老剣聖が、本性を現すようです。
「……ったくヨォ」
ムーガーンの口から漏れた言葉は、かの巨人の王にはあり得ないものだった。
鉄のように無表情だったその顔が醜悪な笑みに歪み、ケウスをチラリと見る。
「操り人形如きが、ナメた真似をしてくれやがってヨォ。せっかくまた、人間どもを中から引っ掻き回せると思ったのにナァ?」
ゲゲゲ、と喉を鳴らしたムーガーン……チタツは、両脇で軽く広げた指に力を込めた。
瘴気の気配に洞窟の空気がざわめき、魔将の腕が変化を遂げる。
茶色の剛毛が腕を肘まで覆い、指先が片刃の長刀のように伸びた鋭いかぎ爪と化した。
「相変わらず下品な口調だ」
クトーはそう吐き捨てて、偃月刀に命じる。
「〝漲れ〟」
身体強化の高位補助魔法。
対象は、自分とケインだけだ。
レヴィは、白装束によってすぐに効果を上書きされてしまう。
「お上品に振舞って欲しいカァ? 昔、オウサマしてた時みてぇにヨォ?」
両の瞳を赤く輝かせて、獣の気配を纏う魔族が嗤う。
先王の体を乗っ取って好きなように振舞っていたチタツは、クトーらが王城に突入した時、外面だけは王侯貴族らしい振る舞いをしていた。
すぐに今のように本性を顕したが。
ケウスの目論見通りに、魔王の戦力はこの場で削いでおかなければならない。
チタツを、この場で殺すのだ。
「レヴィ。何をしている?」
槍をすぐに構えたケインと違い、まだレヴィはためらっているようだった。
「だ、だって巨人の王様の体なんでしょ!? 倒しちゃったら……」
「その心配はない」
クトーはメガネのブリッジを押し上げながら、【聖白竜の礼服】に魔力を流し込んで防御力を上げる。
「ケウスがこの場に俺たちを呼び寄せたのは、魔王の機先を制する以外にも、もう一つ意味がある」
夢見の洞窟は、現世とあの世の間に在るような場所だ。
今この場においては、誰も『肉体』を持っていない。
精神体のみが、導かれる場所なのだ。
「あのムーガーンの姿は、ただの幻影だ。イメージが現実を超える場所において、外見などに意味はない。……今ここに居るのは、チタツの精神体だ」
「イメージが?」
「アレはムーガーンの姿をしておるがの、レイレイ。倒してしまったとしても、チタツの魂が滅するだけじゃ、という意味じゃよ。クト坊の説明は分かりづらいがの」
ケインが、パチリと片目を閉じる。
この爺様は、どんな時でもユーモアを忘れない。
「ま、多少はムーガーンも痛い目を見るじゃろうが、むざむざ魔族に体を乗っ取られた罰にはちょうど良いじゃろ」
「では、ケイン元辺境伯はしばらく3時の紅茶は禁止ですね」
「なんじゃと!?」
「ムーガーン王が罰を受けるなら、あなたも同罪です」
そんなやり取りを黙って見ていたチタツは、バカバカしそうにカッ、とツバを吐き捨てた。
「そろそろ良いかヨォ? クソみてーな茶番はいらねーゼェ?」
殺気を膨れ上がらせたチタツに、ケインが反応した。
「……刀ではなく、弓を抜け。レヴィ」
地面を蹴った老剣聖の背を見ながら言い置いて、クトーも追従する。
全員が補助魔法の恩恵を受けて動き回る状態では、レヴィのアドバンテージはほぼない。
仮に至近距離で動きを目で追えたとしても、体がついてこないだろう。
いかに才能があろうと、装備無しでの彼女の技量はあくまでもまだDランク……甘く見てもCランク冒険者レベルなのだ。
それでも冷静な状態であれば、背後から弓での支援を行うくらいは可能だろう。
クトーがケインとレヴィの間で足を止めると、そのまま打ち掛かったケインがチタツと攻防を始めた。
「ほほ。魔王より格は落ちるが、久々の命のやり取りじゃ! 胸が躍るのう!」
「ナメたジジイだな、オィ。死ぬまで嬲ってやるヨォ!」
ケインが先手で撃ち込んだ神速の突きを、チタツはあっさりとかわす。
が、引きの速度も極限まで洗練されている老剣聖は、そのままさらに三連撃で刺突を穿つ。
二撃、三撃、とそれらも交わした後、チタツはかぎ爪で槍を受けた。
