おっさんの知らないところでも、状況が動くようです。
リュウは、部屋の中で眠るクトーらをジッと見つめていた。
そろそろ丸一日が経とうとしている。
カチ、カチ、と時計の秒針が刻む音だけが響く中、椅子に逆に座って、背もたれに腕をかけてアゴを乗せていたリュウは、ふと顔を上げた。
「どうなさいました?」
ミズチがそれに気づいて声をかけてくる。
夢見の洞窟へ向かう場合に備えて、壁に背を預けて仮眠を取っていたギドラも目を開けた。
「……なんか来るぜ」
邪悪さは感じないが、竜気を帯びた何かの気配。
カバン玉に手を伸ばしたリュウは、そこから勇者の剣を引き抜いた。
普段とは違う対応に、場の空気が一気に引き締まる。
「ぷに……!!」
レヴィに寄り添って眠っていた子竜も同じ気配に気づいたのか、ガバッと頭を上げた。
だがその鳴き声の色は、どこか歓喜を帯びている。
不審に思っている暇はなかった。
あっという間に迫ってきた気配が、窓を突き抜けて飛び込んで来たのだ。
ーーー反応どころか、目ですら捉えきれないほどの速度で。
白い光の塊。
かろうじてそれだけを見て取ったリュウの眼前で、それはレヴィの体に迷うことなく飛び込んだ。
そして、部屋の中に閃光が炸裂する。
「ーーーッ!」
視界を焼かれたが、即座に超活性で身体機能を回復した。
しかしその時にはもう、閃光は治まって部屋の中が元どおりの静寂に包まれている。
「……なんだ、今のは」
ミズチとギドラに目を向けるが、2人とも首を横に振った。
「どこに行ったか、『視』て追えるか?」
「はい。夢見の洞窟と思われる方向に向かっています。ですが、正体は分かりません」
「追い続けろ。ギドラ、お前はどうだった?」
ギドラはリュウよりも動くものを捉える目がいい。
「羽が生えた何か、だとは思うっすけど」
さほどリュウと変わらない情報しか得られなかったようだ。
ガリガリと頭を掻きながら窓を見るが、特に窓枠が壊れたりという異常は見られない。
「実体じゃねぇのか……?」
今まであんな高速で動く魔物も、人の体に飛び込んで消えるようなものも見たことはない。
夢見の洞窟に向かうか、まだ留まるか。
判断がつかずに待っていたが、そこで常に持っている風の宝珠が不意に反応を見せた。
「ッ、次から次へと……」
動き出すときは全てが一息に動き出す。
宝珠の連絡を受けると、向こうから響いてきたのはホアンの声だった。
『……リュウ。すぐに、王都の外に向かってくれ』
その声には緊張の色が見える。
嫌な予感を覚えて口元を歪めながら、リュウは問い返した。
「何が起こった?」
ホアンは少しの沈黙の後、重々しく告げる。
『魔物と人間の軍勢が、王都の周りに転移してきているーーー』
嫌な予感は、当たった。
今、クトーの安否、光の正体すら不明なこの状況で、それは最悪の知らせだった。
『ーーー奴らが掲げているのは、帝国の旗、だ』
※※※
王都の近くにある草原の、南西に続く一本道。
その途中に半分えぐれたような丘があり、その上から、2人の男が、草原に次々と現れる軍勢を見つめていた。
「なかなか壮観ですよん」
男の片割れ、小太りで行商人の格好をした平凡な男が、ニコニコとつぶやく。
その言葉を受けて、横に立つ男が鼻を鳴らした。
「かつてサマルエ様の元に集った軍勢の、足元にも及ばぬがな」
こちらは眉目秀麗だが、すでに年老いている。
目の下に深く黒いクマがあり、口ひげを蓄えて高価そうな衣服を身につけていた。
反論してきた高貴そうな男に、小太りの商人はノンノン、と指を振る。
「コレは小手調べですよん、ハイドラ。軍団はまだまだ増えますん。色々と不穏な空気が漂えば、魔王様ご執心の男の邪魔を出来ますからねん」
「ふん、一気に焼き払ってしまえばいいものを、あのお方も酔狂であらせられる」
彼らの眼下にいる獣型の魔物にまたがる兵士や、長槍を携えた兵士達の顔は一様に不気味だった。
