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おっさんは少女に作法を教える。


 レヴィのキモノ姿は、想像以上に可愛らしかった。


 猫の顔を模様としてあしらった浅葱(あさぎ)色の布に、腰帯を巻いている。

 相変わらず不機嫌そうな顔だが、嫌がっていたから外してしまうかと思っていた髪留めはそのままだった。


「……」

「何黙ってるのよ。これ、思ったより窮屈ね」

「そうなのか?」

「あんまり大きく足を動かすと、布が割れて、足が……」


 モゴモゴと恥ずかしそうに目線を伏せるレヴィに、クトーは首を傾げた。


「元から太ももを晒していたような気がするが」

「気分的に違うのよ!」


 レヴィの服は、動きやすさを重視してか、下は短いズボンと太ももの半分を覆う長い靴下にロングブーツという組み合わせだった。

 しかし彼女に噛み付くように言い返されて、クトーは顎を撫でる。


「そういうものか」


 今はそんな事よりも、レヴィをこのまましばらく全力で眺めていたいところだが……女性をジロジロと眺め回す為だけに立たせておくなど、紳士としてあるまじき振る舞いだ。


「とりあえず、旅館にいる間はそのユカタを常に身につけていろ」

「……何で?」

「立ち振る舞いの訓練になるだろう?」


 そして可愛らしいレヴィを常に見られる、という実益まで兼ねる素晴らしい訓練だ。

 どこか疑わしそうにジッとこちらを見つめてくるレヴィに、クトーは自分の横に置いたザブトンをポンポン、と叩いた。


「とりあえず座れ。図面の描き方を夕食までに一通り教えよう」

「来たばっかりでギルドにも行ったんだから、少し休ませなさいよ……」


 げんなりした顔で肩を落としながらも、レヴィは大人しく横に座った。


「膝をつかないといけないのね、この服」


 レヴィが居心地悪そうに座った座り方は、ユカタの着付け方を書いた紙に書かれている、正座、と呼ばれるものだ。


「足が痺れそうだな。前に伸ばしても良いぞ」

「辛くなったらそうする……」


 そのまま、クトーがレヴィに一通り描き方を教え終えたところで、夕食の準備が出来たと中居(ナカイ)という女性従業員が言いに来たので、テーブルの上を片付けた。


『良い匂いだねぇ』


 再び姿を消したトゥスはクトーの近くにいるようで、スンスン、と鼻を鳴らす音が聞こえる。

 食事そのものは、ナカイが給仕をして順番に出してくれるのに、レヴィに作法を教えながら手を付けていった。


 ハシと呼ばれる二本棒を使う食事にレヴィは四苦八苦していたが、最初は慣れなくとも仕方がない。


 先付、と呼ばれる料理が酒や茶の次に出された。

 小鉢に焼きアユと花ミョウガ、焼き目のついた湯葉と呼ばれるものが添えてある。


 アユの身はハシを立てると柔らかく、口の中に炭火の香りと共にふわりと温かいほどけるような食感がある。

 噛めば溶けるような、脂の乗ったものだ。


 最初に出されたとっくりからオチョコと呼ばれる小さな器に並々と注がれているのは、米から作られた酒。

 辛口で独特な舌触りだが、食事によく合う。


 次はお凌ぎと呼ばれるもので、ウドンと呼ばれる麺と、ウナギの握りが選べるらしい。

 クトーはウドンを選び、レヴィは一口で食べられると言われてウナギの握りを選んだ。


 ウドンはこれも小さな器に盛られていた。

 花の形に切られた人参と葉野菜が少量、添えられている。


 ウドンを口に含めば、出し汁だけのシンプルな味付けながら、麺のコシと共に鼻を抜けるカツオブシの香りが心地よく、量の物足りなさすら感じさせる味わい深い一品だった。


 レヴィも、炊いた米に酢で味付けしたものやウナギを食べた事がなかったようだが、恐る恐る口に含むと表情が晴れやかになる。


「これ、おいしい!」

「そうか」


 二つしかなかったのを名残惜しそうに見る彼女の口の端に、ウナギのタレが付いているのを指摘すると、彼女はそそくさと口を濡れた布で拭った。


 3品目はお椀だ。


 緑のウリに少量のおろし生姜を添えただけのものだが、見た目に涼しく、丁寧に出汁を取っているのか一緒に入った汁が澄み切っている。


 さっぱりとした生姜の風味を感じながら、程よく煮込まれたウリを食む。

 じわりと滲む出汁が、口の中で生姜や食感と調和する絶品だ。


 向付(むこうづけ)、という4品目は刺身で、新鮮で歯ごたえがあり、八寸と呼ばれる山の幸は酒を進ませ、続く焼き物には肉が供された。


 さらに続いて出された炊き合わせは、旬野菜の煮物。

