おっさんは、夢の中に向かうようです。
ーーー魔王の動きをどうにか掴みたい。
そう思いながら家に帰って就寝したクトーは、気づけば着ぐるみ毛布姿で洞窟の中にいた。
「む?」
自分の不可思議な状況に首をかしげてから、クトーは気づく。
「……夢見の洞窟、か?」
「何それ?」
独り言に返事があった。
クトーが横に目を向けると、レヴィが同じように寝間着姿で立っている。
黒ウサギの刺繍あしらったちょっと大きめの寝間着だ。
袖が長いようで、手が半分隠れて指先だけが見えている。
「なぜお前も?」
「知らないわよそんなこと。それより何? 夢見の洞窟って」
この洞窟は、不思議な場所だ。
トゥスに導かれたイッシ山の洞窟よりも広く、空気や壁面は湿り気もなく乾いている。
寒くも暑くもなく、最大の特徴は『窓』が一定の間隔で存在していることだ。
そこから漏れる光によって明るく照らされた洞窟は、土で出来ていることや蔦が這っていることを除けば、王城の廊下のようにも見える。
クトーはメガネのブリッジを押し上げようとして、それがない事に気付いた。
寝る前に外して、カバン玉へと入れていた。
普段あるものがない、というのは少し違和感があったが、それはとりあえず置いておいて、窓の一つを指差した。
「覗いてみろ」
「? うん」
目をぱちくりさせたレヴィが、興味深そうに光る窓に近づいた。
クトーも同じように移動して目を向けると、ただ光っているように見えた窓がその中に実像を結ぶ。
「何これ」
見えたのは、空の一点から俯瞰したような景色だった。
晴天の中で光に踊るコバルトブルーの海だった。
天に浮いた大陸が雲とともに流れており、その上に、緑豊かな森と山の上にある白亜の建物群が見える。
クトーはそれに見覚えがあった。
「浮遊大陸だな。俺たちの住む中央大陸の遥か南の空を周回する、風の神と土の神が作ったという伝説の大陸だ。一度赴き、天空人と呼ばれる人々に会ったことがある」
「こ、ここってそんな遠いところなの!?」
レヴィが言うのにクトーは首を横に振る。
「次の窓を見てみろ」
答えはまだ口にせずに先を促すと、次の窓で見えたのは全く違う景色だ。
天蓋に覆われた世界。
闇色の太陽が浮かび、天蓋の方が光り輝くその世界は、奇怪で背の低い植物群が生えていて、地上は赤い色の土で覆われている。
断崖の上に立つ城や、山からそのまま建物を削り出したような街が見えた。
「これは地底世界だな。魔王城に向かうための第三の鍵が、この世界の洞窟に封じられていた」
巨人族やドワーフ族の故郷とも言われる場所であり、ニブルやフヴェル、ユグドリアの仲間たちが命を落とした場所でもある。
住まうのは、ダークエルフやエンシェント種と呼ばれる巨人などであり、地上とは毛色の違う魔獣たちの楽園だ。
他にも覗いたが、巨大な世界樹の上に住まう人々や、煮えたぎるマグマの中に天を貫く塔が立ち並ぶ場所、ただ妖精たちが舞っているだけの花畑、闇の中にただ浮かんでいるだけの奇怪な生物の群れ、など。
様々なものが見え、その全てが距離を隔てた景色だった。
「なんなのこれ。全然意味が分からないんだけど!」
あまりにも不可解な洞窟に焦れたのか、レヴィがムキー! と足を踏み鳴らすが、可愛らしい寝間着姿では全く迫力がない。
元々ないが。
「最初に聞いていただろう。夢見の洞窟だ」
「だからそれが何なのよ!?」
「夢の中に作られた、魂のみを誘われる異空間だな。かつての妖精族の長が作ったと言われているが」
何の目的で作られたかまでは知らない。
クトーが袖を探ると、カバン玉は持ってこれていたようだ。
「夢見の洞窟は眠る時に身につけていたものだけが、魂とともに運ばれる。持っているか?」
レヴィにカバン玉を示すと、彼女はうなずいた。
ごそごそと袖口を探って取り出す。
言いつけ通り、常に身につけているのはいい心構えだ。
「着替えるぞ」
お互いに背を向けてゴソゴソといつもの装備に着替えてから振り向くと、レヴィはトゥス耳白装束になっていた。
「魂を運ばれた、って言ってたけど」
クトーが先に進もうとすると、追いついてきたレヴィが話しかけてくる。
「体は?」
「元の場所で眠っている。夢見の洞窟は時間の流れが違うので、さっさと戻らないと目覚めないままで騒ぎになるな」
「……どうやって戻るの?」
「その方法を知っているのは、ここの『主』だけだ。今から会いに行く」
ここにも、以前訪れたことがある。
目的は分からないが、ここの主が何か用があって呼び寄せたのではないか、とクトーは思っていた。
「たまに迷い込んだ魔物が出るからな。武器を抜いておけ」
クトーがカツン、と旅杖を鳴らすと、レヴィは呪殺ニンジャ刀を引き抜いた。
