おっさんは、現世に戻るようです。
「き、北の王、って……」
レヴィは、クトーの告げた名前に表情を強張らせた。
「じゃ、北の王が死んだのって、魔王が原因だったの?」
『そうだ、小娘』
ミズガルズは、夢見の最奥にある間を忌々しそうに見回してから、腰に差した剣に肘を乗せ、その柄尻をコンコン、と指先で叩いた。
『正確には死んだのではなく、肉体を奪われてここに幽閉されたのだがな』
ケウスに目を向けた彼は、語り口や雰囲気の静けさとは裏腹に、空気がひりつくような覇気を纏っている。
魂だけになってなお、ミズガルズは覇王の気概を失っていないように見えた。
『夢の主よ。俺を現世に戻す気になったか?』
「最初からお伝えしていると思いますが」
そんなミズガルズを前にして、ケウスは微笑みを浮かべたまま首をかしげる。
「現世に戻さないのではなく、戻せないのです。魂のまま戻っても、輪廻の輪に取り込まれて転生するだけ……魂との繋がりを絶たれ、肉体は死にます」
『それで構わないと告げた』
先代北の王は、即座にそう切り返した。
まるで自分の命までもゴミのように切り捨てるその言葉に、ケウスは笑みを消さないままかすかに眉根を寄せる。
『肉体が死ねば、魂が生きている状態よりも力が弱まると言ったのは貴様だ。もし仮に』
トン、と再び剣を叩いたミズガルズが放つ覇気が濃度を増す。
『弱ってさえいれば、我が精兵があの魔王を倒せたかもしれぬ状況が、今この瞬間に起こっていたら。そして貴様が渋るばかりに間に合わなかったとしたら』
彼自身の支配する氷の大地に似た冷たさと、吹き荒れる吹雪のごとき苛烈さを持って、彼はケウスに向けて一歩足を踏み出す。
『俺は輪廻の果てからでも、貴様を滅するために再びこの場に立つ』
「そのような状況は起こっておりません。今もまだ」
あくまでも冷静に応じたケウスが、こちらに目を向けた。
「それに、もうそのような心配をなさる必要もまた、ありません」
『どういう事だ』
「……本当に変わっていないな」
クトーは、ミズガルズに感心していた。
かつて彼は、自分たちが面前に上がった時にこう言ったのだ。
『多くが生きるために必要ならば、自らの命を含む全ての犠牲を許容する』、と。
それはクトーとは相いれない考え方ではあったが、当然のごとく理があった。
徹底した合理主義と、傲岸なほどに強靭な精神を併せ持つ男。
それが、ミズガルズ・オルムという男なのである。
「ミズガルズ王。貴方が我々と行動をともにするのなら、あなたは現世に帰還できる」
クトーがそう伝えると、ミズガルズはこちらに目を移した。
『詳しく説明しろ』
先ほどのぷにおとケウスのやり取りから察するに、報酬として彼の魂が与えられる、という話だ。
ただ死なせるための帰還ではないだろう。
クトーがここでのやり取りや起こったことを話すと、じっと聞いていたミズガルズは一つだけうなずいた。
『肉体に戻れるということか?』
『我輩は、そこまで干渉せぬのである。あくまでも、魂が輪廻に潜らないように守った状態で戻すのみ』
ぷにぷにん、と可愛らしい声音で言うぷにおに、ミズガルズは眉をひそめた。
『何者だ、この珍奇な外見の無駄に力が巨大な竜は』
「俺は大変可愛らしいと思うが、どのような存在かまでは知らない」
クトーが首を傾げると、シャラリとメガネのチェーンが鳴る。
「ただ、魔王に対抗する力は与えてくれた」
自分とレヴィの着ているファーコートをミズガルズに示すと、彼は大きく鼻から息を吐いた。
「あの、さ」
レヴィが、おずおずとぷにおに問いかける。
『ぬ? なんであるか?』
「あなたは、一緒に戦ってくれないの? というか、あなたが戦えば、もしかして楽勝なんじゃ?」
『楽勝とはいかないが、勝てはするであるな』
ぷにおはあっさりと頷く。
『だが、そうして人を救うことには意味がないのである。理ゆえ、この戦いは人が自ら勝利を掴み取ることに意味がある』
ーーーかつての我が主人のように。
ぷにおはまた遠い目をして、次にいたずらっぽい光を目に宿した。
『それともまさか、自らその手で掴み取る自信がない、とでもいうのであるか?』
「いいや」
「無礼な竜だな。この場で証明してみせてもいいが」
「ほほ。今すぐにでも魔王と対峙したいくらいじゃわい」
「ちょっと!?」
即座にクトーらが反応すると、レヴィが慌てたように声を上げた。
しかしこちらの反応を毛ほども気にした様子はなく、ぷにおは再びふわりと舞い上がる。
『では、我輩は去るのである』
ぽん、と腹を叩いたぷにおの前に、小さな白い玉が浮かび上がってミズガルズに近づくと、彼の体はその中に吸い込まれた。
黒く染まったそれは、今度はクトーの手の中に収まる。
『魂を封じたのである。肉体から魔王を追い出せば、元に戻るゆえ、あとは頑張るのである』
「ああ。感謝する。この装備も、ミズガルズ王に関しても」
小竜は一つうなずき、その体を宙に溶かしながら最後の言葉を告げた。
『今の世界は、お前たちの世界である。その行く末は、自分の手で掴み取るといいのである』
そうしてぷにおが去った後、ケウスが夢見の世界の核である宝珠に手をかざした。
「では、あなた方も現世に帰還していただきます。チタツは逃してしまいましたが」
「それはお前のせいではない」
「ありがとうございます。……あなた方の行く末に、幸多からんことを」
宝珠の輝きとともに、夢見の世界がゆっくりと遠ざかっていく。
舞台のように、次いで窓のように、最後に暗闇に浮かぶ光の点に。
そうやって夢見の世界が遠ざかっていくうちに、クトーは自身の目覚めの気配を感じた。
意識が一度途切れる間際に、ほんのかすかに、ケウス自身の望みを聞いたような気がした。
『わたくしの半身を、どうぞよろしくお願いしますーーー』
そうして、クトーは目覚めた。