 そして料理として最後の一品は、炊き込みゴハンと呼ばれる、先程レヴィが食した酢飯の握りとは違う味わいの米だった。


 ふわりと柔らかい米は甘く、共に炊き込まれたものの食感がアクセントを効かせていて、腹を存分に満たしてくれた。

 添えられた漬物の塩っぱさで口の中を潤したら、甘い果物で締めだ。


「食べたぁ……!」


 作法に終始緊張していたにしてはしっかりと全てを平らげたレヴィは、他に人がいなくなるとタタミに寝転がった。


「行儀が悪いな」


 食事と共に丁度二合分のとっくり酒を干したクトーは、新たな二合を軽く舐めてからレヴィの足を指差す。


「裾が乱れているぞ」


 めくれていた裾を、バッと手で覆ってから直したレヴィは身を起こし、むぅ、とクトーを睨みつけた。

 そんな顔をしても隙を見せたのは自分だろうに。


 軽く酔い、気分の良いクトーは軽く笑みを浮かべる。

 レヴィは酒を口にしていなかった。


「風呂でも入ってくるか?」


 なんといっても、温泉宿のメインは温泉だ。

 特にこのクサッツの温泉は名湯と名高く、実際に湯に浸かって体調が良くなった事がある。


「なんか楽しそうね?」

「俺は別に、楽しむ事が嫌いな訳じゃないからな」


 パーティーハウスを構える前は、レヴィと二人でこうして旅をしている時と似たようなものだった。

 リュウと二人だけだったパーティーに、一人また一人とメンバーが増え、ミズチが加わった時は連中はお祭り騒ぎをしていた。


『今まで誰も拾わなかったクトーさんが!』

『人を連れてくるリュウさんに文句ばっか言ってたクトーさんが!』

『なんてこった、こんな可愛い女の子を!?』

『そうかクトーさんが文句言ってたのは野郎ばっかで美少女がいなかったからか!』

『『『『クトーさんのムッツリめ!』』』』


 ……ついでに余計な事まで思い出してしまい、顔をしかめたクトーにレヴィが不思議そうな顔をする。


「どうしたの?」

「なんでもない」


 殴り倒すには無駄に強い連中ばかりだったから、あの頃はまだ使えた魔法を足元に炸裂させて吹き飛ばしてやった。

 そういえばあれはクサッツの近くだったな、と思い返す。


「明日の朝も早いからな。とりあえず行ってこい」

「クトーは?」

「もう少し呑んでからな」

「ふーん……」


 少し口を尖らせて不満そうにしながらも、レヴィは立ち上がって着替えを手にすると温泉に向かった。

 クトーは、酒を手に涼みがてらに軒先に出て、月を見上げながら酒を口に含む。


 二つ目の食後の酒は先ほどと違う甘口のもので、刺激が少なく、代わりに口の中にトロリと染み込むような優しい味わいだ。


 カコン、とシシオドシと呼ばれるものが水を受けて音を立てるのを聞きながら、クトーはレヴィとの道中を思い返した。

 最初は成り行きで、レヴィの方からくっついてきたが、連れ立って旅をするのはやはり良い。


 まして彼女には見所がある。

 無駄に魔物に対する自信があって無鉄砲だが、それ以外ではごく普通の真面目な女性だ。


 育った後、彼女が望むのならリュウと相談してパーティーに加えても良いと思える。


「まだ先の話だがな」


 見なければならない部分、教えなければならない事はまだたくさんある。


『何の話だい?』


 いつの間にか横に座っていたトゥスが、とっくりを抱えていた。

 立ち上ってくる香りだけで酔えるのか、ひっく、と喉を鳴らす。


 思わず撫でようとしたが、手がすり抜けた。

 そういえば触れられないのだ、という事を思い出す。


「その外見はずるいな」

『お気に召して何よりだが、遥かに歳が下の男に頭を撫でられる趣味はねーねぇ』

「そうだな。すまん」


 手を引っ込めて謝罪したクトーに、トゥスが尋ねてきた。


『お前さんは、何で嬢ちゃんの世話を焼いてるんだい?』

「成り行きでな。……が、嫌々やっている訳ではない」


 クトーは、人と関わるのが好きだ。

 とっつきづらいと言われるが、別に人を拒否しているつもりは全くなかった。


「昔から変わっていると言われ何でもソツなくこなせるせいか、俺は昔、今以上に他人の気持ちが分からなかった」


 なぜこの程度の事も出来ないのか、と口にして相手を怒らせた事も少なくない。


『なんだい? 昔話かい?』


 話を聞くのが本当に好きなのだろう、トゥスは目を輝かせて顔を上げた。

 クトーはうなずき、話を続ける。


「自分と他人が違うんだ、という事に気づけたのは、リュウのお陰だ」

 

