おっさんは少女と魔物襲撃の真相を探る。
「少し話を聞く気はあるか?」
クトーは、レヴィに対して引っかかっていた話を切り出した。
一緒に風呂へ向かったが、クトーよりも彼女の方が長湯だったので先に戻って考えていたのだ。
「何?」
「先ほど、女将が狙われた理由について考えていたんだが」
レヴィは、チラリととっくりとオチョコを見てから、こちらに目を戻す。
「お酒飲みながら大事な話?」
「中身は茶だ」
このオチョコという、少しずつ飲み物を味わう事が出来る器がクトーは気に入っていた。
なので、わざわざ冷やした茶をとっくりに入れて貰ったのだ。
頼んだナカイも今のレヴィと同じような微妙な顔をしていたが、そんなにおかしいだろうか。
全身を何度も見られたので、着ぐるみ毛布に対する反応かと思っていたのだが。
「お前も飲むか?」
「……別にいい」
オチョコを差し出すと、レヴィは複雑そうな顔をしながら少しだけ耳を赤くした。
まぁ、すでに口を付けたものだしな、とクトーは大人しく引き下がる。
この器を両手で持って、ちょっとだけ茶を飲むレヴィも可愛いと思うのだが。
「魔物が人を襲う理由は、いくつかある」
クトーは意識を切り替えて、話を本題に戻した。
「例えば縄張りを荒らしたり、餌がなくて迷い出て来たり、あるいは知性の高いモノならば快楽の為に狩りをしたりもする」
もっとも、人里を襲うような好戦的な魔物や、人よりも知性の高い魔族などは最近めっきり数が減っている。
潜伏しているのか、実際に数そのものが減っているのかは分からないが。
オーツの辺りに出現したBランクの魔獣のように、縄張りを持たない強い魔物などは今でも人里の近くに来る事があった。
しかし街を襲わないのなら、情報が出回りはしても緊急で討伐対象になる事はあまりない。
下手につつくと藪蛇になる恐れがあるからだ。
警戒は当然するものの、大体は何事もなく通り過ぎていく。
そうした事を説明してから、クトーはクシナダの話に触れた。
「あのブレイクウィンドは、女将だけを狙っているように見えた。なぜだと思う?」
「さぁ。あなたみたいに女好きなんじゃないの?」
あまり真面目に聞いていないようなレヴィの返答に、クトーは目を細めた。
「ふざけているのか?」
「だって分かんないもの」
「少しは考えろ」
レヴィは、苦手なんだけどなぁ、と考えている事がありありと分かる顔をした。
そしてぶつぶつと何かつぶやいてから、クトーに答えを投げ返す。
「えーと、お腹が空いてたから、とか?」
「もしそうなら無差別に襲っただろう。他にも人はいた」
「じゃあ、あの魔物の縄張りだったとか」
「山道にそういうものが出たことはないと、女将は言っていただろう」
レヴィはクトーの言った事を繰り返しているだけだ。
本当に考える気がないのかと思えてくるが、それでもレヴィは自分なりに答えをひねり出した。
「うーん……あ、個人的に恨みがあったとか。ほら、ゴミ漁りしてて女将に追い払われたとかさ」
「そんなただの獣のような理由が、本当に魔物にあると思うのか?」
街中にあんな巨大な魔物が出たら、それこそ即座に始末される。
大騒ぎになり、ギルドから人が吹っ飛んで来るだろう。
ギルドには、必ずBランク以上の冒険者上がりが一人は常駐しているのだ。
大体はギルド長をやっていたりする。
「だから、分からないって言ってるのに」
ぶぅ、と膨れるレヴィに、クトーはため息を吐いた。
分かる分からないではなく、その理由を考える過程が大切だと言っているのだが、どうもレヴィはそういう考えを持つ段階にはないようだ。
クトーは尋ね方を変える事にした。
「個人的な恨み、という考え方そのものは悪くないんだがな」
