閑話:クトーさんの日常その①
「む」
昼食を作ろうと自宅のキッチンに立ったクトーは、鼻の頭にシワを寄せた。
「どうしたの?」
「ぷにぃ?」
声を聞きつけたのか、レヴィが入り口からひょいと顔を覗かせる。
むーちゃんも肩の上で同じ仕草をしており、非常に可愛らしいことこの上ない。
「食材がない」
クトーが、むーちゃんの姿を模した大きな刺繍をほどこしたエプロンを解きながら伝えると、レヴィは目をパチクリさせた。
「珍しいわね」
「最近ヒマがなかったからな」
冒険用に常備してある食材は、別のカバン玉に入っている。
しかしそれに手をつけてしまって、もし緊急に外に出る必要が出てきた時に困る。
今日は休日であり、夕方の市場に間に合えば問題はないのだが、自分がそれを好まない性格であることくらいは把握していた。
夕方まで落ち着かない気分で過ごすくらいならば、少し昼食が遅れても今買いに行った方がいい。
「荷造りは終わったのか?」
「うん。別に散らかしてたわけじゃないもの」
エプロンをきちんと畳んでクトーが問いかけると、レヴィは当たり前のようにうなずいた。
彼女は今日、自分の借りている部屋に戻ることが決まっている。
王都を直接狙う魔王の脅威が去り、また対帝国の事前準備が必要になったことを受けて、ニブルがA級冒険者クラスの暗部を動かす準備を整えたのだ。
むーちゃんの正体はわかり、子竜自体に危険はないと判断されたが希少な存在であることに変わりはない。
また【ドラゴンズ・レイド】はS級冒険者の集まりであるため、王都内でレヴィの護衛で遊ばせておきたくないという支配層の意向もあった。
「それにしてはダラダラとしていたようだが」
クトーは開け放った窓から、中天に差しかかろうとしている太陽を見上げる。
「昼食が狙いか」
「バレた? だってクトーのご飯美味しいんだもの」
八重歯をのぞかせて、えへへ、と浮かべた笑顔は好ましいが、理由もないのにタダ飯を食わせてやる必要はもうない。
「食べたいのなら、交換条件だ。買い出しを手伝え」
「いいけど、今から?」
目をパチクリとさせたレヴィに、クトーはさらに言葉を重ねる。
「そうだ。トゥス顔カバンを背負ってな」
「えー……カバン玉があるのに?」
「交換条件だと言っただろう。嫌なら昼食はなしだ」
少し顔をしかめたレヴィだが、少し唸ってから食欲に負けたのか、小さくうなずいた。
「分かったわよ……」
そうしてカバン玉からトゥス顔カバンを取り出してゴソゴソと中身を取り出し始めたのは、少しでも食材が多めに入るようにだろう。
が。
ーーーカバン玉の中に中身の入ったカバンを入れておく意味とは?
空のカバンならまだ分からないでもないが、とクトーはアゴに指を添える。
どうせ中身を入れておくのなら、そもそも普段から背負っていればクトーとしても嬉しい上に、普段使いにも適したサイズに作ってある。
意図を読めずに質問しようか迷っている間にレヴィが中身を出し終え、改めてカバン玉の中に入れ始めた。
その隙に、彼女の肩から降りたむーちゃんがスルリと空のトゥス顔カバンに潜り込む。
「ぷにぃ♪」
「あ、ちょっとむーちゃん!?」
カバンの中でゴソゴソし始めたむーちゃんに、レヴィが声を上げた。
「ぷに?」
「そこはダメよ、毛だらけになるし、今から食材を……」
というレヴィの注意が、むーちゃんがぴょこん、とカバンから顔だけ覗かせた時点で途絶える。
「むぅ……これは……!!」
クトーは思わず、むーちゃんを見て呻いた。
二頭身の愛くるしい顔が、中に入られて丸く膨らんだトゥス顔カバンの上から覗いているその様は、可愛らしさの二乗である。
「くっ……これは反則ね……!!」
レヴィもあまりの愛くるしさに戦慄したようで、出てこい、という一言が喉でつっかえているようだ。
「……どうする?」
クトーが問いかけると、レヴィはしばらく迷ってから決断を下した。
「……このまま連れて行きましょうか。むーちゃんも気に入ってるみたいだし。行きの間だけでも」
「そうだな」
彼女の言葉に即座にクトーがうなずくと、レヴィはそのままトゥス顔カバンを背負った。
小柄なレヴィがそれを背負って三乗になった愛らしさに、クトーはしばし目を閉じて幸せを噛みしめる。
「これは良いものだ……あとはお前がウサ耳型の着ぐるみ毛布を着れば完璧なんだが……」
「着ないわよ!?」
「むぅ」
半眼のレヴィに即座に拒否されて、クトーは軽く肩を落とした。
非常に残念だが、これ以上交渉している時間はなかった。
市場が昼休憩に入ってしまうからだ。
「仕方がない、妥協しよう」
銀縁メガネのチェーンをシャラリと鳴らしながら、クトーは一つうなずいた。
今のままでも十分に愛らしいのである。
クトーは眼福なレヴィとむーちゃんの姿に心を浮つかせながら、連れ立って家を出た。




