おっさんは少女と素材の受け取りに向かう。
翌日。
クトーはレヴィと共に、素材を引き取るためにギルドに足を向けた。
検品用の大部屋が今日は盛況のようで、空きを待つ間にクトーはミズチを呼び出す。
しばらく待っていると、普段から見慣れた格好をした彼女が奥から現れて、こちらへ手を振った。
「クトーさん。どうされました?」
ミズチはギルド職員の制服姿で、先日は結い上げていた紺色の長い髪を三つ編みにしてサイドに垂らしている。
制服を押し上げている胸元に、本のように綴じてある分厚い書類を抱えていた。
「今日はキモノじゃないのか?」
「ええ。あれは外へ出かける予定があって身につけていたので。流石にあの格好で仕事は疲れますから」
「華やかだったがな」
可愛らしい、と口に出すにはミズチは女性として成熟している。
年相応の表現をしなければ失礼だ、というくらいの分別はクトーにもあるのだ。
ミズチは、微笑んだまま軽く目尻を下げた。
「あら、なら常に身につけていましょうか?」
「仕事の効率が落ちるならやめておけ」
「そう言うと思いました」
ミズチは茶目っ気のある動きで肩をすくめて、髪と同じ色の瞳をくるりと回した。
それから、どこか面白くなさそうな顔をしているレヴィに軽く頭を下げる。
「初めまして。先日はご挨拶が出来なくてごめんなさいね」
「え? あ、いえ。……その、はじめまし、て?」
自分が声を掛けられると思っていなかったのか、レヴィは少し遅れて挨拶を返した。
普段のクトーに対する強気はどこへ行ったのかという位に、大人しい仕草でぴょこんと頭を下げる。
ミズチが、レヴィが頭を下げている間にチラリとこちらを見た。
どうやらレヴィと少し喋りたいらしい、と察したクトーは、旅杖に両手を乗せながらうなずきかける。
「記録を見せて貰いました。狩ったフライングワームは貴女の装備になるんですね」
「えっと……いけませんか?」
ミズチが現れた時の様子から、食ってかかるかと思ったレヴィは、なぜか毒気を抜かれたような顔で指先を体の前でこすり合せる。
何度か見たことのあるそのクセは、どうやら緊張している時のサインのようだ、とクトーは頭の中のレヴィメモに書き加えた。
「いけない事はないですよ。レヴィさんのランクで使うにはすごく良い素材ですから、あんな場所にいたのは幸運でしたね」
片目を閉じるミズチは親しげで、レヴィは少しホッとしたような顔をする。
「はい、ありがとうございます」
「ミズチに対しては素直だな、レヴィ」
クトーに対しては、何でか指導するたびに反発してくるのだが。
どことなく納得がいかないでいると、レヴィとミズチが口々に言った。
「だって、ミズチさんはギルドの人なんでしょ? あなたに対してと同じ態度じゃ失礼だし」
「あら、クトーさんに対しては親しいのですね?」
その反応を見て、ミズチがクスクスと笑うのに、レヴィは居心地が悪そうに身じろぎした。
「……だって、その、クトーは凄く変な奴ですから」
「そうですね、否定は出来ません」
「俺は普通だ」
「「それはない(です)」」
口を挟むと、2人が声を揃えた。
しかし今重要なのはクトー自身の事ではない、と思いながら話題を変える。
「ミズチ。魔物の記録を見たなら、レヴィの交戦記録も見たか?」
「ええ」
「どう思った」
「素質はありそうですね」
「もう一度『視て』くれ」
クトーが要請すると、ミズチは目を丸くした。
「良いのですか?」
「ああ」
彼女の目は、特別だ。
ミズチは水を扱うのに長けたソーサラーだが、『女神の目』と呼ばれる特別な魔法を扱う瞳の持ち主なのだ。
ただの遠隔魔法や時空魔法と違うのは、その確実性だ。
現在・過去・未来の事象を見通すその力は決して万能ではなく、酷使すればやがて物を見る事すら出来なくなる失う諸刃の剣。
