おっさんは少女の弱点を知る。
現れたスライムに対してクトーが一歩後退すると、レヴィがダガーを引き抜いて横に来た。
「倒せばいいのね?」
「ああ。試験のつもりで臨め」
冒険者には依頼をこなす他にも、アルファベットランクをCランクに上げる為の試験や、クラスによってランク数字を上げるための様々な試験が存在する。
試験とは、元来その資格に見合う練度に自身が到達しているかを確かめるためのものであって、ただ合格すれば何でもいいというものではない。
特に冒険者の試験に関しては、賄賂などで資格を受け取る奴は初心者の頃から何も変わっていない、程度の低い人物だ。
冒険者は肩書きで飯を食うのではなく、腕前で飯を食う。
試験を通りランクが上がれば、受けることが出来るようになる依頼の危険度も増すのだ、という事を念頭に入れなければならない。
金の為に命を惜しまないにしても、分を弁えなければただ死ぬだけだ。
もっとも金持ちの用心棒などの中には、そうした程度の低い連中が少なからず混じっているのだが。
「これまでは、先ほどの魔物を含めて対処法を前もって教えていたが、今回は自分の目で魔物を観察しろ」
クトーは、旅杖の先でスライムを示した。
「どんな攻撃が来るか、弱点はどこか、どうすれば有利に戦闘を進められるのか。そうした、初見の魔物への対応力を見る試験だ」
試験の主旨を説明すると、レヴィはくちびるを舌先で小さく舐めた。
「良いわ、やってやろうじゃない」
以前レヴィにフライングワームの時に一撃を加えた状況を聞いたが、あくまでも勘に頼った動きだった。
もし魔物が飢えて急いていなければ逃げ道を完全に塞がれ、レヴィは背にした木ごと絞め上げられて殺されていただろう。
「まずは自分の安全確保を最優先にしろ」
クトーはレヴィの肩を叩いて、疾風の籠手でレヴィに速度補助の魔法をかけた。
それを見たトゥスが、呑気に尋ねて来る。
『わっちも憑くのかねぇ』
「頼む」
クトーの言葉に、仙人はふよんとレヴィの肩辺りに近づくと、吸い込まれるように彼女の体の中に消えた。
レヴィが、ブルっと体を震わせる。
「……この憑かれるっていうのは、慣れない感覚ね」
「だが効果は折り紙つきだろう。来るぞ」
「ふん、あんな弱っちそうな鈍い魔物、どーせ大した事ないんでしょ。見てなさい!」
魔物相手の自信を、少し削って他の事に振り分けて欲しいものだ。
生き生きと魔物に挑みかかるレヴィを、クトーはジッと観察した。
スライムは、実はCランクの魔物だ。
だが実際にどれくらい強いのか、と言われれば、ラージフットよりも遥かに弱い。
スライムの粘液で出来た体は対象を包み込んで溶かすが、レヴィがそれに捕まる心配は今のところはない。
動きは不定形ゆえにやりづらい面もあるが、正直に言えば、最弱と言われるビッグマウスの方が素早い分だけ手強いくらいの魔物なのだ。
それでもCランクとされているのは、当然理由がある。
クトーは、旅杖をカバン玉に仕舞うと、代わりに鋼の穂先を持つ槍を取り出した。
ただの槍だが、スライムの相手をするにはリーチの長い獲物の方がより安全だ。
しかし風竜の長弓では、あの粘液の体が矢の風圧で弾ける。
弱い毒しか持たないとはいえ、弾けた粘液がレヴィの肌に触れれば火傷程度の怪我は負ってしまうだろう。
「喰らいなさい!」
レヴィはプルプルと体を揺らすスライムの横に回り込むと、横薙ぎにダガーを振るった。
スライムは対応できずに体を引き裂かれ、離れた部分がボトリと地面に落ちる。
本体側は傷口を蠢かせて再生し、裂かれた分だけわずかに小さくなって再び球形に戻った。
その後、ブルブルと震えて青から赤に色を変える。
体を斬ったレヴィを警戒して、攻撃的になった合図だ。
スライムは、グバァ、と口を開くように大きく形を変えてレヴィに飛びかかる。
だが、彼女はあっさり避けた。
「遅いのよ!」
再びスライムの体に対してダガーを振るい、さらにスライムは形を小さくしていく。
だが、クトーは危なげない彼女を見て目を細めた。
随分と調子が良いようだが、やはり周りが見えていない。
「レヴィ。一度下がれ」
「え?」
彼女は少し疑問を浮かべた顔をしながらも、すぐにスライムの攻撃をかわしてこちらに跳んだ。
ラージフットを相手にする前であれば、従わなかっただろう。