まるで魂を抜かれた操り人形のように白目を剥き、生気のない顔色をした者達が、門のように立つ魔法陣から歩みだして、ぞろぞろと列を成しているのだ。
何人かに1人の割合で持つ赤い布地の旗には、金の刺繍で多頭龍が描かれていた。
それは、南西にある帝国のシンボルだった。
対して、別の魔法陣から現れる魔物達は、対照的に歓喜に満ちた様子を見せており、力を漲らせている。
周りには、濃い瘴気があふれ始めていた。
空飛ぶモノも、地面を歩くモノも、魔王の存在によって力を増大させていた。
興奮してうるさく声を上げ、あるいは足を踏み鳴らして騒いでいる様は、人が見れば恐怖に震えるだろう。
が、彼らもまた、列は外れない。
騒ぎ過ぎて形を乱せば、即座に背後にいる男たちの粛清があることを本能的に理解しているように思われた。
そんな彼らよりも濃密な瘴気を纏い、冷たく魔物や軍勢を見下ろすハイドラに、小太りの男は同じ気配を纏いながら言葉を続ける。
「ま、せいぜい楽しみましょうよん。せっかく呼び戻していただいた命ですしん」
「言われずとも分かっておる、ラードーン」
ほんの少し前まで魔王が使っていた肉体と、皇帝と呼ばれていた肉体。
それぞれを操る高位魔族は、かつての……彼らにとってみれば冥府より呼び戻される直前の真新しい記憶に、思いを馳せた。
「小賢しくも魔王様に盾突き、私を殺した者に、再びまみえる……次は負けぬ」
「そうですねん。特にあのクトーとかいうのには、大きな借りがありますからねん」
魔王軍四将の1人、悪鬼将ハイドラと。
同じく四将が1人、邪霊将ラードーンは、すぐ近くにある王都の最外壁を見据える。
「ブネも負けた、と魔王様は仰っておられた」
「修羅将エティア・ブネゴは我らが筆頭でしたからねん。サマルエ様が転生直後で弱体化していたとはいえ、負けるとは未だに信じられませんねん」
ブネは、遊びが過ぎる魔王と違って凶悪にして冷徹だった。
そして1体1であれば、他の三将の誰よりも強かったのだ。
「あの時の様子を、見たか?」
「ええ、もちろん。きちんと罠に嵌めて力を奪っていましたねん。竜の勇者より厄介、というサマルエ様の言は、間違いではありませんでしたねん」
「私は、あの力だけなら取るに足らない小娘も油断がならないと思うがな」
闘争を歓喜とする本能は、魔に属するモノ全てが持ち合わせる業だ。
強敵の存在を慎重に語りながら、魔将たちの表情は笑みに歪んでいる。
「では、お互いに彼らには気をつけませんとねん」
「うむ」
ハイドラは、闇に忠誠を誓うモノの礼……己の心臓を掴むような指の形で胸に手を当てると、軽く目を閉じた。
「全ては、闘争の歓喜と偉大なる我が主人のために……」
「これをサマルエ様復活を大々的に知らしめる、狼煙にしませんとねん」
かつて、魔王城への最後の鍵を守護していたモノと、北の王国に災厄をもたらしたモノは、そのまま準備が整うのを待ち続ける……。
※※※
夢見の最奥部を覆った閃光の影響が消えたと感じて、クトーは目を開けた。
強い光にぼやけていた視点が徐々に合うと、なぜか大きく吹き飛んで遠く離れたチタツと自分の間に、白い何かがいるのが見える。
こちらに背を向けているそれは、小さかった。
全身を覆う、真っ白でふわふわの柔らかそうな毛皮。
背中の翼は羽毛に覆われて全体的に丸みを帯びて。
尾が、ぷらんと装飾品のように柔らかく垂れ下がっている。
両手で掴めるサイズの毛玉のようなドラゴン。
その、思わず頬ずりしたくなるほど小さく愛らしい竜に、クトーは見覚えがあった。
「……むーちゃん?」
思わず呼びかけると、小さく頭だけこちらを振り向いた白い毛玉は、言葉を発した。
『ぷにぷにぃ』
直接脳裏に意味を刷り込むその声は、愛らしい声音と外見に似合わない口調で、そう口にした。