その目の力を悪用しようと狙う者に襲われていたのを助けたのが、クトーと彼女の出会いだった。
クトーは、無声音で伝えた。
『仲間になるかも知れんから、なるべく上手く育てたい。視るのは、昨日の夕方に起こった戦闘と、街へ入る前の一日に起こったラージフットやフライングワームとの戦闘だけでいい』
『視る』範囲が広くなり、あるいは過去や未来へ遠くなれば、その分だけ目に負担が掛かる。
だが、クトーはレヴィの心根を疑ってはいない。
複数の目で彼女の適性を判断する事で、より良い指導を行おうとしているだけだ。
仲間、とミズチはつぶやき、面白そうにレヴィを見た。
手元につづった書類を開きながら、軽く目を細める。
その瞳が水面のようにゆらりと揺れ、彼女の体から放たれた魔力の波動をクトーは感じた。
それからすぐに目を書類に落として、内容を眺めるフリをした後にミズチは応える。
「これはこれは。……そうですね。近接よりは遊撃向きでしょうか」
彼女の判断は、クトーと同じだった。
だが、そちらの訓練に寄せるにはネックな要素がある。
「本人が嫌がっている」
「そのようですね」
ブレイクウィンドの時の状況を視たからだろう、ミズチは微笑みから表情を変えずにうなずき、抱え直した書類にアゴを添えた。
「適性とやる気を秤にかけるなら、この場合はやる気を取る方が良いですね。投擲の適性に比べれば劣る、いうだけで、身体能力的には十分に及第点かと。流石にクトーさんが見込むだけあります」
「出会ったのは偶然だがな」
そもそもレヴィがついて来なければ、彼女が借金をする事もなく、クサッツに連れてくる事もなかっただろう。
素質のある者たちに出会うたびに思うが、縁とはほんのちょっとした偶然による繋がりなのだ。
その繋がりを活かせるかどうかは、お互いの運と選択に掛かっている。
レヴィは、クトー達のやり取りが自分に関する事だからか、少し落ち着かない様子でクトーとレヴィを交互に見る。
「……あのさ、記録見ただけで、そこまで分かるの?」
「ミズチは、お前とは別の意味で目が良い。人を見る目が確かなんだ」
「買い被りですね。人より少しだけ、過去視と遠見が得意なだけですよ」
ミズチがやんわりと言い、クトーに手元の書類を差し出した。
「どうぞ」
「これは?」
「レヴィさんの記録と、お泊まりの旅館の経営状況と、この街の物流に関する資料です」
その言葉に、クトーは驚いて思わず問い返した。
「魔法を使った覗き見は、許可がない限りは禁じているはずだが」
「これに関しては、ただの予測です」
悪戯に成功した顔で、ミズチが舌を出した。
「もちろん、クトーさんがこれを取りに来る根拠があります。わざとこの街のギルド職員が客を回さないようにしていた旅館への斡旋を、レヴィさんを担当した者に耳打ちしたのは私ですから」
「……何故、俺が高級旅館に泊まると思った」
「クトーさんには一流のものが似合いますから」
書類を差し出した姿勢のまま、ミズチがにっこりと笑みを浮かべる。
「冗談はともかく、わざわざ低ランク依頼を受けて人を育てるくらいだから、クトーさんは彼女に最初から基礎を叩き込むつもりだったと思いました」
「それで?」
「だから、自分が受けた指導を思い出しただけです。色んな事に触れさせてくれたでしょう。休暇だからといって一人なら贅沢をしないでしょうけど、普通は覚えられない食事作法や料理なんかを知るのには、ここは打って付けの街ですしね。投資として、数日くらいは最高級のものに触れさせるだろうと思ったのです」
旅館代が折半という部分だけが予測から外れているが、概要は合っている。
「相変わらず恐ろしい洞察力だな」
「ありがとうございます。でも、高級旅館で着ぐるみ毛布を着る方ほどの度胸はありません」
