おっさんは、食堂で晩酌をするようです。
「帝国の現状に関して、辺境伯がどの程度把握しているのかは不明だが」
用意された宿の一室で、クトーはレヴィとテーブルで向き合って説明していた。
「不穏な雰囲気を察している可能性はある」
帝国中枢はすでに魔族に乗っ取られているのだ。
もし、こちら側の辺境伯協力者……内通者、と言うべきかどうかは微妙な状況だが、もし事実をア・ナヴァに明かしていた場合。
辺境伯は独自にそれに対処するために動いている、という状況かもしれないのだ。
「主要な都市に『奴ら』の手が入っているだろう、と先日お前にも伝えたが」
「言ってたわね」
クトーが、カラン、と氷の音を立ててグラスをレヴィに向けて傾けると、彼女は面白くなさそうにテーブルに肘をついてその上に顎を乗せながら答える。
「でも知ってるなら、なんで領主は正面切ってこっちに協力しないのよ?」
「俺が逆の立場なら辺境伯と同様の形を取るだろうな」
事情を知らない人間からすれば、反逆を目論んでいると取られてもおかしくはないのだ。
さらに、実際に目論んでいるという考えもある。
混乱に乗じて権力の拡大をするのは常套手段であり、黄色人種領は帝国内で冷遇されている場所という事情を鑑みれば、ないとは言い切れない。
「そうなってくると、今回の様々な動きに対して見えてくるものもある」
「例えば?」
「七星同士で敵対する理由、などだ」
シャザーラも、現状に気づいているとしたら。
「あの兄弟と協力し続ける、ということは、すでにここも取り込まれていると考えているかもしれない」
「……話し合いもせずに?」
「『自分が気づいている』とわざわざ知らせるのか? もし本当に敵だったらどうする?」
クトーは軽く考えてから、分かりやすく例えることにした。
「例えばレイドで、リュウが魔族に乗っ取られている状況で、お前がそれに気づいたとしよう」
「うん」
「俺や三バカはあいつの様子が違うことに気づいていておかしくないのに、なんの動きも見せずにいつも通りに過ごしている……あるいは、怪しい動きをしている」
お前ならどうする、とクトーが問いかけると、レヴィは難しい顔で黙り込んだ。
手にしたグラスから冷えた水を飲みつつ待っていると、彼女は答えた。
「トゥスに相談する、かしら」
「……」
『ヒヒヒ。そういうこっちゃないんだよねぇ』
クトーが軽く眉根を寄せると、ベッドで眠るむーちゃんの横にふわり、と仙人が姿を見せた。
『お前さんがシャザーラとやらの立場なら、そういう相手はいやしないのさ』
「なんでよ?」
『そりゃ、デストロとかと一緒にいた時の嬢ちゃんと同じ立場だからさね』
トゥスの言葉に、レヴィは顔をしかめる。
彼女にとっては嫌な記憶だろう。
が、シャザーラは亜人であり、肌の色が違う者よりもさらに冷遇されている人種であると考えれば、トゥスの指摘が正しい。
「……たしかに、誰にも話せないわね」
『その上、この街を仕切っている奴が、もし仮に仲間内での兄ちゃんの立場だったとして、だ』
仙人がキセルをピコピコと振りながら話を続ける。
『レイドと仲が悪い連中と、竜の兄ちゃんを繋ぐような動きをしてるのさ。じゃ、兄ちゃんは向こうの立場だと判断して何もおかしかねーさね』
う〜、と唸ったレヴィは、肘をつくのをやめて頭を両手でガシガシと掻いた。
「ああもう、ややこしいわね!」
「世の中というのはそういうものだ」
実力だけで全てが解決するならば容易いのである。
もっともそうしたシンプルな世界は弱肉強食とも呼ばれるので、一様に正しいとも言えないのだが。
「そこで、物事を単純にするために一つ、提案があるんだがな」
「……何よ」
クトーはレヴィに軽く説明した後、宿の食堂に降りた。
それなりに混んでおり、例の黒い布で全身を覆った者も幾人かいる。
しかし運よくカウンターを確保して二人で食事を取りつつ、中にいるバーテンに声をかけた。
「少しいいだろうか?」
「はい」
こちらに目を向けるバーテンダーに、レヴィがさりげなく手で合図をして見せる。
『運び屋』への接触。
いくつかある窓口の一つが、ここだという話をクダツから聞いていたのだ。
「追加のご注文ですか?」
「地産の葡萄酒を」
言いながら、重ねた銅貨の間に金貨を一枚挟んで差し出す。
この辺りでは高級酒に類するものの値段とチップを合わせたにしても破格の支払いを、バーテンダーが丁寧な手つきで回収した。
「どちらまで行かれるので?」
ワイングラスを差し出しながらさり気なく問いかけられて、クトーも世間話の口調で答えた。
「ジェミニの方まで。間に危険な地域があると聞いたんだが」
「ルートによりますね。直線で抜ければ強い魔物のいる地域を通ることになります」
「迂回はあまりしたくないが」
「裏道はありますよ。道案内をつけることになりますが」
裏道の地図は売っていない、ということだろう。
「利用する者は多いのか?」
「どうでしょうね。つまみをサービスしておりますが、どうされます?」
それに関しては追加の料金が必要、という意味だろう。
ここでやめるならサービスを受ければいい。
が。
「いや、十分にリーズナブルだからな。きちんと料金を支払わせてもらう」
言いながら銀貨を一枚差し出すと、ピーナッツと枝豆の盛り合わせ、それに鳥の揚げ物が出てくる。
「つい最近で言うと、数名そちらの道を通ったようですが」
「貴族、あるいは権力を持つ商人などもよく利用するのか?」
「一人しか心あたりがありませんね」
「星か?」
バーテンダーは軽く目配せをしただけで質問には答えず、頭を下げて背を向けた。
『……アタリかねぇ』
ボソリと姿を消したトゥスが耳元でささやくのに、微かにうなずいてみせる。
すると、今度はレヴィに耳打ちしたのだろう、ピーナッツを摘んでいた少女が立ち上がった。
「どうした?」
「お腹膨れたから、少し外に出てくる」
「あまり遠くへは行くな」
「子どもじゃないんだから」
鼻を鳴らして外に出て行くレヴィを見送って、クトーはワイングラスを軽く掲げる。
食堂の中が面に映っており、壁面の明かりがそこに反射した。




