おっさんは、話し合いを制するために口を開くようです。【コミックスカラーあり】
「なるほど……これは壮観な景色ですね」
一緒に姿を見せたニブルは、いつも通り神経質そうに眉根を寄せた表情でこちらを見回した。
商会連合と比肩する勢力を誇る、冒険者ギルドの総長を務めている金髪碧眼の美男子である。
「ニブル?」
全く敬意のないニブルの敬語に微笑みながらチクリと釘を刺したのは、片えくぼのある一見美男子のような彼の妻、ユグドリアだった。
世界樹の騎士である彼女が片手に巨大なハンマーを持っているのは、護衛としてだろう。
その二人が左右に分かれ、続いてゆっくり男性が進み出て来るとーーー空気の感触が変わった。
緊張感を漂わせているのは各国の王とその側近、特に小国連の4国の王は青ざめている。
ーーー東の大国を統べる帝、リ・ワン。
東の大国では大帝のみが身につけることを許される【大帝の衣】と呼ばれる赤い衣服と帽子を身に纏っており、袖や裾など全てが長いので歩くたびにさやさやと音がする。
立ち止まった彼は顔立ちは整っているが、一重まぶたの細面にはこれといった特徴はない。
シワもないが若くも見えない、静かな威厳を纏った年齢不詳の大帝は勢揃いした面々を見回して小さくうなずいた。
しかし彼が口を開くよりも前に、最後の一人が姿を見せてはぁ〜、と大きく息を吐く。
「やっと広いところに出たわね」
そう言って指を組み、大きく腕を上に伸ばした美女はそのまま力を抜くと、バサリ、と体躯よりも遥かに巨大な黒翼を広げた。
脇にスリットの入った太ももの覗く黒い東服を身に纏っており、真っ白な肌の色に反して、その四肢の先は黒い羽毛を備えている。
東の大山に住まう鳥人族の長、ルシフェラである。
彼女はリ・ワンの愛人で、子を成せないことから正妃の座にはいない。
が、側室のように後宮に押し込められることもなく自由に王室に出入りしており、基本的には常にそばにいるらしい。
今日もそうだったのかもしれない。
「久しぶりだな」
真っ先にリ・ワンに声をかけたのは、北の王ミズガルズだった。
たしかに、この場で帝に声をかけるのはホアンか彼が妥当だろう。
リ・ワンはミズガルズに目を向け、両袖に手を入れて軽く掲げた。
頭を下げないことを国法として定められている帝の立場で、それが最大級の礼であることをクトーは知っている。
「久しく。朕の身がこの場に在ることに、疑の念を覚える」
独特の言い回しで問われたミズガルズは再び口を開いた。
「俺も今聞いた話だが……」
彼の説明はぶっきらぼうで簡潔だったが、間違いは1つもなかった。
「へー、なんか大変なことになってるのね」
なぜか翼で浮き上がったルシフェラは、まったく動かないリ・ワンの右肩側から、抱きつくような姿勢でふんふんと話を聞いて不思議そうな顔をする。
「仔細、解した。ーーーこの場において、議事を談ずに否もなく」
「リに危険はないと思うけど、魂を勝手に抜けるヤツがいるのね。それに対策は打てないのかしら?」
「朕の身を害さず、と感ずる。神の所業ゆえに是非を問うこともなき」
「リがそう言うならいいけど」
ルシフェラはこの場に呼ばれた理由よりもそちらが気になったようだが、リ・ワンが納得していると聞いてあっさりと引き下がった。
「……では、始めますか?」
誰にともなくホアンが問いかけたが、全員が沈黙をもって答える。
「先日遠方会議で軽く触れましたが、改めまして。議題は『魔族に乗っ取られた帝国の奪還』について、です」
ホアンが軽く手を上げて、こちらを……クトーたちのほうを示した。
「先日の会議では、【ドラゴンズ・レイド】が先陣を切るということで話が纏まっていたかと思います。その際に、ディナ総領の方から提示された案件もすでに解決しております」
「聞いている」
竜人の女性ディナは、鱗のある頬に触れて爬虫類の目をホアンに向けた。
「まだこちらにはついていないようだが、感謝の意を表する」
「我々としても解決しておかなければならない案件でした。獣人族を奴隷として使うのは国際条約に反する行いです」
「当然、その際に交わした盟約は守る。我らは帝国への侵攻を支持する」
最初に意思を表明したディナに、場がざわめいた。
「何を驚いている? 我らは腹芸を好まない。帝国への恨みもあり、未だ獣人領の脅威でもある相手の力を削げるのならこれはまたとない好機だ」
その意見自体には、誰も反論はしなかった。
今回は魔族の件があるという事情を排しても、獣人は長く帝国の奴隷として使役されていたのである。
そして各国の心情としても、魔王亡き後に最大の脅威であったのは帝国だ。
幾度となく出現する魔王だが、平穏な間に帝国は幾度となく小国連に攻め込もうとした過去があった。
遥か過去には聖白竜の存在、あるいは大森林や山脈、内海という障害や、近年ならば獣人領の成立や巨人族の総反撃などの事情によりそれらは成功していない。
対魔王最大の守護者にして、人類最大の脅威、それが南西の帝国なのである。
ディナに続いて口を開いたのは海洋王国のアピだった。
「……その賛成にゃァ、領土の奪取も含まれてんのかい?」
日焼けした漁師のような風貌の王が口にした言葉に、ラコフの目が光る。
何人がそれに気づいたのかは分からないが、ディナは無表情のままアピに目を向けた。
「どういう意味だ?」