「やるナァジジ……ゴッ!?」
余裕を見せようとしたチタツの頭に、即座に槍を回転させたケインの柄尻による打撃がヒットする。
「ほっほ、油断するヤツは大した事がないと相場が決まっておるぞ?」
「このクソジジイ……! 殺ァ!」
青筋を立て、両腕の筋肉を一回り膨れ上がらせたチタツが両手の爪を振るった。
左右から放たれるかぎ爪の斬撃を、ケインが槍でさばく。
金属同士がぶつかるような音を響かせるやり取りは、チタツに軍配が上がった。
かぎ爪の先を揃え、抉りこむような一撃を放った魔族に対して、ケインは槍を隙間にねじ込んで手を射抜くことで制した、が。
「グゥルォオオオOOOOOuLuーーーーッ!」
人の発声ではあり得ない咆哮が空気を揺るがし、ケインの動きを一瞬止める。
その隙にさらに腕をねじったチタツは、貫かれた手のひらから血を撒き散らしながら、槍をへし折った。
砕けた破片が宙を舞う中、硬直から脱した老剣聖が柄から手を離して後ろに跳ぶ。
戦況を見守り、入れ替わるようにチタツの懐に飛び込んだクトーは、横薙ぎに偃月刀を振るった。
「〝光よ〟」
聖属性を刃に宿す高位魔法剣を発動しての一撃を、チタツはかぎ爪を交差して受ける。
瘴気と聖気のせめぎ合いの後、ジュゥウ、と焼けるような音を立てて刃を食い込ませたかぎ爪が煙を上げた。
「ッガァ! 邪魔するんじゃねぇヨォ!!」
「あいにくと、お前のやりたいことに付き合ってやるつもりはない」
ケインからこちらに狙いを変えたチタツが、嵐のような攻撃をダメージに構わずに放ってくる。
クトーは後ろに下がりながら、その攻撃を受けた。
受けるたびに瘴気が散って煙が上がるが、この魔獣将の本領は、怒り狂う猛獣のような苛烈な攻撃にあるのだ。
自らの損傷を気にしない猛攻によって何度かかぎ爪が体をかすめるが、礼服の防御を抜くほどではない。
やがて壁が近づき追い詰められる直前に、クトーは声を上げた。
「ケウス」
直後、大きく飛び退ったクトーの背後の壁が消え、眼前に巨大な石柱が轟音と共に出現した。
地面から巨木のようにそびえた石柱が砂ぼこりを巻き上げる。
その目くらましに身を低くして隠れながら、クトーはレヴィの近くに下がっていたケインの横に移動した。
「何、これ……」
「ケウスの力だ。夢見の洞窟そのものも、彼女の意思によって形を変える」
言いつけ通りに風竜の長弓を取り出していたレヴィの問いかけに、クトーはメガネを押し上げながら答えた。
見ると、全知の宝珠から力を吸い上げているケウスが、祈るように指を組んでいる。
狭い部屋は、一瞬にして八方に巨大な石柱の立つ広大な空間に変わっていた。
「ケウスを守れ。動きは目で追えたか?」
「どうにか……でも、そんなに連射できないわよ。速すぎて、クトーやお爺ちゃんに当たりそうだし」
「構わず撃て。殺気があれば避ける」
「ワシも同意見じゃ」
槍が壊れたからか、剣を引き抜いているケインに、クトーは声をかけた。
仕込み杖になっている鞘から抜かれたそれが放つ相変わらず禍々しい気配がチタツに向いているのは、老剣聖が剣の主人として健在である証だろう。
「チタツに効きますか?」
「こやつは魔ではないでの。神も魔も、等しく引き裂く」
剣の放つ狂気の殺意に、むしろ愉しげに身を委ねているように見えるケインは、ゆらり、と足を踏み出した。
「クト坊。……のんびりしておると、おぬしごと斬り裂くぞよ」
「承知しています。せいぜい邪魔にならないように」
老剣聖は漲る覇気と共に、カッカ、と嗤う。
そして、苛立ちの咆哮と共に、石柱の一つを斬り倒して宙に跳ねたチタツに向けて剣を構えた。
「征くぞいーーー【ダインスレイヴ】」
先ほどと同じように……全く特別なものを持たず、剣の腕のみで至高に至った狂剣士が跳ねる。
クトーも、改めて聖魔法を偃月刀に込め直しつつ、シャランと眼鏡のチェーンを鳴らして駆け出した。




