おっさんは、不用意な一言で悩まされるようです。【二巻書影】
それから、ほんの十数分。
クトーの予想通りに、ほぼ全員の各王国代表が現れて一堂に会した。
ーーー壮観だな。
心の中でそう思いながら、それぞれの顔を見回す。
すでに姿を見せているホアン、ミズガルズ、ムーガーンの三王。
九龍王国の東にある、小国連の四王。
それに加えて、亜人族の長らまでもが集結していた。
レイド以外の面々は、ホアンが南西の帝国に関する話し合いを行うために招集する予定だった者たちである。
獣人領にある幾つかの氏族長総括である竜人、ディナ・ソー。
巨人にも劣らない体躯と魚類に似た顔を持つ人魚領の長、ダゴン。
逆にレヴィ並みの身長ながら、はち切れんばかりの筋肉を持つドワーフ王、ヤムタ。
そして、もう一人。
―――彼を相手にするのなら、できれば事前の根回しをしたかったがな。
小さく口元を歪めたのを見とがめたのか、リュウがのんきな顔で問いかけてくる。
「珍しく難しい顔してんな。どうした?」
クトーは、メガネのチェーンをシャラリと鳴らしながら軽く目を向けた。
『厄介な相手も、きちんとこの場に招かれているようだ』
『あ〜……』
無音でボソリと言うと、リュウが軽く眉をしかめながら一つうなずく。
『俺も苦手なんだよな……』
クトーが注意を向けているのは、一人の老人だった。
港町オーツの向こうにある大島……海洋交易の要である場所に居を構える海洋王国の国王、アピである。
しかし問題なのは、その日焼けした精悍で老獪な王ではなく、横に笑みを浮かべて従者のように控える温和そうな老人のほうだ。
―――商会連合幹部議会長・大商人ラコフ。
国土なき帝国とも呼ばれる商会連合の中で、豪商ファフニールを含む幹部を束ねている男だ。
全商人の頂点に立つ彼の存在が、小国連とさほど国力の変わらない海洋王国が大国と対等に在れる理由だった。
そこで、ミズチが発言のそぶりを見せる。
リュウと二人で目を向けると、彼女は微笑みを崩さないまま、発声せずに言葉を紡いだ。
『アピ王とラコフ様は、若い頃から懇意ですからね。昔、商会連合本部を海洋王国に移したのも、彼の権限です』
『彼の方も準備は出来ていないだろうが、自由な発言を許せばこの場が良いように操られる可能性がある』
『どうなさるおつもりですか?』
水色の瞳には、真剣さの中にも面白がっていそうな光が浮かんでいた。
傍観者に徹することが決まっているからか、クトーがどう出るのかを面白がっている節があるようだ。
『どうもこうもないだろう。せめて中立を主張してくれれば良いが、非戦を主張する場合はやりあうことになる』
『完全に手を貸さないと言われると、軍備の調達に滞りが出ますね』
ミズチの懸念は分かっている。
商会連合が非戦派を主張した場合、海からの進軍、あるいは逆に武装や食料などの輸送が出来なくなる可能性以外にも、陸路まで押さえられる可能性があるのだ。
ラコフの主張が連合本部の議題に上がって承認されてしまうと、いかにファフニールといえども逆らうことは難しい。
もちろん、道が物理的に封鎖されるわけではない。
国内に敷かれた道そのものは、王国の所有物だ。
しかしその上を歩く商人には、ホアンとの取引の結果かの豪商の息がかかっている。
ファフニールの号令一つで物資の調達網が半分は麻痺するだろう。
『弱味に付け込まれても引ける局面ではないが……後は東の出方次第だな』
対抗手段になり得るのは、巨大な軍事力と国土を持つ東の大国を統べる帝王の立ち位置である。
彼が侵攻派であればいかにラコフといえど逆らい辛いだろう。
頭の後ろで手を組んだリュウは、こちらの会話に肩をすくめた。
『だが、穏便に済ませたいのは向こうも同じなんじゃねぇか? 言ったら儲け話だろ?』
『戦になる、という状況をどう判断するかだな』
対魔王戦で全世界の意思が統一されたのは、魔物が減り魔王の攻撃が止まることが人間の版図を広げることにつながったからだ。
人間同士の戦争は短期なら武器の提供で儲かるだろうが、長引けば国力を疲弊させる。
【ドラゴンズ・レイド】が先陣を切ることに関しては先日の遠方会議で伝えてあったが、電撃侵攻の詳細については伏せているのである。
どこに魔王の耳があるか分からないからだ。
『さすがに今回の事態で手を貸さねーってことはねぇと思うけどな……』
『漁夫の利、という言葉があってな。実際は侵攻派でも、最初に反対や中立のスタンスを取ることで、自分の取り分を大きくしようとする可能性はある』
最もうまく事が運んだ場合、対南西の帝国連合軍が組まれる可能性が高く、実際に各国が自国内に備蓄した食料などを輸送するにも人手がいる。