 クトーと同じように何でも出来たリュウだが、彼を慕う者が村の中には多かった。

 自分と何が違うのかと首を捻るクトーに、唯一屈託なく付き合ってくれた彼は言った。


『一人で何でも出来たって、畑を耕すのには結局、人手がいるんだよ。皆でやらなきゃいけねー事ってのが、世の中にはいっぱいあるだろ? そういうの、お前分かってるか?』


 頭では、それを理解していたつもりだった。

 だが、皆が自分と同じように出来ない事に不満を抱くだけだったクトーに、次にリュウが告げた一言は衝撃だった。


『相手が自分と同じように出来ねーのが嫌なら、何で出来なくて、どうすりゃ出来るようになるかお前が考えて教えてやれば良いんじゃね?』


 ものを教える。

 そんな風に人に対する行動を考えた事すらなかったクトーは、言われてしばらく呆然としてしまった。


 リュウに言われてからクトーは、人を観察し始めた。

 そしてやり方が間違っていたり効率が悪い部分に口を出してみた。


 最初は疎ましがられたが、次第にそちらの方が良いと気づいて出来るようになった者から、クトーに話しかけてくれるようになったのだ。


 徐々にそうした者が増えて、文字を書いたり図面を引く事を覚えたら、大人も頼りにしてくれるようになった。

 それは、クトーにとって初めての喜びだった。


『これでもう、お前も寂しくねーな! クトーが皆と仲良くなってくれて、俺も嬉しいぜ!』


「ある日、満面の笑みを浮かべるリュウにそう言って肩を叩かれ、俺はようやく気づいた」


 自分は、今まで寂しかったのか、と。

 そして人と関わり始めてから感じていた喜びが、嬉しいという感情だという事にも、同時に気付いた。


「レヴィと出会って、彼女と数日共に過ごす内に、あの頃の気持ちを思い出した。最近は、あまりあの頃の気持ちを感じる事はなくなっていたんだ。……もしかしたら、リュウはそんな俺に気付いて、休暇を命じたのかも知れないな」

『そうなのかい?』

「……いや、考え過ぎかもしれん」


 実際はそこまで深く考えていないだろうな、とクトーはリュウとの長い付き合いの中で知った彼の性格を思い返す。


 あいつは感覚で生きている男だ。

 リュウの言葉や行動は時に真理を突くが、意識して言っているわけではない。


 だからこそクトーは、世界を救うために、と宣言して村を出ようとしたリュウに付いていった。


 リュウが心配だったからだ。

 自分が他人を意識する切っ掛けになった相手が、一番放っておけない相手だったのは皮肉な話だが。


 今のレヴィもそうだ。

 芯が強いのに、見ていて危なっかしい。


「もしかして俺は、そういうのに振り回されるのが好きなのか……?」

 

 ふと気付いた気持ちは、自分ではあまり認めたくないものだったが、ヒヒヒ、とトゥスは笑う。


『そういう(さが)があるヤツも、世の中にゃ珍しくねぇね』

「嬉しい話じゃないな」

『もっとも嬢ちゃんの方は、お前さんに振り回されてると思ってるだろうがね。似た者同士さね』


 美味そうにキセルを吹かすトゥスに、クトーは鼻から大きく息を吐いた。


「俺はあんなに無鉄砲ではない」

『そうさな。だが、わっちから見りゃどっちも破天荒だねぇ』


 それこそ人のことを言えた義理ではない仙人の発言に、クトーはそれ以上反論しなかった。


 黙って二人で酒を楽しんでいると、レヴィが戻ってくる。

 見ると、湯あがりで火照った顔はいつも以上に目がトロンとしていて愛らしいが、どうやら少しのぼせているようだ。


「気持ち良かった……でもなんかお客が少ないわね、この旅館」

「そうなのか?」

「うん。ご飯の後なのに、お風呂ほとんど貸し切りみたいだったわ」

「高いところだからかも知れんな」


 何となく目の焦点が定まっていないレヴィに、クトーは問いかけた。


「寝るか?」

「うん……でも」

「でも?」


 酒もなくなり軒先から立ち上がったクトーに、レヴィは少し恥ずかしそうに告げた。


「その、どこで寝るの?」


 言われて、クトーはベッドルームに目を向けた。

 二部屋借りると高過ぎるので一部屋しか借りなかったが、よく考えたらベッドは同じ部屋に二つ置いてある。


 酒の回った頭で少し考えてから、クトーはベッドを指差した。


「お前はあっちで寝ろ。俺は布団に包まってこっちの部屋で寝る」


 タタミを指差すと、レヴィはホッとしたような、でも何故か少しだけ残念そうな顔をした。


「分かった。寝る」

「ああ、おやすみ」


 フラフラとベッドに向かうレヴィについて部屋に入り、掛け布団を持ってタタミの部屋に戻ったクトーはフスマを閉めて、カバン玉から自分の着替えを取り出した。


「トゥス翁も付き合うか?」

『風呂は苦手でね。しばらく酒の残り香を楽しんでおくさね』


 こちらに目も向けないままとっくりを抱えてしっぽを振るトゥスを残して、クトーは風呂に向かった。

 


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― 新着の感想 ―
[良い点] さりげにサービスシーンやら料理シーン入れるとかやるなやるなやるな。 [気になる点] この男はサービスシーンも色気のある話にならんな。 [一言] グルメもやれるんじゃね?(笑)
2021/02/01 22:03 退会済み
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