「やっぱり視たんじゃないのか?」
「クトーさんは、どこに行ってもクトーさんですから」
自分が読む分にはともかく、人に行動を読まれて良い気はしないな、と思いながら、クトーは書類を受け取った。
「まだ質問がある。俺が旅館に泊まったとして、経営状況を調べると思った理由は?」
「内緒です」
「あいつ絡みか」
「どうでしょう? ……ただ、ギルドの中にもネズミが1匹」
目に一瞬だけ冷たさを滲ませて、ミズチが小さく言う。
「手広いな。どうやって潜り込ませたかは?」
「そこまではまだ。経歴は調べましたけれど、不審な点はないですね。目を使う許可をいただければ、すぐにでも暴きますけど」
「あまり一日の内に多用するな」
今日は、先ほどレヴィを視たばかりだ。
「使う方が手っ取り早いのですもの」
「お前の体を気遣っている」
「嬉しいですね」
ミズチがのんびりと言って、クトーは溜息を吐いた。
「大した事がない相手なんだろう?」
「ええ。潜り込ませた手口についてもすぐに分かると思います。……では、情報料と調査費用を」
彼女の口にした金額に、クトーは思わず眉をひそめた。
「少し高いんじゃないのか?」
「目を使わずに調べる手間賃が上乗せされているので」
クトーは溜息を吐いた。
「一日一回程度なら、心配する必要はないんですよ? クトーさんも、少しは私を信用して下さい」
「……そう言っていつも無茶をするから、わざわざ禁じているんだ」
クトーは、言われた通りの金額をミズチに対して支払った。
少し残念そうな顔をするが、なんと言われようと使わないに越したことはない。
長期的に利益がある、あるいは火急の事態でない限り、彼女に無理をさせないのは【ドラゴンズ・レイド】の総意なのだ。
「ネズミに関しては急ぎはしない。使うなよ」
「仕方がありませんね。ああ、もう一つ。もし旅館や他の場所で、不審な人物と顔を合わせたらお気をつけを」
「不審な相手には普通に気をつけるが」
彼女がわざわざ忠告するという事は『不審な人物』が特定の誰かを指しているのではないか、と感じた。
しかし詳細を言わないのは、彼女の表情と合わせて危険がなさそうだ、という判断から、クトーは大体の理由を察した。
「もう一つだけ要件があるんだが」
「なんなりと」
「この街に滞在している冒険者に対する記録を見せてもらう事は?」
「ギルド総長と幹部連か、あるいは国からの許可を貰って下さいね。外部への冒険者情報の提供は、許可がなければ義務違反です。知っているでしょう?」
アテにはしていなかったが、やはり無理なようだ。
この街にいるテイマーの記録を見ればすぐに相手が特定出来るが、今はそこまで事を大きくする必要を感じなかった。
犯罪絡みの気配がするので本気で頼めば許可は下りるだろうが、それは最終手段だ。
話がひと段落したところで、大部屋の前に立った管理係から名前を呼ばれる。
「行くぞ、レヴィ」
「うん」
「クトーさんに学ぶのは得難い機会ですよ、レヴィさん。存分に学んで下さい」
「……それは、なんとなく分かってます」
「後……」
ミズチが答えた彼女の耳元でボソボソと何かをささやくと、レヴィが顔を強張らせる。
「え、あの、私はそんな……」
「ライバルのようなので、フェアに行かないと。一緒にいられて羨ましいです」
そんな少女に、ミズチはクスクスと笑った。
「何の話だ?」
「いえ、何も。レヴィさん、それでは」
「あ、はい」
煙に巻かれた気がするが、ミズチはさっさと行ってしまう。
レヴィがなぜかちょっと赤くなっていて、一人で首を横に振った。
「そんなんじゃないのに……」
彼女のつぶやきの意味は分からなかったが、再び管理係から名前を呼ばれる。
クトーは、夜に見ようと思いながらカバン玉に書類を仕舞いつつ、大部屋へと足を向けた。