「そうなの?」
少し肯定してヒントを出すと、レヴィは嬉しそうな顔をする。
褒めすぎると調子に乗るが、否定ばかりだと拗ねる。
中々、レヴィの相手はさじ加減が難しいのだ。
クトーはテーブルを、指先でトントン、と叩いた。
「仮に魔物が、個人的に女将を恨んでいたとしよう。だが知性の低い魔物が恨みを持った場合、もっと彼女を執拗に狙うはずだ」
街から離れたところまでクシナダが出て行くのを、わざわざ待ったりはしない。
それこそ旅館の庭先に出ただけでも、見つかれば襲われるくらいの攻撃行動があったはずだ。
しかし彼女は、あの魔物自体を見た事がない様子だった。
「魔物に恨まれるような事を、女将がやってないって事?」
「恨まれて、という可能性は低いだろうな。彼女は街暮らしで、しかも旅館というのは忙しいものだ。魔物の恨みを買うような真似を彼女がどこでする?」
「んーと……」
レヴィは、腕を組んで首を傾げた。
袖が肘の辺りまで下がり、褐色の細く滑らかな腕が覗く。
本人は意識していないだろうが、考えている時に上目遣いのままゆらゆらと首を左右にかしげ、唇を尖らせる様子はとても可愛らしい。
眼福に浸りながらクトーが返事を待っていると、レヴィは自信なさげに考えを口にした。
「私、女将が何かしたんじゃなくて、魔物の方が自分から、理由があって来た、くらいしか……思いつかないんだけど……」
「それでいい」
「え?」
情報が足りていないのだから、彼女が正解にたどり着けなくても問題はない。
レヴィは、本質に近い事を言い当てた。
ヒントは与えたが、及第点だろう。
「女将側の理由が薄いと感じるなら、やはり魔物側に理由がある、と考えるのは合理的だからな」
「そ、そう?」
腕組みをほどき、レヴィは照れたように髪留めの辺りに手を持って行った。
今くらいの発想をする程度でも、実際、頭の固い人間には難しいのだ。
クトー自身は、経験則と知識から答えを導き出しているに過ぎない。
「では、次に移ろう。魔物単体では彼女を狙う理由がある可能性は薄いが、一つ要素を加えると魔物側の理由が明確になる。……世の中には魔物を飼いならすクラスが存在する。知っているか?」
「魔物を?」
「そうだ。お前もテイムされた魔物種自体は知っているはずだが」
レヴィは、魔物魔物、とまたブツブツ言っていたが、やがて閃いたようだった。
「あー……ワイバーンって、ドラゴンよね?」
「そう。あれも魔物の一種だ。竜を馴らすには相応の時間と練度が必要だがな。仮に冒険者ならそれが出来るのは、魔物使いと呼ばれるクラスの者達だ」
スカウトやソルジャー、ソーサラーなどと違い一般的ではないので、彼女が知らなくとも無理はない。
「テイマーは小さな鳥型や四足獣型を捕獲して自分の代わりに戦わせたり、足に使う。ユニコーンやペガサス、ダークタイガーなどの魔物も、ワイバーンと同じ程度には有名だな」
レヴィはクトーの説明に、今回の件でこちらが疑っている事を理解したようだ。
「つまり、女将を狙ったのはそういうテイマーだった、って事?」
「状況からして、一番可能性が高いだろうと俺は見ている。確定とするには裏付けが足りないが」
魔物をテイムする事に関しては特殊な才覚が必要なので、見つかればすぐに国に抱えられたりする。
その為、テイマーとして野にいる者は数自体が少ない。
また魔物を街中に入れるのを拒否するところも多いため、外壁の外に繫ぎ止める事を言い付けられたりなど、街中で過ごしていたら馴らされた魔物を見かける事もあまりないのだ。
「他にも、クシナダがあの魔物が好む香料などをたまたま身につけていた可能性もあるが、彼女から特別な香りはしなかったしな」
