閑話:クトーさんの日常その②
お待たせしております。しばらく再開の予定です。
「泥棒だ!」
市場にある店の一つで声が上がり、クトーは後ろを振り向いた。
「泥棒?」
「獣人のようだな」
クトーは犯人の姿を見て取った。
駆け抜けてくる狼の頭を持った青年を、多くの人々は驚きや恐怖の悲鳴とともに避けている。
「珍しいな」
獣人種は、クトーたちが住む王国と南西の帝国の間にある獣人領に住まう種族である。
非常に力が強く、戦闘に長けた者が多い。
しかしそもそも獣人は、あまり獣人領以外で見かけることがない。
理由としては、かつて亜人種は魔物と区別されておらず人族と争っていた歴史があり、また獣人族そのものが同族との結束を大事にしているからだ。
今では獣人領とも貿易や交流があるが、獣人たちの方があまり外に出たがらないのである。
「今度開催される祭りに合わせて出てきた……ようには見えんな」
「のんきにしてていいの? こっち来るけど」
「ぷにぃ」
結局、むーちゃんがカバンから出たがらなかったので、両手に荷物を抱えているレヴィが聞いてくるが、そう言う彼女のほうがよほどのんきな口調だ。
「ふむ。とりあえず捕まえるか」
こちらに向かってきた獣人を軽く避けたクトーは、横を駆け抜けようとした青年の足を引っ掛けた。
「ガウッ!?」
「そのまま寝ていろ」
狼の青年は身体能力の高さを生かしてバランスを取ろうとしたが、同時にレヴィも反対側でクトーと同じ行動を取っていた。
「あ」
さすがに奪ったパンを抱えて両足を引っ掛けられれば、いかに獣人と言えどどうしようもない。
ズベシャァ! と顔面から石畳に突っ込んで転がった泥棒の背中を、クトーは軽く足で踏みつけて動きを制した。
「ゴギャ!?」
「力では抜けれんぞ」
足を跳ね飛ばそうとした獣人に、クトーは告げた。
背中の一点を的確に押さえると、重心の問題で足掻くことしかできなくなるのだ。
「ガァアゥ!」
獣人は、首を曲げてクトーを睨みつけながら威嚇した。
口のはしから泡を飛ばすその様子に、クトーは不審さを覚える。
「……興奮しているのか?」
獣人は言葉を話せる。
だが目の前の彼は、どうも興奮して吠え猛るだけで罵詈雑言の類いすら口にしなかった。
「ああ、あんた! ありがとう!」
追いかけてきたパン屋の店主らしい男が、顔を真っ赤にして汗を拭きながら礼を述べる。
「いや、特に大したことはしていないが」
暴れられても危ないので踏みつけたままクトーが返事をすると、店主は獣人の顔を蹴ろうとした。
「この獣人め! ふざけやがって!」
「おっと。犯罪者だけど僕の目の前でそれはやめてほしいな」
だが店主をクトーを制する前に、後ろから肩を掴んだ人物が現れる。
「なんだおま……て、憲兵さんですか!」
「ブルームさん」
舌打ちした店主が振り向いて青ざめ、レヴィが相手の名前を呼んだ。
ブルームは、この辺りの憲兵のまとめである分隊長を務めている男で、以前魔王の手駒にされたローラという少女の事件でレヴィと関わりが深くなった相手だ。
「たまたまクトーさんがいてよかったっすね。ほら、商売品が無事だったんだから、それで納得してくださいね」
ブルームは若いが、負けん気が強く腕前もそれなりに優れている。
しかし普段の物腰は非常に柔らかく、礼節を忘れない青年だった。
地面に転がったパンの砂を払うと、ブルームは少し考えて腰の後ろに手を回した。
「って言ってもこれじゃ売れないだろうし、僕が買い上げよう」
彼が硬貨を店主に渡すと、店主は恐縮しながら去っていく。
クトーはそれを見送ってから野次馬を散らしたブルームに声をかけた。
「ずいぶん親切じゃないか」
「ゴネられても困るんですよね、この件については。最近多発してるんで」
「多発? 獣人による窃盗被害が、か?」
