎舞〟!」
キィン、と空気を割るような幻聴が耳元で響き、盾と投げナイフが瞬時に一対の曲刀に変化する。
同時に服が踊り子のような真っ赤な衣装になり、腕に描かれたヘナ・タトゥも炎の色に染まった。
逆手に持って振るわれたニンジャ刀を左手の曲刀で受けたレヴィは、驚きの気配を見せる相手に対して身を沈めるように一歩踏み込む。
そのまま右の曲刀を腰だめに構え、最小の動きで刺突を放った。
が、その直前に相手の手元で青い輝きが生まれて、手応えなくその体を刃の先端が突き抜ける。
「っ!」
バシャリ、と相手の姿が崩れ落ち、その向こうにいるもう一体の分身が一本の筒を構えていた。
「……〝水龍よ〟」
レヴィは初めて、相手の声を耳にする。
少しかすれたハイトーンのその声音は……女のもの。
相手の手にした筒から放たれたのは、細い体の龍を象った鋭い水の螺旋だ。
こちらを喰らうように顎を開いたそれに、レヴィは奥歯を噛み締めて唸った。
「ナメるんじゃ……ないわよ!」
ゆらり、と双曲刀が赤い輝きを纏うのと同時に、クロスさせて水龍を受ける。
その瞬間、灼熱の輝きが生まれて水の術と一瞬拮抗した。
「あぁああああッ!」
強く地面を蹴り、水龍を縦四つに引き裂きながら相手に向かって駆け抜けようとしたが、その足を誰かに引っ掛けられた。
「ッ!」
目を向けると、先ほど水になって崩れ落ちた分身が再び人の姿を取っている。
振り上げられたニンジャ刀に、レヴィが目尻を震わせたところで。
「〝防げ〟」
冷静な声とともに、自分の周りに結界が生まれてその刃を弾いた。
※※※
レヴィを結界で守ったクトーは、襲っていた相手に続けて魔法を発動する。
「〝縛れ〟」
観察している間に、相手の手の内はほぼ読めていた。
相手が使ったのは一時的に水に姿を変える上位魔導具【水遁の蝉】、それに殺傷力の高い螺旋水流を放つ中位魔導具【水遁の竜】である。
水遁をメインに使っている、ということは、相手はそもそもの適性が〈水〉なのだろう。
対して発動したのは、地の封印魔法だ。
踏み固められた土の地面から爆発的に伸びた蔦が、残った分身を含めて相手を全員拘束した。
すると、水龍を放った一人を残して分身が消える。
だが、相手は諦めなかった。
またしても魔導具を使用しかけた敵に、クトーは声をかける。
「無駄だ。地の封印による拘束を受けたまま、水の気は使えん」
相手はその言葉を無視したが、結局魔導具は発動しなかった。
……クトーは先ほど、グラスに映った宿の食堂内の様子を観察していた。
レヴィが出て行った後、その中にいた一人、原理主義者の黒い服を纏った者がひっそりと姿を消したのだ。
おそらく、ニンジャが原理主義者という訳ではないだろう。
景色に溶け込むために、逆にその姿を利用していたのだ。
それを見届けたクトーは即座にレヴィを追い、今の状況になった。
「そろそろ、目的を明かしてもらおう」
むーちゃんが元の小竜に戻り、レヴィの周りに張った防御結界を解いたクトーは相手の黒頭巾に手をかけて剥ぎ取る。
するとそこから現れたのは……忌々しそうにこちらを睨みつける、二本の短いツノを生やした女性の顔だった。