「そのまんまの意味だァね。帝国が魔族に支配されてるってェ話そのものも、オイにゃァなかなか信じづれェが……」
アピが目線をこちらに向けると、リュウがピクリと肩を震わせる。
クトーがそれを手で制すと、ニヤリとシワを深くしながらアピは話を進めた。
「前の話じゃァ、そこまで膿は広がってねェから帝都だけを攻める、ってェ話だと聞いてたんでねェ。そこんとこはっきりしねェとどうとも言えねェ」
ーーーなるほど。ラコフは現状維持を望んでいるのか。
アピの言い方から、クトーはその横にいる男の真意を悟る。
おそらく、帝都を魔族から奪還することそのものには賛成なのだろう。
だが、それによって獣人や他の国が領土を広げることは望ましくない、ということだ。
海洋王国は立地から国土を広げることが難しく、それに参加する場合せいぜい植民地化か属国を作ることになるが、その分手間も増える。
海を挟んだ先とはいえ、直近に港があるホアンの王国と違い、海洋王国と南西の帝国の間にはファポリス山脈が存在しているのだ。
海洋王国が植民地にするにしても、旨味の少ない場所なのである。
他国の利になるくらいなら現状維持で、というのは商人らしい抜け目のない考え方だった。
「……他国の行動に干渉する気か? 強欲な毛無し猿が」
「おっと、そいつァ侮辱だねェ。足並み揃えるための話し合いじゃねェのかい?」
ディナとアピの間で温度が冷えたところで、ホアンが口を挟んだ。
「お互いに国を預かる立場でしょうし、その辺りで。海洋王国は帝国侵攻に反対の立場を取る、ということでよろしいですか?」
「条件次第、ってェとこだねェ。さっきも言ったが、魔族に乗っ取られてる証拠もねェんだろう?」
アピはざらりと指先でアゴを撫でると、ニィ、と笑みを浮かべる。
「もしこれがただの侵略だってェなら、安定してる情勢をわざわざ崩す戦争をこっちから仕掛ける事にならァな」
「……ナメてんのかあのジジイ」
ボソリとリュウが横で不機嫌そうに吐き捨てるのに、クトーは軽く目を細めた。
「俺に任せると言っただろう?」
「チッ」
アピの……ひいてはラコフの目的など分かりきっている。
場を乱し、感情を逆なですることで自分の取り分を増やそうとしているのだ。
実際に魔族に乗っ取られているという情報の裏付けが取れていない、などということはあり得ない。
商会連合の手は南西の帝国や東の大国にも及んでおり、商人の命は情報速度なのである。
そんなことは当然分かっている、とでも言いたげに口を開いたのはミズガルズだった。
「そこを疑うのなら、手を引け」
ディナとは別の意味で率直な苛烈の王は、極寒の視線をアピではなくラコフに向けていた。
「真に自国の国益を考えるのなら、大局を見据える目を有していなければならない。品性下劣な死の商人はいらん」
ラコフはやんわりと微笑むと、黙って頭を下げた。
あくまでも民としての態度を崩さない彼に対して、ルシフェラが面白そうに口を挟む。
「ねぇ、リ。なんで人間って、ああやって妙なやり取りをするのかしらね?」
「業ゆえ。人とは些少の身なれば」
特にバカにしたような感情を込めた様子もなく、リ・ワンは袖から取り出した扇で口元を覆いながら爆弾を放り込んできた。
「ーーー朕は、竜の勇者と策謀の鬼神に選を委ねる」
ピン、と空気が張り詰め、全員の視線が一斉にこちらを向いた。
ーーー相変わらず策士だな。
深謀遠慮において、ラコフすら小さく見えるほどに帝は底が読めない。
東の大国とは『各人種の融和』を掲げて緩やかな連帯とともに版図を広げた国だ。
獣人領よりもはるかに巨大な国土と人種を有する連合でありながら、基本的には対話によって国を纏めているのである。
東の大国は並大抵の政治・外交手腕では、治めることすら難しい国だ。
北の王国と南西の帝国が、強固な中央集権と強大な軍事力を背景に領土を併呑していったのとちょうど対極である。
二国の王が武王と称されるのに対し、歴代の帝が文王、と呼ばれる理由だ。
話をこちらに振ってきたのは、リ・ワン自身の立場表明と同時にラコフやアピの側につく者を牽制するためだろう。
現状、ホアンとミズガルズ、巨人王ムーガーン、獣人総領ディナ、リ・ワンが賛成派。
海洋王国のアピと商会連合のラコフ、が心の底はともかく非戦派もしくは中立派である。
残りの小国の4王、ギルド総長ニブル、ドワーフ領長ヤムタ、人魚領長のダゴンに関しては意思表明をしていない。
が、4王とニブルはホアンと、ヤムタはミズガルズと、ダゴンはアピと、ルシフェラはリ・ワンと懇意であるため、それぞれに着くだろう。
これ以上話を長引かせず、かつ効果的な一言をリ・ワンは放ってきたのだ。
「益を求めることが可能なほどに、事態を長引かせるつもりはない」
クトーはその一言で、全員を制した。
ディナの目論見がもし、帝国への復讐や領土の拡大にあったとしても。
アピやラコフの目的が漁夫の利を確保することにあったとしても、関係ない。
正直に言えば、足並みを揃える理由そのものが『邪魔をさせない』という一点にあった。
「俺たちはこの件に関して、魔族の排除以外の目的を持っていない。どう動こうが干渉するつもりはないが……」
クトーは、ゆっくりとその場にいる面々の顔を見回して、続きを口にする。
「ーーー余分なことをすれば、レイドの矛先が自分に向く覚悟をしておくことだ」