教えた事は少しずつ身についている。
命を最優先に、指示には即座に従うようになっただけ成長はしているのだ。
横に降り立ったレヴィが物言いたげに目を向けてくるのに、クトーはスライムを指差した。
「お前が切り落とした破片を見ろ」
そう伝えると彼女は草むらに目をやって、あ、と声を漏らした。
切り落としたスライムの破片が、うぞうぞと動いて周囲の草木を食べて少しずつ大きくなっていた。
最初の1匹は半分ほどの大きさになっているが、レヴィに切り落とされた破片は核を形成して逆に成長し、最初の1匹よりも一回り小さいスライムとなって生まれ落ちた。
「スライムはあまり強くないが、異常に生命力がある魔物だ。核を守る外側を単純にそぎ落としてしまうと、ああして増える。初心者が油断して良い気になり、増えたスライムに囲まれて殺される事が多いから、Cランクに指定されている」
魔物は、強さのみでランクが決定されるのではなく、危険度によってもランクが変わる。
魔物が特殊な力を持っている事も、生態への知識が普通はない事も、強さ同様に『危険』の指標なのだ。
「試験は不合格だ、レヴィ」
「な、何でよ!」
クトーは真ん中辺りを持った槍を軽く振って、パシッと柄尻を逆の手で受けた。
「理由は後で説明する。まずはスライムの倒し方を覚えろ」
腰を落とし、槍の穂先をピタリとスライムに向ける。
こちらへ向けて這いずり始めた魔物の中心……コア部分を狙って、踏み込みながら槍をしごき抜いた。
刃が正確にコアの中心を貫くと、ピタ、と動きを止めたスライムは、次いでドロリと溶け崩れる。
落としていた腰を上げて、クトーはレヴィを見た。
「コアを貫けば、スライムは倒せる。お前のダガーでも、残りの小さいものならば中心に届く筈だ。やってみろ」
「……分かった」
レヴィは腰だめにダガーを構えると、軽く息を吸い込んだ。
「シッ!」
歯の隙間から鋭く呼気を吐きながら、レヴィが地面を蹴る。
重心を前に傾け、片足を浮かせたまま上半身を捻り、地面に足を下ろしながらダガーを突き出した。
クトーの槍同様、ダガーが中心を貫いてスライムがドロリと溶け落ちる。
「やった!」
「次だ」
クトーは、槍を別のスライムへ向けて構えた。
特性に気を付けさえすれば、ビッグマウスよりも弱い魔物だ。
レヴィと二人で退治し尽くすのに、さほど時間は掛からなかった。
※※※
「さて、不合格の理由だが」
山を降り、ダンジョンのある区画を隔離する検問を抜けた後にクトーは説明を始めた。
「一つは、注意力の問題だ」
「何が悪かったのよ。あのままなら一匹は倒せたでしょ?」
「俺は観察しろと言ったんだ。弱点を把握しろとな。そうしたヒントに従わず、気付かず、お前はスライムにただ闇雲に斬りかかった」
クトーの言葉に、レヴィは反発する。
「やらなくても倒せそうだったじゃない」
「結果、スライムが増殖した。最初に斬りかかった後、きちんと周りを把握していれば気づいたはずだ」
「う……」
それでも納得のいかない様子で手を後ろに組んで歩く彼女は、拗ねた子どものようだ。
軽く頭に手を置いて撫でると、レヴィは眉根を寄せてこちらの手を振り払った。
「子ども扱いしないでよ!」
「なら拗ねないことだ。あのまま1匹倒しても、周りを囲まれていたら抜け出せなかっただろう。俺の補助魔法とトゥスの助力がなければな」
「そ、そんな事ないわよ! あんなプニプニ、何匹いたってこの私なら余裕に決まってるでしょ!」
「そうか? だが不合格の理由はもう一つある」
クトーは旅杖を持ち上げると、反対の手で丸を作った。
「ダガーはコアに届いていたが、先端が少し刺さった程度だ」
指で描いた丸で、クトーはダガーの先端に見立てた杖の頭に触れる。
「だが実際には、お前のリーチならもっと深く刺さるはずだ」
指の隙間で、クトーはさらに深く杖の頭を呑み込んでみせた。
ビッグマウスとの戦闘、洞窟の魔物との戦闘、スライムとの戦闘。
それらの状況から、クトーは一つの結論を得ていた。
「お前は、踏み込みが弱い」
甘い、のではない。
その理由がなんなのか、まではクトーには把握出来ていなかったが、練度が低いと判断した。
「ダガーを突く時、途中までの動きは完璧だった」
地面を蹴ってから、刃を突き出すまでの間は満点だ。