洞窟は枝分かれした複雑なものであり、すぐに姿を変える。
別名を迷いの洞窟とも言うが、『主』の方で用があって呼び寄せたのなら、しばらく歩けば着くだろう。
どう考えても窓から外が見えないようなルートを辿っているが、窓の間隔は変わらず消えることもなかった。
混乱から少しは落ち着いたのか、レヴィは興味津々な様子で窓を覗いては、驚いたり感嘆の声を漏らしたりしている。
可愛らしくはあるが。
「少し歩くことに集中しろ。あまり長居は出来ないと言っただろう」
「あ、ゴメン……でもこの窓、本当にどうなってるの? これただの夢、じゃないわよね?」
「ああ」
クトーは歩く先に魔物の気配がないかに注意を払いながらうなずいた。
「映っているのは現実の景色だが、窓から外には出られないな。『主』が外を見ているのか、あるいはその場所を知るモノが夢に見ているのかも定かではない」
夢見の洞窟は謎が多く、研究するには特殊すぎる場所なのだ。
「む」
クトーはかすかな気配を道の先に感じて、足を止めた。
正面に壁があり、先へ進む道は左右に分かれている。
その片方からチリチリとした何か……押し殺した殺気のようなものが向けられていた。
「……出てこい」
魔物とは違う。
人に似た、それも熟練の手練れが本気で自分の存在を隠そうとしている。
「誰かいるの?」
レヴィには殺気が感じられなかったのだろう。
だがクトーの様子に警戒心を覚えたのか、表情を引き締めてニンジャ刀を構える。
しかし、返ってきたのは剽軽な声音だった。
「ほっほ、もしかしてそこにおるのは、クト坊とレイレイかの?」
ひょい、と道の先から姿を見せたのは、総白髪の小柄な老人だった。
ケインである。
相変わらず槍を担いでいるので、寝る時も抱いているのだろう。
「え? お爺ちゃんも?」
安堵した顔で近づこうとしたレヴィを、クトーは杖を首に添えて制した。
「うぇ?」
顎に杖を添えられて動けなくなったレヴィを見て、ケインが軽く目を細める。
「これはどういうつもりかの?」
「少し確認です。夢見の洞窟には、模倣の魔法で擬態する魔物がいましてね」
本来は対峙した相手の姿を写し取って戦場を混乱させるのだが、知り合いの姿を取らないとも限らない。
「ふむ。つまりワシを疑っておるということかの?」
「いいえ、ケイン老」
クトーが声をかけると、ケインは軽く眉を跳ねあげた。
「なんじゃ?」
軽く間をおいて、クトーは淡々と告げる。
「ーーーレヴィの胸はもう少しふくよかだったと思うんだが、どう思う?」
「んにゃぁ!?」
クトーは声を上げた彼女に構わず、クトーはケインを見据え続けた。
鼻頭にシワを寄せていた老剣聖は唇をへの字に曲げた後、頬を親指で撫でながらニヤリと笑った。
「クト坊」
「なんだ」
「元辺境伯、という呼び方と、敬語はやめたのかの? それにレイレイは昔から跳ねっ返りじゃが、背丈から何から慎ましやかなのは変わっておらんよ。開拓村におった頃からの」
擬態した魔物は、記憶までは模倣出来ない。
「ふむ。どうやら本物のようですね」
クトーは頷きながら、レヴィのアゴに添えた杖を下ろした。
「だらっしゃぁ!!」
その瞬間、気合いの入った声と、ヒュォ、という風切り音が眼下から聴こえて、軽く首を傾ける。
耳元をかすめて、おそらくはこちらの頭を狙ったとおぼしきレヴィの上段蹴りが空を切った。
「何をする」
「避けるんじゃないわよ!!」
見ると、顔を真っ赤にして怒っているレヴィが次々と蹴りを繰り出すのを、クトーはひょいひょいと避け続ける。
「何を怒っている?」
「自分が何を口にしたか考えてから言いなさいよね!?」
言われて考えてみるが、特に怒りそうなことを口にした覚えがなかった。
「胸が慎ましいと言うたことじゃの。ムーガーン、お主も出てこぬか」
「ケインが隠れていろと告げたのであろう」
老剣聖の後ろから現れた筋骨隆々の男に、クトーは眉をひそめる。
が、今はレヴィの連撃を止めなければならない。
「俺は慎ましいなどと言っていない。もう少しふくよかではなかったか、と訊いただけだ」
「同じよ同じ!」
パシッと褐色の足を手のひらで受け止めるとレヴィはようやく止まった。
「この朴念仁!」
「よく言われるが。気に障ったのなら謝ろう」
特にバカにしようなどという意図があったわけではなく、単純にケインとの共通項として都合が良かったのがレヴィだったというだけだ。
謝罪しつつ、クトーはムーガーンに目を向けた。
『主』にこの4人が呼ばれたのか、他にも誰かが夢見の洞窟に誘われているのか。
ーーーもしこの4人を呼んだのなら、理由はなんだ?
特に共通点の見えない人々が召喚された理由を考えながら、クトーは罵詈雑言を口にするレヴィをなだめる事になった。