「いえ。獣人関係のトラブル全般ですね。盗みに関してはさほどでもないんですが」
ここ半月ほどでずいぶんと増えている、と口にしたブルームは、そこで意味ありげに目配せした。
どうも往来で話せるようなことではない事態が起こっているようだ。
「話は聞けるのか?」
「ってクトー。あなたまたなの!?」
「何がだ?」
「自分で仕事抱え込みに行くのやめなさいよ! 今忙しいんでしょ!?」
「そうでもないが」
昼食の準備にレヴィの引越し、それに夜に会合があるくらいのものだ。
「今から夕刻まではそこそこ時間があるぞ」
首をかしげるクトーに、レヴィはぐい、と肩のあたりを引っ張って小さな声で言った。
「……そんな短時間で解決する案件じゃなかったらどうするのよ!」
「話を聞くだけだ」
「その聞くだけ、が、クトーの場合は聞くだけで済まないでしょ!?」
「いやー、話してもいいんですか? そろそろギルドの方にも言わなきゃいけないかと思ってたので助かりますね!」
レヴィが何を言っているかは聞こえなかったはずだが、ブルームが快活な笑顔で口を挟んできた。
「ちょっとブルームさん! 今、どういう状況か知ってるでしょ!?」
何を焦っているのか分からないが、レヴィが今度は憲兵長である彼に噛み付く。
しかしブルームは全く堪えていない様子で、満面の笑みを浮かべた。
「知ってるよ。だから早急に問題を解決したいと思っている。懸念を後々に残しておくわけにはいかないしね」
「……会合に関係のある案件か」
「あるかもしれないし、ないかもしれないですね。でも、耳に挟む価値はあるかなって」
すっとぼけた表情で軽く両手を広げたブルームに、レヴィが歯ぎしりする。
「くぅ、ズルい! そういう言い方したら!」
「いいだろう。話を聞こう」
「ほらぁ! こうなるでしょ!」
「……本当に、何をそんなに嫌がっているんだ?」
「ぷにぃ?」
一人じだんだ踏んで騒がしいレヴィに、クトーはむーちゃんと顔を見合わせて首を傾げた後、ブルームに言った。
「とりあえず食材を購入して食事にする。この獣人を引っ立てた後に、俺の自宅まで来てくれるか?」
「喜んで。ついでに食事のご相伴にあずかれたりしますかね?」
「材料費は出せ」
「それくらいなら喜んで。クトーさんの飯、美味いんで!」
現れた憲兵とともに獣人を拘束し、上機嫌で去っていくブルームの背中をレヴィが射殺しそうな目で見送った。
「あの腹黒憲兵……!」
「なんだ、ブルームと喧嘩でもしたのか?」
「違うわよ! あなたまんまとハメられたのに気づいてないの!? あのタイミングで出てきたってことは、アイツ絶対この状況見てたわよ!」
「そうなのか?」
「アイツ、人畜無害な顔して打算まみれで強引なのよ! 絶対クトーが関わるまで放っといたんだわ!」
クトーは顎を指で挟んで思案した。
「それで民衆に被害が出たなら問題だが、結果として誰も損していないだろう?」
「あ・な・た・が! してるのよ! それに私も!」
「どんな損をした?」
ビシィ! とレヴィが指を突きつけてくるが、ブルームがクトーをハメて害そうとすることは考えられない。
単に話がてら食事を一緒にとるだけだ。
「タダで事件を手伝わされるかもしれないでしょ!?」
「そんなことにはならん」
少なくとも、無償で憲兵の依頼を受けたことなどクトーにはなかった。
「そもそも、人助けをするのに理由はいらんだろう」
「アイツはあなたがそう言うのまで分かってて、ああいう言い方をしたのよ!」
「何が問題なんだ? 誰も傷つかんのならそれでいいだろう。行くぞ」
クトーは会話を打ち切って、自宅に向かって歩き出した。
その後ろで、レヴィがまだぶちぶちと何か文句を言っている。
「……せっかく最後の二人きりの食事なのに……」
「なんだ?」
「なんでもないわよ! この仕事バカ!」