その際に物を運ぶのは、兵士以外であれば多くは商人だ。
『商会連合に所属している商人が彼に逆らうことは、生きる糧を奪われることに等しい』
ラコフが、手配をする自分のマージンを増やす交渉をする……火急の事態であればこそ、その可能性は0ではない。
空輸技術が翼竜に依存し、転移技術が失われている現在、海と陸の輸送手段を押さえている彼は、紛れもなく世界経済の覇者なのである。
しかしリュウは、好戦的な笑みを浮かべて反論してくる。
『……そこにいる『頭』を潰すだけなら簡単だろ?』
『お前はもう少し口を慎め。その結果、世界中を敵に回す可能性を考慮しなければ、の話だろう』
クトーは不用意な言葉を口にしたことをたしなめたが……少し遅かったようだ。
ーーー不意にラコフが、こちらに顔を向けたのである。
そして、にこやかなままに口元を動かした。
『そのように警戒されずとも、場を乱すような真似はいたしません。どうぞ、お気を楽に』
『……聞いておられたのですか、ラコフ御大』
『元々、その話術は隠の者たちが使っていたものを、我ら商人が密談のために買い上げ広めたものにございますれば』
彼はしわだらけの好々爺のような顔に茶目っ気を含んだ笑みを浮かべた後、隙のない所作で小さく頭を下げる。
『お久しぶりでございます、クトー様。先日お声は耳にいたしましたが』
『……お元気そうで何よりです』
クトーは強く眉根を寄せ、最大級の警戒とともに言葉を紡いだ。
ラコフが口にしたのは耳障りの良い言葉ではあるが、確実に裏がある。
商人というのは本当に油断できないのだ。
『嘘をつかずに相手を騙す』程度のことなど造作もない人間でなければ、そもそも商会連合の議会長に成り上がることなど不可能なのである。
顔を上げたラコフは、次にリュウを見遣った。
『リュウ様も、ご無沙汰しております。老骨の身ゆえ、殺気など向けられてはそのまま天に召されてしまいますゆえ、どうぞお手柔らかに……』
―――こちらが口を滑らすのを待って聞き耳を立てていたな。
言葉自体はごく普通の冗談に聞こえるが、これは『貸し一つ』と言われたに等しい。
商会連合のトップを殺す、などと、たとえ冗談でも口にさせるべきではなかった。
クトーがリーダーの自覚がない男を冷たく見ると、彼は目だけで謝意を見せつつ苦笑する。
しかしラコフはそんなこちらの様子を気にした風もなく話を変えた。
『先ほどのやり取りを、失礼ながら耳に挟みましたので、お聞きしたいのですが。東の大帝もお見えになるようですが……他にもどなたか、いらっしゃるご予定で?』
『ええ。私の予測が正しければ、ギルド総長は確実にこの場に来るでしょう』
先日、ホアンの主導で行われた遠方会議に参加していた面々の中で、この場にいないのは二人だけだ。
名前を伏せなかったのは、先ほどの非礼の詫びを含んでのことであり、同時に本題に入った時にそれを理由に忖度はしない、という意思表示だった。
ラコフは当然ながら悟っただろう。
『承りました。では、粛々と待つことにいたしましょう』
この老人は、誰に対しても丁寧な態度で接するが、それがこの老獪な人物の曲者たる所以だ。
誰に対してもその姿勢を崩さないため、その腰の低さに騙される者は多く、その内心を悟れない者は彼を侮り……そして足元をすくわれる。
ラコフは、国主相手にすら一歩も譲らないファフニールが唯一怯える相手なのである。
「……一緒に来るみたいですね」
会話が終わったのを見計らって、ミズチがポツリと呟く。
彼女の水色の瞳が、水面がたゆたうように揺れているのは、時の瞳で物を『視』ている時である。
「洞穴の中に四人。中で合流なさったようです」
「……ユグドリアもいるのか?」
ギルド総長ニブルの妻であり、護衛でもある世界樹の騎士の名をクトーが口にするとミズチはうなずいた。
「ユグドリアは夢見の洞窟のことを知ってるが……あいつ、帝に会ったことあるっけ?」
リュウが小さく首をかしげるので、クトーは過去の記憶を掘り起こしてみた。
「ニブルはあるはずだ。四人と言ったが、もう一人は?」
「……おそらく、鳥人族の女王です」
鳥人は、東の大国の中にある巨大な山に住まう亜人の一種である。
が、他の獣人たちと違い東の大国と永く親交があるため、他の種族と違い迫害や獣人領の成立などとは一切関わりがない。
クトーはアゴを指で挟み、状況を考えた。
「帝とたまたま出会い、身を案じて声をかけた、という辺りが妥当な線か」
「だと思います。……いらっしゃいました」
ミズチの言葉通り、最後の四人が洞穴の入り口から姿を見せた。




