おっさんは少女に、失礼な質問をするようです。
「ああ、チェリーってそういう……」
倒れた巨木の上から魔物を見下ろし、レヴィは納得したようにうなずいた。
複数蠢く、濃いピンク色のスライムは透明な他の種類に比べて、少し不透明な体を持っている。
「似ているだろう。だが、この魔物は実はスライムではないのではないか、と言われている」
「どういうこと?」
レヴィが首を傾げてこちらに目を向けるのに、クトーはチェリーボーイの特性を伝えた。
「―――この魔物は、俺では倒せない」
「え?」
クトーの言葉に、レヴィの表情が少し曇る。
「そんなに強いの?」
「攻撃力はCランクの魔物程度だ。しかしチェリーボーイにはコアが存在しない」
彼女に対して首を横に振りつつ、さらに説明を続けた。
「そして物理攻撃に関しては、数こそ増えないがスライムと同様に通じない。また、魔法攻撃も無効化する」
「なにそれ。無敵じゃない」
「だからそう言っているだろう」
不透明な体に、増殖しない性質。
全ての攻撃が通じない不死性。
「この魔物はスライムではないどころか、そもそも魔物ですらないのではないかと言われている。それくらい特殊な魔物だ」
肉体的には、鍛えれば人でも対峙出来る魔王すら凌駕するだろう。
だが、古文書の記述によれば全く退治方法がないわけではない。
「迂回することそのものは可能だが……」
クトーは銀縁メガネのブリッジを指先で押し上げ、周りを見回す。
複数のチェリーボーイはそれなりに固まった場所にいた。
「この状況をあまり放置はしたくない」
「なんで?」
「魔法が効かない、ということは〝障壁の森〟を覆う惑いの魔法も通じないということだからだ」
「あ……」
レヴィは言われて理解したようだったが、クトーはきちんと口にする。
「つまり帝国が、この魔物を森に放つはずがない。……そしてもし獣人領側に現れた場合、長期に渡って領内が脅威に晒される可能性がある」
「でも、どうするの? 倒せないんでしょう?」
問いかけた彼女は、少し不満そうに眉根を寄せて腰に手を当てた。
倒せるのなら倒したい気持ちは、レヴィも同じなのだろう。
『奴らを移動させる方法も、ねーわけじゃねぇんだけどねぇ』
そこでトゥスがコリコリと爪の先で耳の後ろを掻きながら、クトーらの会話に口を挟んできた。
『穴に落として封印魔法で周りの空間ごと封じるとか、転移魔法で別んとこ跳ばすとか、もっと手っ取り早いのは魔法で土の中に埋めちまうとかねぇ』
「でもそれじゃ、根本的に解決しないじゃない。出てくる可能性あるんでしょう?」
肩の上のむーちゃんがレヴィの不機嫌に反応してそわそわし始める。
それを彼女は手で撫でた。
「封印、転移に関しては準備や人員が足りないな。実際、翁が最初に言った方法が一般的な対処法だ」
そして最後の方法は【死竜の杖】を使えばいくらでも可能である。
しかし古文書の記述に従うのならば、この場にはチェリーボーイを完璧に倒せる方法が、一つだけ存在する可能性があった。
「レヴィ」
「何?」
「今からひどく不躾なことを訊くが、大切なことなので答えてくれ。もしこいつらを倒したいのなら」
「……?」
レヴィの怪訝そうな顔に少し気が咎める。
今から問いかけるのは、流石に紳士にあるまじき質問なのだ。
『ヒヒヒ』
口よどんだこちらが珍しいのか、キセルを吹かすトゥスが楽しげに笑い声を上げる。
ちらりと仙人に一度視線を動かしてから、クトーはその言葉を口にした。
「―――お前は、処女か?」
一瞬。
レヴィは何を言われたのか分からなかったのか、怪訝そうな表情を保ったまま動きを止めて。
「にゃ、にゃにゃ……!」
今までに見たことがないほど、顔を真っ赤にして怒鳴った。
「な、何を聞いてるのよぉおおおおおおおおおおお!?」
「だから不躾な質問だと言っただろう。しかし、必要な質問だ」
クトーは杖の先で足元を這うチェリーボーイを示して、言葉を重ねた。
「古文書に、この魔物を倒したと思しき記述が一つだけある。はるか昔の伝説だ」
その昔、大陸の形すら今とは違った頃。
かつて存在した王国に、童帝と名付けられた魔物が出現した。
屈強な戦士も賢者もその脅威を排除できず、それどころか攻撃を加えるたびに強くなっていく魔物。
それを退治したのは、一人の聖女だったという。
「神聖な女神の神殿に至った『童帝』から聖域を守ろうと身を呈した彼女が、魔物の本体を抱擁した瞬間に魔物は姿を変え、王国から脅威は去ったらしい」
『その聖女は穢れなき処女だった、ってぇのが伝承さね』
ヒヒヒ、と口を挟んだトゥスが、クトーの言葉を引き継いだ。
『有名な、世界樹の伝説の一節だねぇ』
「ああ」
その聖女が最初に世界樹と意思を通わせ〈生命〉の属性を得た。
後に世界樹の護り手と呼ばれる者の祖となったのである。
顔を真っ赤にしてうつむいたまま、胸の前で両手の人差し指をこすり合わせるレヴィは、聴き終えて小さくつぶやく。
「……つ、つまり、その」
「お前がそうであれば、魔物の本体を見つけ出せば倒せる、という話だな」
そうしたことを試す者はあまりいない。
酸の肉体を持つ魔物に少女を抱きつかせる、などという無謀な真似は生贄に近い考えだからだ。
防御の魔法も使うし、杖によって強化した回復魔法で彼女を癒すつもりも当然ながらある。
しかし相手の無効化体質で防御が打ち消される可能性も否定出来ず、そうなれば苦痛を味わうのはレヴィだ。
「返答も退治も強要はしない。俺では倒せない以上、お前次第だ」
無理なようであれば、最初にトゥスが出した案の通りに土に埋めることになるだろう。
「……やる……」
消え入りそうな声でそう言ってから、レヴィはちょっと涙目でクトーを睨みつけてきた。
「こ、こんな恥ずかしいこと言わせるんじゃないわよ! この、ヘンタイ!」
「すまん」
大人しく謝ると、レヴィは深呼吸した。
そして赤い顔のまま魔物に向き直り、ニンジャ刀を引き抜く。
「……どうやってやるのよ?」
「チェリーボーイの本体はこの中の一体だけだ。それを探し出す」
倒せはしないが、この魔物に関する記録そのものはギルドに保管してあった。
この魔物は、攻撃を加えるとそれが初めて受けたものである場合、しばらく硬直する。
その後、攻撃に対する耐性を得て再び動き出すのだ。
「見分ける方法は?」
「攻撃を加えた後、硬直状態の時に本体だけは色を黒く変える。それを見極めろ」
「分かった」
クトーはレヴィの返答を聞いて、杖に魔力を貯め始める。
どの程度の攻撃を受けてきたかはわからないが、基本的に冒険者ならこの魔物に手は出さないし、今まで発見されていなかった可能性は高い。
ギルド報告があったとしたら、確実にSランクの緊急になるからだ。
チェリーボーイ出現の依頼はここしばらく見ていない。
それらの状況を加味すれば、おそらく聖属性の攻撃魔法であれば受けたことがない個体のはずだ。
杖による魔法であっても、物質にダメージを与えない聖属性最高位魔法であれば周りに被害は与えないだろう。
「俺が撃ったら飛び出せ……始めるぞ」




