おっさんのいない間に、事態が逼迫したようです。
「……?」
目覚めたクトーが最初に目にしたのは、誰もいない室内だった。
だが、自室ではない。
リビングの景色が見えるのにベッドで眠っている状況に違和感を覚えたが、窓から夕日が差し込んでいるのを見て納得した。
おそらくは、目覚めてこない自分を気にかけた仲間たちの仕業だろう。
体を起こしながら横を見ると、レヴィも目を開けたところだった。
「ん……」
「目覚めたか?」
声をかけると同時に手に硬い感触を覚え、目線を向けた先にはミズガルズの魂を封じた黒い宝玉があった。
さらに、レヴィもクトーも白いファーコートを身につけている。
「誰もいないのはなぜだ?」
クトーは首をかしげた。
仲間たちがベッドを移動したのなら、誰かはいると思ったのだが。
『クトー。待ちわびたぜ』
そこで、不意に声をかけられた。
目を向けると、ミスリルゴーレムのバラウールが壁際に体をもたせかけている。
ーーー手足を、何かで切断された状態で。
『待ってたぜ』
「何が起こった」
「バラウール!? ……むーちゃん、は?」
レヴィも体を起こして声を上げたので、クトーはいつも彼女のそばにいた子竜の姿がないことにようやく気づいた。
事態を把握するための情報が足りない。
「外でも色々と状況が動いていたようだの」
レヴィが眠るのとは反対側のベッドにいたケインも身を起こし、寝る間も手にしていた槍の柄を手でしごきながら問いかけてくる。
「どうするんじゃ?」
「まずは、話を聞いてからだ」
何かまずいことが進行しているのは分かるが、現状を知らなければどう動くべきかも分からない。
クトーはコートを脱ぐと、着ぐるみ毛布から旅の服装へ着替え始めた。
「聞かせろ、バラウール。何があった」
彼の本体は、結界と異空間形成結界の核になっている巨大なゴーレムだ。
そもそも意識があるのなら、今使っている衛星型ゴーレムの体も重要な部分は傷つけられていない。
予備の体は、作ろうと思えばいくらでも作れる。
バラウールも自分が死ぬことはないのを把握しているので、冷静に話し始めた。
『リュウたちは、国王の要請で外に向かった。この体に意識を移したオレに後を任せてな』
「理由は」
『魔物の軍勢が襲撃してきたらしい』
サマルエだろうか。
元々フットワークの軽い相手だが、それにしてもずいぶんと動きが早い。
クトーらが夢見の洞窟に行ったことを察して、動き始めた可能性が大きかった。
「ジョカは?」
バラウールは、貴族院筆頭であり【ドラゴンズ・レイド】の仲間である男と行動を共にさせていた。
戻ってきているということは、何かあったのだろう。
『……今、ムーガーン王と戦ってる。いきなり襲って来たんだ』
その言葉は、予想通りだった。
「中身はムーガーン王じゃない。魔王軍四将の一人であるチタツだ」
『……乗っ取られてたのか』
「ああ」
クトーらより先に現世に帰還した魔族は、もうネタが割れてしまっていることを当然把握している。
この後は、逃げて魔王と合流するか、王国内に潜伏して暴れるかのどちらかだ。
ジョカならば、よほどのことがない限りはいきなりやられはしないだろうが。
「安否はわかるか?」
『分からねぇ。呼び出しを受けるのと同時に、不意打ちであっちの体が壊された』
「最後に見たのは」
『ムーガーンに話しかけながら戦闘態勢を取るジョカだ。……それを話したらギドラがジョカの方に、リュウとミズチは外に向かった』
「それで、むーちゃんは!?」
トゥス耳兜をつけて白装束に変わったレヴィが、噛みつくようにバラウールに噛み付く。
クトーも、最初から偃月刀を手にして魔力の気配を探る。
王都の正門の方に、巨大な魔力の気配がいくつか感じられた。
『さらわれたよ』
「誰にだ」
それが、バラウールの手足を斬り捨てた本人だろう。
彼は重い口調で、犯人の名前を口にした。
『ーーーあの、ルーミィとかいう北の王国から来た元将軍だ』
※※※
「おや、珍しいものを持っておられますねん?」
魔物の群れが進軍を開始した直後に現れた相手に、小太りの男ラードーンはうやうやしく頭を下げながら話しかけた。
「ああ」
ぐったりとしている白い子竜……むーちゃんを小脇に抱えたルーミィを見て、大柄な男が軽くうなずく。
「クトーが大事にしている子だからね。盾にしたら楽しそうでしょ?」
まるで悪戯に成功したように、子供っぽい口調で彼は言った。
ルーミィの後ろには、相変わらず無表情なメイド、センカが影のように控えている。
「相変わらず戯れがお好きですな」
ハイドラも静かに頭を下げるのに、彼は首をかしげる。
「好きなように振舞い、楽しいことをするのが大事だって、彼に教わったからね。ダメかな?」
「サマルエ様のなさる事に異論などございませんともねん」
ミズガルズの肉体に宿る魔王の名を口にして。
首を横に振ったラードーンは、続けて彼に報告した。
「チタツが、夢見の洞窟から戻ったようですねん。おそらく、相手のパーティーの1人と交戦しておりますねん」
「感じているよ。こちらに来るように伝えておいた」
魔王は、ミズガルズの姿をしていても魔王だった。
かの覇王であれば決して浮かべないだろう、無垢な悪意に満ちた愉しげな笑み。
ひどくチグハグな印象こそが、中身が違うことの証左だろう。
「チタツが動いたってことは、聖結界の中に入るのは、魔族の魂を眠らせておけばいいってことが証明出来たね」
んー、と下唇を突き出したサマルエは、自分の顎髭を撫でる。
「後は、侵攻が上手くいったとして、中に入れるかどうかだけど……」
サマルエは軍勢に目を向けて、次に今出てきたばかりの王都を見る。
「ま、うまく行ったら聖結界を砕く方法を考えたらいっか」
あっさりとそう告げて、サマルエは興味を失ったようだった。
傍らに控えるルーミィとセンカは、主人の変貌や魔王、そして軍勢のことをどう思っているのか、その表情からはまるで読めない。
魔王が何も言わないからか、ラードーンとハイドラも、明らかに人間である彼女らに関しては言及しなかった。
「チタツが戻ったなら、クトーもすぐに戻るだろう。ケウスも小賢しい真似をしてくれたけど、結果としては準備が出来たし上々かな」
ふふふ、と笑ったサマルエは、空を仰いで息を吐いた。
お出かけを楽しむ子どものように、うきうきとした様子で。
「楽しみだなぁ。仲間を攫われて裏切られたクトーがどんな顔をするのか。楽しみで仕方がないよ」
あはは、と響く低く無邪気な笑い声は、眼下の景色と相まって非常に禍々しかった。




