白い巨人は、待ちくたびれたようです。
「来るのが遅いんだ、あのグズが」
フヴェルは王都外壁にある見張り台の上で、ようやく現れたクトーを見ながら悪態をついた。
「あら、ジグのところ? てっきりリュウくんのところに行くかと思ってたのに」
裸眼で戦場が見えるこちらと違い千里眼の魔法で戦局を見ていたユグドリアは、少し意外そうな口調で答えながら、風に遊ばれて乱れた髪を手櫛で整えた。
ギルドの総長補佐官である彼女と、現在は小国連会談の副責任者であるフヴェルは、いきなり前線に出る許可が降りなかった。
これだからしがらみは嫌なんだ、と不機嫌を募らせているフヴェルはイライラと見張り台のヘリを指で叩く。
「ニブルのクソ野郎はまだか!」
戦局は、特に問題なく進んでいるように見える。
リュウはミズチの援護を受けつつ真っ向から突き進み、魔物の軍勢の右翼をジグのゴーレム群が崩しにかかっている。
さらに人形師よりも少し王都寄りの位置から、森を抜けてきたとおぼしきジョカとギドラがムーガーンと戦いながら、近寄ってきた軍勢を蹴散らしていた。
左翼側にはヴルムとズメイがいる。
こちらも重戦士が結界を張る背後から、剣闘士が的確に炎の剣閃を操って敵を屠っていた。
そして今フヴェルのいる場所からは地平線に隠れて見えないが、背後からも複数の【ドラゴンズ・レイド】の小パーティーが各々突撃しているはずだ。
「ニブルにも準備があるんだから仕方ないでしょう。短気は損気よ?」
「目の前に魔物の軍勢がいて短気もクソもあるか」
フヴェルは赤い瞳の美貌を歪めて、ウィンクを投げてくるユグドリアに応じた。
ニブルの妻でもある彼女は、元々同じAランクパーティーの仲間だ。
慇懃無礼の嫌味野郎である彼女の夫がギルドの幹部になるまで、ずっと一緒に旅をしてきた仲なのでお互いの性格は熟知している。
「君が気になっているのは、魔物の軍勢よりも自分たちの長じゃないの?」
「……」
フヴェルは、無言でユグドリアから目をそらして腕を組んだ。
巨人の住処の長にして、最強の巨人族であるムーガーン。
タイマンで戦えば一方的にやられるのが目に見えている相手だ。
「決して心配しているわけではない」
「そうなの?」
まるっきり信じていなさそうな口調で、ユグドリアが肩をすくめた。
「いいか。ムーガーンは王だが、巨人族は実力社会、それも己の戦闘力によって序列を決めるんだ」
「知ってるけど、それがどうしたの?」
フヴェル自身も、彼が乗っ取られたという事実に驚きはしたが、憂いたのはムーガーンの身の上ではない。
「もし王が死んだら、ヘイムは必ず動く」
「なぜ?」
「自分たちの中で最強の存在が殺された、という一大事だからだ。『長が人間にやられた』などという汚名を種族全体で被ることに、あのバカどもは耐えられない」
絶対にムーガーンを殺した者を殺すために、進撃してくる。
自分たちの力を誇示するために、道征く先にあるものを破壊し尽くしながら。
「どちらがその戦闘に勝っても、何も残らん。ムーガーンには生きていてもらわなければ困るんだ」
そのために、一刻も早く許可を受けて王の肉体を取り戻さなければならない。
ジリジリとはやる気持ちを抑えることは、人間たちに習った。
フヴェルは巨人の中でも変わり者で、荒くれた本性よりも知性や理性を重んじたいのだ。
「素直じゃないわね」
ユグドリアは、これだけきちんと説明してやったというのに、さらに言葉を重ねてくる。
「育ての親なんでしょう? 人間でもこんな状況なら、身を案じて苛立ってても別に普通よ」
「……うるさい」
あの戦闘脳の傍若無人が育ての親であることは、確かに事実だ。
フヴェルは物心ついた頃にはもうヘイムにいたが、霜の巨人は本来、北の国のさらに奥にあるヨトゥ大山に住まう種族である。
ヘイムにいたのは捨てられたのか、何か他の理由があるのか。
幼かったフヴェルは気まぐれにムーガーンに拾われ、無理やり戦う方法を仕込まれた。
「大体育ての親と言っても、あのジジイはーーー」
と、さらに悪態をつきかけたところで、フヴェルは羽ばたきの音を聞いて顔を上げる。
ワイバーンが、王城の方角から王旗を立ててこちらに向かってくるのが見えた。
「ようやく来たか!」
「意外と早かったわね。ま、ホアン陛下なら当然かしら」
ワイバーンが見張り台の側で身を翻すのと同時に、騎乗していた人物が飛び降りる。
王との迎撃に関する緊急会議をしていたニブルは、白いラインの入った精緻な意匠のローブをなびかせながら、見張り台の上にふわりと着地した。
手には、【賢者の杖】と呼ばれる節くれだった長大な杖を握っている。
冒険者をしていた頃からの、ニブルの愛杖だ。
「待たせて申し訳ありません、ユグドリア」
「お疲れ様。会議はどうだった?」
優しい笑みを浮かべて妻に謝罪を口にするニブルに、ヘドが出そうになりながらフヴェルも口を開いた。
「我に対しても何か一言ないのか」
「なぜ私が、頑丈なことと夏場に気温を涼しくする程度しか能のない巨人に言葉を発さねばならないのです?」
「このクソ野郎……!」
ユグドリアに向けるものと一転して、ひどく不愉快そうな渋面を浮かべるニブルに、フヴェルはビキビキと青筋を浮かべた。
「魔物の大群の前に、貴様を氷漬けにしてやろうか?」
「頭を冷やすべきはそちらの方では?」
「君たちは、顔を合わせれば文句の言い合いをしないと気が済まないの?」
ユグドリアがため息を吐きながら、腰のロッドを抜いた。
ロッドの握りより下の部分は剣になっており、近接武器としても使える特注品である。
ユグドリアは、世界樹と呼ばれる上位存在と意思を交感する特殊な属性……〈生命〉の属性を開花させた女性だ。
世界樹の護り手と呼ばれる、聖騎士の上位にあたる特殊職につき、魔法と体技のどちらもを高練度で納めている。
「そんなことはありませんよ、ユグドリア。私はあなた以外に話しかけてやるだけの価値を認めていないだけです」
「あら嬉しい。でも、今はいがみ合うよりも早く情報が知りたいわ」
「ユグドリアがそういうのなら、仕方ありませんね」
このギルド総長は10以上年下の妻を溺愛しており、まるっきり頭が上がらない。
無様極まる、とすらフヴェルの思うこの男はそれでも有能であり、手綱を握るのがユグドリアなのでその能力を遺憾無くギルド総長として発揮している。
「軍は、後一刻後には準備を終えて王都の外へ向かうようです。私たちはその間の陽動を担います」
ニブルの言葉はあっさりしたものだったが、フヴェルにはそれで十分だった。
「もう前に出て暴れてもいいんだな?」
「ええ、存分にどうぞ」
フヴェルは、再び戦場に目を向けてボキリと指を鳴らした。
「この3人で動くのは久々ね」
「そこの巨人の腕が衰えていないことを祈ろう」
「こっちのセリフだ、慇懃無礼のクソ野郎。……答えは、その目で確かめてみやがれ」
ニブルの言葉に目尻を震わせながら、その挑発に対して言い返した。
「ーーー皆殺しだ」