あのまま、倒れこむような姿勢で全ての体重を乗せながら刃を届かせ、その後に前に出した足を地面につけば威力も十分だっただろう。
「何故、先に地面に足をついて威力を殺した?」
クトーが旅杖を地面に下ろしながら言うが、レヴィは意味を理解していないようだった。
「そんな事してないわよ」
「しているから言っている」
レヴィは首をひねりながら足を止めて、ダガーを抜いた。
一緒に立ち止まったクトーの前で、スライムに相対した時のようにダガーを突き込む動きをしてみせる。
「……やってないわよ、やっぱり」
レヴィは誰に教えて貰ったのか知らないが、基本が身についている。
重心の移動というのは、技術だ。
その動きは、武術の基礎にして奥義と言われる最も威力のある突きを放つための動きと同じであり、武術の達人が獲物を選ばないと言われる訳は、その動きを自らのものとしているからなのだ。
「今はやっていないな。だが、さっきはやっていた。トゥス翁は分かるか」
黙って前に浮かんでやり取りを眺めていたトゥスは、空中にあぐらをかくように器用に足を丸めて、コリコリとアゴを掻いた。
どうでも良さそうにアクビをしてから、片目をつぶる。
『目が良すぎるんじゃねーかねぇ』
「どういう意味よ?」
『そう感じただけさね。理屈をつけるのは苦手だから、何でそう感じたのかまでは分からねーねぇ』
目が良すぎる。
クトーは目を閉じて、レヴィとスライムの戦闘を思い返した。
踏み込みの瞬間。
ダガーの刃がスライムに向けて、腰元から前へと一直線に向かう。
そこで何があったのか。
レヴィが切っ先を、わずかに鈍らせた。
そのせいで踏み込む足が先に地面に着いた。
鈍らせた時のレヴィの目線はきちんとスライムに向いており……魔物が、わずかに身じろぎした。
「……目が良すぎる。そういう事か」
「何を一人で納得してるのよ」
目を開いたクトーに、ダガーを仕舞いながらレヴィが尋ねてくる。
再び歩き出すと、ちょうど細い道から土の馴らされている山道に入り、視界の先にポツポツと人の姿が見え始める。
「ビッグマウスの時も同じか」
レヴィの避ける動きは大げさだったが、避ける方向や距離などはかなり的確だった。
避けるのは上手いのに当たらない攻撃への違和感は、どちらも同じ理由からくるものだったのだ。
クトーが尋ねた時、フライングワームの動きを覚えていたのも。
「レヴィ。お前は無意識に相手の動きを察知して、合わせようと思ってしまっている」
攻撃が当たらないから命知らずだと思ってしまうが、彼女は実際には命を守ることを最優先に行動を取っていた。
「合わせてないわよ」
「相手の動きを読めているから、少しの動作に反応してしまっているんだ。確実に相手が攻撃を避けれず、仕留められるタイミングでも『避けよう』とするスライムの行動を察知して警戒した」
レヴィは魔物への知識がない。
それが、彼女の攻撃が鈍くなる事にさらに拍車をかけている。
「知識がないから、相手の動きが回避動作なのか反撃の準備なのかとっさに判断がつかず、見極めようとする気持ちがわずかな隙を生んでいる。それが素早いビッグマウスには攻撃が当たらず、スライムに対しては踏み込みが弱かった理由だ」
素質だけで魔物を相手にする場合、低ランクでは無謀な方が死ぬ事も多いが戦果を挙げる事も多い。
だがレヴィは、人の死というものがどういうものかを理解しており、彼女にとっての絶望を味わった事がある。
レヴィは素質と度胸は十分だが、知識が足りず、直接的な危機に対する嗅覚はランクに見合わないほど鋭いのだ。
「そんな事言われても」
レヴィは戸惑っているようだった。
「自分ではどうにも出来ないじゃない」
「原因が分かれば幾らでも対処は出来る」
トゥスの助言のおかげで、それが見えたのだ。
「方法は二つ。一つは知識を得ること。そして注意力を養うこと。相手の動きの意味が分かれば自然と直る」
次から彼女に魔物への対処法を教える時は、相手の細かい動きに関する説明をしたほうが上達が早いかも知れない。
そう思っていると、トゥスが声を上げた。
『おや。あそこにいるのは旅館の女将じゃねーかい?』
言われてクトーが目を向けると、赤いキモノの女性が遠くから山道を登ってくるのが見えた。




