おっさんは、森の中で厄介なものを見つけたようです。
〝障壁の森〟は、帝国領の周りに広がる、人の手で作られた森だ。
クトーはそれがどんなものかをレヴィに説明した。
「この森はそれ自体が、惑いの魔法と呼ばれる迷路化の魔法を常時発動するように巨大な魔法陣になっている」
「迷うの?」
「そうだ。なんの対策もせずに入り込めば帝国領にたどり着けないようにな」
「ふーん」
レヴィは森の高い木立を見上げながら、指先で額を掻いた。
「クトーのその言い方なら、何か突破する方法があるのよね?」
「ああ。これを渡しておこう」
クトーは、カバン玉から取り出した一つの魔導具をレヴィに手渡した。
「何これ?」
「可愛いだろう?」
「そーゆーのはもう良いわよ! これは何!?」
レヴィは最近、少し怒りっぽくないだろうか?
夕食は魚にしよう、と思いながらクトーは質問に答える。
「これは【迷わずの人形】だ。高品質のな」
それは手に下げるヒモがついた、二頭身の人形だった。
レヴィがつけている髪留め……センツちゃんに似た姿をしており、中に効果を高めた道しるべの魔法を発動する魔法陣を収めてあるものだ。
内容に合わせて、手に持っているものを弓から水晶に変えて斜め上を指差すような格好にしてあるl
「ナビちゃんと名付けた」
「……もしかしてお手製なの?」
「当然だろう。この人形は本来、方向音痴の子どもに道に迷わないようにと与えるものだ」
するとレヴィが、ぴくりと眉を震わせる。
「それ、私が子どもって意味かしら?」
「誰がそんなことを言った」
クトーは腰に片手を当てたレヴィの小柄な頭の先からなだらかな胸元、足先までを一瞥してから言い足す。
「本来は【導きの札】と呼ばれる、より高位の魔導具と同じ効果がある」
「元の魔導具があるならそれでいいじゃないの!?」
「可愛くないだろう」
「実用的なものに可愛さとか求めてないのよ! そこにかける労力を別のところに掛けなさいよ!」
「別に仕事に手を抜いているわけではないが」
さほど手間をかけているわけでもない上に、そもそも手芸は趣味に近い。
「知ってるわよ!」
『なら、そいつは言いがかりだねぇ』
黙って話を聞いていたトゥスが、ヒヒヒ、と笑いながら口を挟む。
『こんな見た目でも、どうせ兄ちゃんのことだ。効果は折り紙付きさね』
「だから余計にムカつくのよ!」
『ならそれこそ、道具の外見なんざどうでもいいんじゃねーかねぇ』
「翁の言う通りだな」
クトーは一つうなずいた。
「話を戻すぞ。こうした惑いの魔法を破る方法はいくつかある」
魔法由来であれば《影渡り》などの魔力由来の移動手段なら影響を受けないことが分かっている。
「その中の一つが道しるべの魔法だ。帝国領に赴く、という意識があればそちらへと導いてくれる。魔物が中に放たれているだろうから気を付けろ」
そう告げてクトーが森に入ると、二人もついてくる。
森はかなり木々が密集しており、人一人が通れる程度の幅で巨木が立ち並んでいた。
「魔物をわざわざ森に入れるって、魔族が?」
「いや、帝国はもともとそうした策を取っている」
「人間が?」
「何がおかしいか?」
下生えを鎌で払いながらクトーが目を向けると、レヴィが衝撃を受けた顔をしている。
しかしかつて北と戦争が起こった時は、相手が同じような策を取ったという記録が残っていた。
攻めたい場所に、わざと捕らえた魔物を放ってこちらを疲弊させた、という話だ。
「ひどいわね……」
「飢えれば人は獣になる。タガが外れた者も同じだ。前の獣人を売り捌いていた奴隷商のようにな」
自分の村を一度ビッグマウスに滅ぼされかけた彼女にとっては、信じがたいことなのだろう。
しかし人の悪意を全て抑えることなど、そもそも不可能なのである。
そうした悪意から人々を守る者もいれば、どこまでも非道になれる者もまたいるのだ。
「恒常的には、領土が広大だからこそ出来ることだがな。小国連でやろうと思えば、そもそも森を作ることが難しい」
「ていうか、危なくないの? 自分たちのほうに出てくる可能性もあるのに」
「惑いの魔法が効果を発揮する魔物であれば危険は低い。そもそも、辺境に住む者たちをそこまで中枢が気にしているかも不明だ」
帝国は未だ貴族の支配体制が強固な国である。
統治に関しては、領主に一任されていることが多いのだ。
そもそも人口も他国と比較にならないほどいる上に、辺境に住んでいるのは帝国の中でも冷遇されている人種であることが多い。
「む?」
奥に進むと、少し筋道が出来ている場所に出た。
下生えが溶けており、木の根や幹が黒く腐食しているもの。
少し先を見れば、根腐れを起こして倒れている巨木もあった。
「何これ?」
「魔物が通った跡、だろうな。……翁」
『ヒヒヒ。なんだい?』
「見てもらえるか?」
『めんどくせーこととか危ねーことはしたくねーんだがねぇ』
少し嫌な予感がする跡だった。
ふよふよとトゥスが漂っていく間に、レヴィが溶けた筋道を見て問いかけてくる。
「これ、スライムの通った跡よね?」
「ああ」
基本的に、スライムや派生種であるトライムなどは周りを溶かして食事や移動を行う。
だが、このどこまでも黒々とした跡は。
『ヒヒヒ。こいつぁ厄介だねぇ』
トゥスがどこか楽しそうに言いながら戻ってくる。
「いたか?」
『あの倒れた巨木の向こうだねぇ……しかし本体が見当たらねーね』
「……やはりか」
『ヒヒヒ。こんなとこにいるはずのねぇ魔物さね』
「ちょっと、二人だけで何分かってるのよ?」
『滅多に出会うこともねぇ魔物さね。兄ちゃんがどう対応するのか見ものだねぇ』
ニヤニヤとトゥスがレヴィを見て、巨木の向こうをキセルの先で示す。
「向こうにいるのは、Sランクのスライム……通称〝童帝〟だ」