特別な香りというのは、モンステラムスク、と呼ばれる香料だ。
テイマーや特定の魔物狩りをする冒険者御用達の、魔物寄せに使う特殊な香水をそう呼ぶ。
稀に人が付ける香水に使う素材と誤って使用されてしまう事もあるのだが、クトーは香料を扱う業者に嗅ぎ分け方を教わった事があった。
レヴィの機嫌が、それを口にした途端に一気に悪くなる。
「女将の匂いを、これ幸いと抱き寄せて嗅いでた訳ね。変態」
「五感で感じられる事を常に気にするのは、冒険者にとって死活問題だ」
自分が洞穴の魔物の臭気を気にしなかったせいで不意打ちを食らったのを、もう忘れたのだろうか。
クトーは人差し指と中指を立て、ハサミのように何度か合わせた。
「あの魔物がテイムされたものと仮定した場合、もう一つ引っかかる事との関連性が疑える」
「……話、逸らそうとしてる?」
「こっちが本題だ。もし女将が狙われたのがテイマーによる襲撃だった場合、この旅館に客が俺たちしかいないのが、一気に作為的な状況に思えてこないか」
レヴィは腕組みを解いて、首をかしげた。
「お客が少ないのは、単に宿代が高いからじゃないの?」
「対価が高いというのはその分、泊まり客に手厚い、という事だ。食事にしても一級品で、温泉も従業員にも不満な部分は感じられない。対価に見合うだけの経営をしているにも関わらず、客がいないんだ」
そもそも高ければ客が来ないなら、この旅館は老舗と呼ばれるほどに長く経営し続ける事は出来なかったはずだ。
女将は確かに若いから、客からの信用という面では不安はあるだろう。
しかしこういう場所を利用するのは常連が多く、夕方出入りを眺めていたが、外から湯代だけ支払って温泉に浸かりに来る者たちの数はそれなりにいるようだ。
だが、泊まりの客は少ない。
湯代の利益だけでは、旅館経営は賄えないだろう。
「何か、客がいない理由があるはずだ。それを探る」
「女将に聞いてみる?」
「いいや。それは裏付けを取った後の方がいい」
旅館の経営者が、客に尋ねられて経営状況をペラペラ喋る訳がない。
一度命を助けたのだから、それと関連づけて旅館の話題に触れるのが一番手っ取り早い。
「でもさ、裏付けとって話を聞いてどうするの?」
「作為がある事ならば、誰が旅館の経営妨害を行なっているのかを見つけて捕まえれば良いだろう。経営が破綻しかけているのなら、それを立て直す手助けもする」
「何で?」
訊かれてクトーはアゴに手を当て、彼女の質問の意味を考えた。
「レヴィ」
「何?」
「よく分からないんだが、困っている者を助けるのに、何か理由がいるのか?」
質問を返すと、レヴィはぽかんと口を半開きにした。
なぜ惚けているのか、と思いながらクトーは言葉を重ねる。
「損もしないぞ。もしこれが依頼にならなくとも、裏付けのために使う情報料だけ取り戻せばプラスマイナスは0だ。そして使う時間は、休暇中だからどう使おうと問題ない。逆にこれが依頼になれば報酬があり、達成報酬を歩合にすれば旅館経営を盛り返した分だけ報酬が増える」
さらに、困っている者が世の中から一人でも多く減る。
これほどまでにメリットしかない状況で、何を疑問に思う必要があるのか。
「やりたくないなら、無理にとは言わないが」
ただ、最低でも2、3日は1人で動く事になるので、彼女の訓練が中断する。
損をするのはレヴィだけだ。
だが彼女は目をまたたかせると、首を横に振った。
「ううん。私も付き合う」
視線を伏せてぼそりと言うから、何か気分が沈む話だったか? と思ったが、レヴィの口元は笑っていた。
「そうね。困ってる人を助けるのに、理由はいらないわね」
「ああ」
何故かその後、レヴィは今日一番機嫌が良さそうだった。




